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後日談にもならない話(コエナイ3)



…何処までも続く広いセカイ。
真っ白が何処までも伸びていく。

そんなセカイで話す、君との話。


憎かった君

「…よぉ、様変わりしたな」

「……クリス……?え、待って、夢、だよね…?」

ウィルの周りにはあの時と同じように文字が浮かんだ。対するクリスは喋れるのかコエを失ったはずなのに喋っていた。

「あぁ。あの時と同じ。夢だ。安心しろ、ゲームは始まらねぇから」

「…そう。…でも、また会えて、良かった。あの時、私は君に何か言う暇も無かったから。君はあの時のままなんだ」

 「あの日」から大分時間も立っていて、ウィルの髪には少しだけ白髪が垣間見える。
対するクリスは死んだ時と同じ見た目だった。
何時もの白シャツに黒いベスト、紫のネクタイ。自作だという其れは劇団創設時からずっと皺や汚れが一つもなく、高い素材を使っていると分かる。

「ニックの時みてぇに平手出さない辺り少しは落ち着いたのか?お前」

「…あれはまた別だったって分かっていたでしょ、君は」

「お前だってショーンにもニックにも言わずに抱え込んでるんだからニックを殴る筋合いは無いだろうが」

「……そう、かもね」

ド正論をなんの躊躇いもなく放つのはあの時飲みの場でウィルがニックやショーンへの好意を口走った時と同じだった。目の前にいるのは本物のクリスだな、とウィルは確信する。


言葉が止まる。
クリスが煙草に火を点ける。
この不思議な空間では火も点くらしい。ゆらゆらと小さな火が揺れる。
クリスはそれを何処か懐かしそうに眺めた。


「……今だから言えるけどな」

「俺は、お前を殺したかったよ」

「…!!」


「どうした?案外驚かないんだな。本当に殺したかったし、殺害計画まで立ててたのに」

「え、あ……。驚いてるよ……おどろいてる、けど」

ウィルはゆっくり目を逸らして下を向きながらぽつりと言葉を零した。

「ちゃんと、罰してくれるんだな、って」

「…俺はお前のそういうとこが嫌いだよ、自己中聖人」

少なくとも俺はお前の思う罪について罰を与えたかった訳でもないからな、とクリスは呆れたように溜息をつく。
その目は凪いでいた。

「俺は別にお前が何を抱えてるかも、抱えてきたかもどうでもいいんだ。ただ俺の満足の為だけにお前を殺したかった」

「そっ、か。自己中心的か…そうかも。…別にクリスがそう思ってても…私はクリスに感謝してるよ」

「……はァ。ニックも、マカリオもそうだろ。自分は責めるクセに、それで他人が傷つく事なんて一度も考慮に入れてない。それは良いことなんかじゃない。剥き出しの刃物と同じだ」

「はは、そうだよね…じゃあ、どうすれば良かったの?私は。…今更、だけど。もう思い直すなんて出来そうもないけど」

「俺に聞くなよ。そういうのは目が覚めたらお前のお仲間に聞け。どうせまだ一緒に居るんだろうから」

そのお仲間の括りにクリスは入るつもりは無いのだろう。

「…変わったようで、変わってないね、クリスは」

「コレが本来の俺なんだよ。もうここに来て長いからな、復讐心だって多少は和らぐ。それを拒絶する自分も、受け入れる自分も客観的に見れるようになった。今はな」


死んだあと、クリスはずっと此処に居たのだろうか。
三途の川の手前のような穏やかな場所でずっと留まっていたのだろうか。
そんな疑問がウィルの頭に浮かんだが、クリスは聞くなと言う風に笑った。
生前、ウィルの前で滅多に見せない顔だった。

「君はどうして私を殺したかったの。私が、私が君を追い詰めたの?」

「は?ざけんなお前」

クリスは横目でウィルを見ながら少し語気を強めた。そんなこと言ってくれるな、と言う様に。

「お前みたいな聖人君子に追い詰められる程馬鹿じゃねぇよ。他のヤツにもそれを思ってるならソイツに失礼だ。絶対に、絶対に何があろうとお前のせいじゃない。それが分かってて俺はお前が憎かった」

「…事情が知りたいなら見せることは出来る」


クリスは立ち上がって何も無い宙に向かって手をかざした。その瞬間、辺りのの風景が歪み、変わり始めた。

「…これは」

「あのゲームから丁度20年前。俺の家族が燃やされた日」

1軒の家が燃えている。熱さは感じないが、時折吹いてくる風と、パチパチと弾ける炎の音が聞こえた。

その家の前で黒焦げた何かを抱えながら泣いている傷だらけの少年が居た。
今よりずっと小さくて、頼りない。

抱き抱えた物から伝播した熱が少年の肌を焼いていく。けれど決して、少年は黒焦げた何かを離そうとしなかった。

「…あれ、は」

「妹」

クリスが原型を残さない程黒くなったその何かのことをそう呼んだ時、ウィルは目眩がした。
彼がマカリオとは義兄弟であり、あの家の養子である事は知っていた。つまり、あれは彼の本当の家族。

「燃やされた、って」

「そのままの意味だ。この放火は意図的な物だった」

「誰がそんなことを」

「俺の小中の頃の同級生」

「……!!そっか。それは…」

辛かったね、と言おうとして止めた。彼がそういう言葉を求めていないことは痛い程分かる。自分だってそうだったから。
心無い言葉を投げつけられた時の痛みは、自分も知っている筈だから。


「この日に俺は一度死んだ。人間らしい部分は外見ぐらいで、それ以外は凡そ」

「ずっと復讐のために息をしてた。別にお前は何もしてない。周りのヤツが勝手に色々考えただけだ。それをお前が止められたワケでもない。誰に聞いても俺が理不尽な理由を作っただけだと答えるだろうな。…でもそうしなきゃ、どうにもできなかったんだよ」

「同情するなよ。俺とお前は同じじゃない。俺に不幸な生き方をしたと思わせたくなきゃな」

「先手を打つのと根回しが上手いね…相変わらず」

「伊達に何年も裏方やってねぇよ…此処には色んなヤツが来た。ジェシカに、ソフィアとかな。俺が口止めしてるから話してないんだろうが」

「……そうなんだ。本当に、何だったんだろうね、あれは。ニックも、ゲームも」

「何だっていい。何だったかを決めるのは未来の自分でしかない。お前がそういう道を選んだ過程のひとつだろ。あの時は、誰もが劇団の当事者だった…俺はまた別枠だが」

「怖かった、ゲームで何かを失うのが。ショーンにはああ言ったけど。折り合いなんて今だってつけれていないんだ…そっか、君しか知らないんだよね。私の恋心のこと。あれ以降、結局誰にも言ってないから」

「そうなのか。てっきりショーン辺りには話してんのかと」

「…当人だからこそ話せないよ。それにね、死ねなかった時点でもう決めたんだ」

「心を裂かれながら進もうって。…生きなきゃいけないんだって。そして、墓まで持って行って死のうって」

胸をそっと抑えながらウィルは前を向いた。
景色はまた歪み、フィルムのように流れていく。
フレディによく似た男が首を吊っていたのも、緞帳が落ちてきた時も。
全てがまるで一瞬のことだったかのように過ぎ去っていく。

記憶の中のクリスが少しずつ成長し…やがて、今の姿と重なった。

クリスの表情はどの記憶の中でも苦しそうな顔をしていた。
劇団の中にいる顔と一致するものはフレディを殴っていた時だけだった。
事情はあの後劇団メンバーの何人かから聞いていたとは言え、実際に見るとショックは大きい。

やがて空間が大きく歪み、二人はまた真っ白な空間に戻ってきた。

「まぁ、そんなトコだ。…この世界にフレディが来たことは無い。来ても何も話すことは無い。申し訳ないとかじゃない、そもそも俺はアイツを個人として見た時間は最期の僅かなタイミングしかなかったからな」

「君と彼の問題だと思うし私は口出しをしないけど…話した方が、良い、と思うよ」

クリスはその言葉に黙ってウィルを見やるだけで終わった。多分本当に話すつもりは無いんだな、と思った。
クリスが死んで以降偶に影の指す顔をする様になったフレディの事がウィルは心配だった。

「お前はブレないだろうがアイツはブレる可能性がある。だから駄目だ」

「全員に言ってるが…此処で話した事は誰にも言うなよ。俺の命は終わったんだ。化けて出るほどもう強くない」

「分かったよ。…クリス、有難う。君のお陰で吹っ切れたし、色々と。今はサンドラとショーンが衣装を作ってるんだ。役者も出来る限り皆続けてる。フランクは居なくなっちゃったけど……また今度君の墓参りにも行く予定なんだ、ニックの所にも。マカリオも一緒に……」

「それ以上言うな」

クリスはウィルの頭を少し強めに抑えて言った。どんな顔をしていたのか、ウィルには見えなかった。

「言うな」


びっくりするほど穏やかなコエで、けれど有無を言わさずにもう一度繰り返した。

ウィルは静かに口を噤んだ。
そのまま静かに二人、何も無い空間で座っていた。話したいことは山程あったはずなのに、なぜだか全て霧散した。

そうして幾らか経ったあと。


「…もう、目覚めるな」

ウィルの前に光る道が出来る。何の障害もない道では無いが…それでも、歩いて行ける道が。

クリスの背後には扉があった。その扉に身体を寄りかからせていた。

「振り返るなよ。絶対に」

「…うん」

「最後に一つ」

背中に感じるコエは、決して背中を押してはくれない。だが、それでいいのだ。
何時か自分が道を振り返る時が来たら、その時またきっと会える。君との出会いが、良きものであったかも、その時また分かる。


「シュークリームと激辛は却下だ」

そのコエを最後にウィルは道に1歩踏み出し、その姿は空間から消えた。


もう直ぐ終わりが来る。
クリスはそれを知って尚一人寄りかかった扉の重みを感じながら息を吐いた。
徒労感だけが残っていた。

不幸なのに、不幸にならない。
自分しか自分を罰せない。
最高に傲慢な男だと思う。冷静になったクリスはウィルのことを新種のドMなんじゃないかと思いかけていた。

……まぁ、もう、どうでもいいのだけれど。

自分の家族を殺したフレッドが、ウィルのせいで自殺したなんて話、あいつにとってはある意味恰好の餌にしかならない。
アレは自分を傷つけてないと進めない化け物だから。
だから黙った。抱え落ちした方が……少なくとも自分の心は平穏で居られるだろう。
火傷跡も、幻覚症状も。何一つ、知らせなかった生前のように。

「さて、そろそろか」



幕が降りる


大嫌いな君


「え……ここは……?ねぇ、まさかあの時とおなじ…?」

ソフィアが目を覚ますとそこにはただ白いだけの世界が広がっていた。
何処までも続く白。けれど前回と違って横に大切な仲間は居なかった。

「……お前か。案外早かったな」

「…え!?く、クリス!?何でここに!?お化けか何か…?」

「まぁ、似たようなモンだ。お前は…気味悪いほど老けてねぇな」

「馬鹿馬鹿馬鹿!なんで事故死なんかするんだよ!あの後大変だったんだぞ!今だってサンドラとショーンで苦労しながら衣装作ってるんだから!!」

「あぁ。結局劇団は形として残したんだっけか。……はァ。おれのしたことは無駄骨だったと」

クリスはその場に寝転び手足を投げ出した。
記憶では見たこともないクリスの姿にソフィアは驚きを隠せなかった。

「…ぼくこんなクリス知らない…!僕を避けないなんて…まさか偽物……!?」

「此処じゃ避ける必要も無いからな。此処の影響で…いや、死んだ時点でその理由が無くなったんだよ」

クリスはさり気なくソフィアの首に手を伸ばした。ソフィアが驚いて警戒の色を顔に浮かべたが、クリスの手はまるでそこに何も無いかのようにするりとソフィアの身体をすり抜ける。

「ご覧の通りだ…此処だと誰かに触ることもできない。ついでに言うならゲームも何も始まらねぇから安心しろ。」

「…急所は辞めてよ!癖でやり返すかもしれないじゃん!……よかっ、た」


「やり返せねぇから。わざとだしな。」

ソフィアは大きく長く、安堵の息を吐いた。
あの時と同じ事が起こるかもしれないと考えたのだ。…あんな思い、もう二度としたくなかった。
今だってコエが出せない劇団のメンバーを見ると心が僅かに縮むような感覚になる。外には出ない程、小さなものだけど。

「つかお前痩せたか?」

「え、あぁ?カミラに色々教えて貰ったりしながら3食ちゃんと食べてるけど…」

「なら気の所為か…いや、俺が最後に測ってからそこそこ経ってるのに1mmも変わってないお前の方が可笑しいんだが」

「クリス、毎回恥じらいゼロで言うからサンドラに変態とか言われるんだよ?」

「衣装作るためのサイズ計測に恥じらいもクソもあるか。それを恥ずかしがってるようじゃモデルとしても役者としても認識を変えた方がいい」

「分かってるって!冗談だよ。今はね、僕がメインで新しい演目をやる予定なんだ。その為に今は沢山練習してる。カミラからダンスも教わって踊る予定なんだ!」

ソフィアは今の状況が正直信じられなかった。悲しいことという訳じゃないが、クリスは最後までやっぱりソフィアを避けていた筈なのだ。あのゲームの中でさえ一度もソフィアを庇う素振りは見せなかった。
結果的にはソフィアは助かったのだけど。

それにフレディの事は結局何だったのだろう。フレディ本人に突っ込む訳にもいかなくて何も言っていないが。
…あの光景でソフィアがクリスに抱いた物が親近感なのは事実だった。彼はきっと最後に記憶が戻っていて…それがまた劇団内の関係性を危うくするのではないかという心配もあった。
結局その心配は悪い意味で杞憂に終わったのだが。

「うん、それで…その、ね」

「明るい未来と暗い過去。…はァ」

「…クリス?どうしたの?」

「劇団にはクソみたいなお人好ししかいねぇなと」

「クソって…皆いいひとだよ。ぼくを受け入れてくれた。ぼくに居場所をくれた。だから今度はぼくがこの場所を守るんだ」

「それはお前にとってだろ」

ソフィアにとってこの劇団は光であり、家族なのだろう。拠るべき場所。帰る家。その全てがあの場所なのだろう。

…別にそれでいいのだ。
悪いことじゃない。事実、ソフィアという一個人は救われたのだから。
だから、これはクリス個人の問題だった。

ソフィアは、ソフィア自身が非難される事については何も思わない。けど劇団を非難されれば烈火のごとく怒るだろうし、手も出るだろう。


それがどうしようもなくクリスは嫌だった。

「守る、ね。お前が?」

「うん。なんたってぼくは…歌劇団のスター、テノール歌手の王子様、ソフィアだからね!!」

「王子様、ね…」

クリスは知っている。
王子様で駄目な訳では無い。ただ…ただ、何かを上手く纏めようとした時、王子様だけでは駄目なのだと。「王様」でなければならない時もあると。

ニックも、マカリオも、ウィルも。彼らは王様足りえたのだ。自分のやりたいことを
それが例え苦しみの中にあっても持ち、その中で人を率いる才能が、魅力があった。

ソフィアには才能も魅力もある。
多くの人は彼について行こうとする。だがソフィアはその全てを…やりたい事を…己ではなく、劇団に依存させている。「劇団の存続」が彼の理由になっている。

それは逆に未熟だとクリスは考えていた。
ウィルが抱え込んだ痛みも、フレディのこも、ソフィアはきっと知らずにゆくのだ。
知らずに行けるだけの優しさを与えられた。

「…そうか。隈隠しがもう少し上手くなってから名乗れよ」

「え」

「大方劇団を支えなきゃ!カミラとかウィルとかニックの分まで!とか思って無理してんだろ、コエが残ってんの大体年下だろうし」

「え、えー?ぼく無理なんかしてないよ?」

「死人に誤魔化しても後でばらされる心配は無いぞ」

ソフィアは思わず一瞬目を逸らす。クリスがそれを見逃してくれるタイプじゃない事はソフィア自身が1番よく知っていた。
何せ劇団で唯一クリスをガチギレさせた男なので。

「………」

「…………いや、本当にちょっと最近忙しいだけだよ?ホ、ホラウィルだってよく作ってたじゃん!」

「あいつは自己管理して舞台までに仕上げてくる信用が有るから良いんだよ、で、お前公演まであとどれ位だ?」

「…ニシュウカン、デス」

「公演期どうせハイになって落ち着かねぇんだから調整出来るうちに調整しろ、顔の重さは最前列にはバレるぞ。体重減らすのは許されない、ショーンに迷惑かけるな」

「…はーい」

普段は僕のこと避ける癖にこういう時だけうるさいんだから…とソフィアは思ったがそういえば「普段」なんてもう無いのだったと時々思うことが増えた。
フランクの姿もクリスの姿も結局あの後の劇団には無かったからだ。マカリオは帰ってきたけど。
やっぱりニックの時ほど泣き喚いたりしなかったけど、葬儀の時は辛かった。
ただ、何も知らないまま、また一人仲間を喪ったのだと思った。

「別に弱音とか嫌だとかじゃないんだけどさ〜…」

「でも、ウィルってやっぱ凄いんだなぁとか思ったり、ニックみたいにビシッと言いたいけどぼくじゃキャラじゃないなとか思ったり」

「…でも皆も大変だからさ、ぼくがこうしたいって言うのを通すのも何だか申し訳ない感じもするし。コエが無いカミラやウィルは外部の人とのコミュニケーションだって大変だし、そんなんで劇団をやってるってので色々変に話題になったりするし」

「ま、あの状態で劇団が存続出来てるだけ奇跡だろ」

馬鹿だな、とクリスは思う。

「フレディもなんか最近ずっと塞ぎ込んでる感じって言うか普通なんだけどちょっと違和感あるからいっぱい仕事!っていう感じにもいかないし…」

「でもさ」

「カミラと家族になれたんだ。ウィルがね、戸籍を用意してくれた。頑張らなくちゃって思うよ、ぼくはもう立ち上がれたんだ。皆が立ち上がらせてくれたんだ」

「ぼくに本当の家族が出来たんだ!」


クリスは煙草をぐしゃりと握り潰した。
熱いという感覚はこの空間には無いのに何処か手のひらが熱くなる。脳裏に浮かぶ火を思い出してきつく左手を握った。血が出るほど強く。

新しい、家族。
クリスにとって家族は自分を産んだ母と、優しかった父と、笑顔の眩しい妹しかいない。白い服の似合う、長い髪の妹はあの火災で真っ黒になって帰って来た。いや…帰っては来なかったのだ。
マカリオが例えどんなに良い人間であってもクリスにとって彼は家族じゃなかった。そもそも劇団にはいるために利用した部分もある。

だから心底、そうやって幸せそうに笑わないで欲しかった。

劇団への憎悪もある。けどクリスは極めて個人的にソフィアが嫌いだった。
ソフィアの過去の悪行もあったかもしれない。クリスは搾取されてきた側の人間だった。それによって家族を喪った。

けどソフィアは…搾取した過去に言い訳をするつもりなど無いのだろうけど…それでも「新しい」家族と言って光を掴んだのだ。

「どんなに辛くても、苦しくても、例え人間としての何かを捨てたとしても、何度後悔しても」


「俺はお前みたいに生きていたくは無いな」

「…………」
ソフィアは黙ってにっこりと笑った。
花が咲いたような笑みだった。

それはクリスからの明確な拒絶。線引き。
けれどそれで良いのだ。

ぼくたちは、俺たちは全く違う生き物なのだから。
けれど全てを否定されたとしても「ソフィア」は止まることは無いし、クリスもまたそうなのだ。
それはちょっと悲しいけれど。

…もう会えないのはやっぱり寂しいんだけど。

「ルッカ」はここに置いて行く。
ソフィアはある意味で…本当に「ソフィア」になるのだ。もう、名前じゃない、本当の光を見つけたから。
ソフィアの前に道が現れる。輝きに溢れた道の先に、彼の仲間が待っている。
けれどクリスは何があってもそこに行くつもりは無かった。
ソフィアにとってはクリスはやっぱり居なくちゃいけない存在なのだけど。

「…クリス、一緒に行こうよ。クリスだって
ぼくにとっては劇団の仲間なんだよ」

「死人が生き返るかよ」


長い沈黙。


「……………じゃーね、クリス!ぼく生きるから!それで劇団もずっと続けて、おじいちゃんになってもあの世に行っても皆で劇団を作るんだ、だから向こうで待ってて!」


そう言ってソフィアは光に溢れた道を走り出した。もう振り返らなかった。涙は地面に落ちない程で止めた。


…クリスが最後まで憎悪を出さなかったのは、優しさだったのか、それとも…見せる価値すらないと思っていたのか。


答えはクリスしか知らない。
けれどやっぱり、最後の最後まで、人生の一瞬ですら、一欠片ですら、クリスはソフィアと違っていた。

やっぱり、大嫌いなのだった。



暗転

不格好な君


「…何これ、夢?」

「随分冷静だな」

「…………」

「避けてる奴が出てきて悪かったな」

「べつに、避けてない」

「避けてるだろ」

突如芽生えた意識。
真っ白な世界。
そこに居たのはつい2週間前位に照明事故で亡くなったなるべく話しかけたくない人No.2の男だった。

死んだ人間が生き返る…と言う話を信じている年頃でも無いのでサンドラは多分これが夢なんだろうなと思っていた。
2週間前の時と同じだ。
前回と違って今回は2人のみだったけど。

劇団全員にとって苦い経験となった二週間前。アルジェンティーナでの舞台は中止になった。照明事故が起きて人死が出ているとなれば公演どころの騒ぎでは無い。
衣装と小道具は埃を薄らと積もらせながら片付けられた。

残ったのはこれから先どうなるか分からないと言う漠然とした不安感だけだった。

「……あのとき、結局………」

「ん?」

「…なんでもない……」

どうしてクリスはフレディを庇って死んだのだろう。クリスはフレディの事が嫌いだと思っていた。サンドラはクリスがフレディを殴っている所も、彼の大切なパッチワークにフレディをイメージした歯切れが無いことにも気づいていたから。
でも、それに触れると何か嫌な事に首を突っ込みそうな気がして、サンドラは言い出そうにも言い出せなかった。

「……この際だから聞いとくが」

「なんでお前、俺を避けてた?」

「……え、えっと」

「心当たりが本当に無いんだが……いや、記憶が戻る前の話だったとしたら…お前、もしかしてどっかで見てたか?」

「み、見てない。なんの事」

「俺がフレディを殴ってるとこ」

「……!」

あまりにも、あまりにも軽く紡がれた言葉だった。クリスにとって、本当にどうでもいい事のような口調だった。
記憶が無くなって以降フレディが殴られている所は見なくなったし大丈夫だと思っていたのだが。

「……あれはほとんど俺の勘違いに近い物だった。言い訳する気も無いし申し訳ないとは思ったが」

「……何、それ」

まるで殴られた痛みなんて知らないみたいに。フレディは絶対痛かった筈だ、クリスはそこそこ体格も良い。衣装の見えないところに付けられた傷がある筈で、けどフレディは誰にもその事を言わなくて。
サンドラは無性に腹立たしかった。と、同時に怖かった。クリスという人物を心底理解出来なかった。その口から出る「申し訳ない」があまりにも軽すぎた。

クリスをじっと睨む。
無言の非難だった。

「『フレディさんの痛みも知らないで、そんな事言ってるの?謝る気持ちも無いの?』って顔」

クリスはサンドラの頬をツン、と無表情のままつついた。それだけで指はそのまま顔を離れていく。

……それだけの行動のはずなのに。
サンドラは恐怖を感じた。悪夢を見終わった時のように冷や汗が頬をつたう。

何か、とてつもなく大きな負の感情を向けられた事だけが分かった。
それは今までの人生で体験したことの無いものだった。

「熱した炭を抱きしめたらどうなると思う?」

「え」

「熱いんだよ。身体に伝わる熱が徐々に皮膚を焼いて溶かして、皮から中を侵食していく。肺に熱が入り込んで焼けそうになって呼吸が止まる。そしてずるりと落ちた皮が変色していく」

クリスは上等そうなシャツを肩まで捲って見せた。

「…………!!!」

酷いケロイドだった。
元の肌の色なんてどこにもない、狂ったようにかき混ぜられたぐちゃぐちゃの皮膚をもう一度無理やり固めたようなそれは、酷く醜かった。
ドロドロの場所を巨大なミミズが這いずり回った跡のような火傷跡。サンドラは思わず口を覆った。

夏でも絶対に半袖のシャツを着てこないし、稽古も絶対長袖だった。暑いなんて一言も言わないから寒がりなんだろうな、なんてアンナと話したことがある。
この傷が何を意味するかまではサンドラは分からない。
ただ、きっと、クリスにはそうせざるを得ない事情があったんだろうと思った。それとフレディを殴っていたことは別問題だとは思うけど。

「まぁ、コレとフレディの件はまた別だよ、だから言い訳もしないし誰からどう言われようが構わない。ただ」

「痛みを知らない人間は、人を傷つけたりしない」

傷つけられた分だけ、人は人を傷つけられるようになる。

「アンナ……」

サンドラはゾッとした。
アンナがニックが自殺したと知った時、きっと沢山傷ついただろう。故意では無いとはいえ、ニックは確かにアンナの奥深くに傷をつけた。
マカリオから大凡の事情を聞いたアンナは例の医者探しにしろ何にしろ、少し異常なほどに兄の全てを解き明かそうとしている。

それはニックに傷つけられたアンナが、同じくらいに人を攻撃出来るようになってしまったと言う事なのではないか?
絶対に誰も悪くない。
なのに、招いてしまう結果は良くないものになる。……そんな予感がして。

「…………」

クリスは何も言わなかった。
サンドラはもう一度決心しなければならなかった。自分はアンナに傷つけられたとしても絶対に人を害したりしないことを。そしてアンナがそうならないように自分が見ているんだということを。アンナの一番の味方でいることを。
ただ……そう、他人を傷つけないように生きるという事は、自分を傷つけながら生きなければならないという事でもあった。

それをサンドラは誓わねばならない。
腕に付いた、ミサンガに。


「……この劇団は人の話を本当の意味で聞いてないヤツが多くて困る」

少しだけ憐れむような目を向けたクリスは再び前を向いた。

「マイナスがプラスに引き上げられたり、プラスがとんでもない方向に行き過ぎると、それがマイナスに振り切れた時に、自分の心を保っていられないほどになる。だから……少しづつ傷つけあって、治しながら生きていくのが本当は正しい」

例えそれが一生完治しないとしても。

お前は賢いヤツだよ、サンドラ。
言外にそんなことを言われたような気がした。臆病は賢いと同義だ。
それはクリスの純粋な賞賛だった。

「私じゃ、アンナの一番の傷にも、一番の理由にも、本当の所はなれないんだと、思う……」

分かっている。でも、言葉にするとその事実は重くなった。
どうして口に出したのかは分からない。どうせ死人だからだろうか、痛みがわかる人間だと知ったからだろうか、そう思うことにした。

「……で?」

「え?」

「今まではなれなかったんだろ。これからなれないなんて誰も決めてねぇよ。俺だって死ぬつもりなんて微塵もなかった……死んで良かったと思う時もあれば、クソみたいに中途半端に終わったことが憎い時もある」

「…うん、そうだね。…やっぱり、好きだから。だから一番じゃなくても、やっぱり傍にいたい」

「憎らしいから、害したいと思うように、愛しいから、傍に居たいと思うんだろうな」

そう言うクリスの声は少しだけ、やっぱり怖かった。得体の知れない人だ。出会ってから、最後まで。

「クリスさんは……フレディさんのこと、どう思ってたの」

「憎い相手」

「……今は?」

「憎い相手」

同じ答えだった。けど、声音は明らかに違った。きっと、昔と今で憎らしいの意味が違うのかもしれない。
あのゲームで彼が襲撃される直前、確かに言ったのだ。「お前ら全員、許しちゃいねぇよ」と。……何があったのかは分からない。
もう死んでしまったから。もう居ないから。

なのに励ましのような言葉を口にすることもあって。
やっぱり最期までサンドラはクリスを理解出来る気がしなかった。

「…おい、もう行け。次目を開ける時は見慣れた天井が映るはずだ」

「ここは、もう来れないの」

「さぁ。俺も仕組みは分からん。けど……二度も出会いたくは無いな」

「うん……わたしも、かな」

光の輪がゆっくりと降ってくる。
お揃いのミサンガのカタチ。

女の子でも、叶わなくても。
あのゲームではきっと本当に大事なものは無くさなかった。苦しんでも、悲しんでも、結局大事だって、思ってしまった方の負けで……ある意味で、勝ちなのだ。
だからこれからも無くさずにいよう。私がアンナの為に生きよう。

ミサンガは、願いが叶えば切れる。
けど、一生切れないかもしれない。
それでもいい。お揃いの手錠になって、2人を繋いでくれるから。

「じゃあね、クリス」

「あぁ」

またね、なんて言えないし、多分「また」なんて無いんだけど。
やっぱり怖いけど。
もやもやしたものは少しだけ無くなった。

「前向いて。横に立って……私は大丈夫」

光の輪がサンドラを覆い収束していく。
光が晴れた時、サンドラの姿はそこにはなかった。





暗転

___________________

続きは少々お待ちください。
只今舞台を調整中_____


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