何者にもなれず、何も世の中に残せず、無価値に死んでしまったとしたらどうなるんだろう

 最近考える。
 何者にもなれず、何も世の中に残せず、無価値に死んでいったとしたらどうなるんだろうか、と。
 読んでいる人を裏切るようで申し訳ないが、僕はここで「意味がなああああああいいいいいいい!!!!!!!!!!」と叫ぶマイナス思考人間の発言をしたいわけではない。
 純粋な仮定である。空を飛べたらどうなるかとか、好きなあの子がもし振り向いてくれたら、とかそんな益体もない下らない問いである。でも、誰もこんな問いを真剣に立てて、世の中に問うているようには思えない。だからしょうがなく今僕の頭で考えてみるわけである。
 どっかのなんちゃら塾を立ち上げた起業家の人が言っていたのだが、曰く「世界史に残る」のが生きる目標らしい。その人は世界史に残りたいらしい。正直下らない目標だとその時は思った。歴史に名を残すことはあくまで結果であって、目標ではないと思うからだ。断っておくが、「世界史に残る」という目標を立てること自体を下らないと思ったのであって、「世界史に残りたい」と思うことは僕は否定しない。だが世界史に名を連ねたいという願望は肯定できても、それ自体を目標にするのは只々自己顕示欲をみたしたいだけなようでなんか嫌。
 書いていて気が付いたのだが、これは只々そういう風に恥ずかしげもなく大々的な目標を公言できて、それを達成できると自分の力量、知能に自信を持っている人間が嫌いなだけなのかもしれない。つまりは酸っぱいぶどう。僕は新自由主義の中をすくすくと真っ直ぐに生きている人が嫌いならしい。だって彼らは正しいから。そして僕は受験に失敗した間違った人間だから。
 間違った人間の僕は正しい人を見ていると嫌になってくるのかもしれない。 
僕が思う「正しい」人たち
・大学教授
・彼氏彼女がいる人たち
・頭がいい人たち
・はきはきしていて、コミュニケーションが上手くて、笑顔

こう書いていると僕の認知の歪みが凄いことがわかる。けど、正直にこう思っているんだからしょうがない。そして僕は間違っている。ポリコレ的に。でもポリコレを人生全体の審級にしたとき「正しい」人間がどれだけいるんでしょうね。てか、ポリコレ自体がポリコレ違反してませんかね。ポリコレって押しつけがましいし。人の気持ちを不快にしてしまった時点でポリコレは発動するんだから、遊戯のトラップカードよりおっかない。
 こう書いてみると、彼らは全て承認に依存しているということに気がつく。具体的にいうのなら人間社会のコミュニティの中で評価が高いということだ。まあ、当たり前か。だが、ただ存在するもの。ホームレス、フジツボ、蚊、自殺者、引きこもり、多浪生を世間は容認しないことがある。なぜなら、それらはなぜ存在するのかがよくわからないからだ。そして、僕もなぜ存在しているのかよくわからない。
 存在すること。それ自体が人間の価値を超越している。つまりはよくわからない。でもよくわからないのは人間嫌だからわかったふりをして、価値を交換する。そして、そこからあぶれる人間が生まれる。なぜなら、それはどうしても存在するものだから。存在は謎。
 だから僕は何者にもなれず、何も世の中に残せず、無価値に死んでいくことを肯定したい。僕自身がそういう存在だし、多分みんなそうなんだと思う。だって、承認しあってもしなくても存在するんだし。
 承認しあってもしなくても存在するのだから、存在しなくなることもある。つまりは死ぬ。
 存在すること、しないことは謎。でも、肯定したい。気もする。知らんけど。
 

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