台湾料理と苦悩とチューリングマシン

 今作品は長編SF「デウスエクスマキナ(仮題)」のテストのために書かれたものです。本編の中盤にあたる部分を抜粋したところです。突然始まりますが、ご容赦ください。
登場人物
  先輩 人工知能研究の若手のホープ。唯我独尊。博学。変人。T大学大学院所属。 
  黒萩 文学とSFが好き。陰キャっていうな。都内のそこそこの大学のちょっと下のレベルの文学部文学科。


 2050年。東京。下北沢。
「それは彼自身の苦悩に根ざした問題だ。君が解決できるもんだいじゃない。」
 そう彼女は告げた。春風で黒革のジャケットが風にたなびき、彼女のブロンズの髪が陽の光を帯びて金色を帯びる。
 わたしは何も言えなかった。
 わたしは彼に何かしてあげられることがあるんじゃないかと、どこかで期待していた。いまさらメサイアコンプレックスという言葉を思い出した。わたしの負い目を、わたしの劣等感を忘れさせてくれるような善行を彼はさせてくれるんじゃないかとわたしはどこかで期待していた。彼女は言っていることは正しかった。彼女はどこまでも正しい、それ故に存在するだけで人を傷つける。
 彼女はそれを言い切ると
「お腹減ったし、中華料理屋いくよー」
取り繕ったように明るい声を出して私に背を向けて歩き出した。惨めな気分がそのまま顔に出ていただろう。その顔を見られなかったのは幸いだった。
 私は彼女の後をついていった。下北沢駅から東口から高架下のエスニック店がひしめき合う道を歩く。先輩はごてごてとした色をした店の前で立ち止まる。
「ここ中華料理屋じゃなくて、台湾料理屋なんですけど」
「こまけー事は気にしなくていいんだよー」
と先輩は女性らしからぬべらんめい口調で私を諭すと店の中に入った。今時珍しいアルミサッシの引き戸だった。ガラガラと音をたてて扉は開いた。
店員に案内され、席に座り、メニューを手錠型端末から呼び出す。
「さーて、なにを食べようかねー」
 わたしの気分とはお構いなしに、先輩は能天気な声を出す。この人は本当に空気が読めないのではないかという疑念に時々駆られる。だが先輩に会って2ヶ月彼女が悪意なく言っていることは否が応でもわかっていた。
「台湾定食にするけど、黒萩はどうする?」
「わたしもそれにします」
 台湾まぜそばを横目に見つつも、冒険するほどの勇気がないわたしはスタンダードそうな方を選んだ。手錠型端末で注文すると。ぴろりろりん、と若干耳障りのする音とともに注文の受領を知らせる画面に切り替わった。
 「そういえばさあ最近村上春樹のねじ巻き鳥クロニクル読んだんだけどさ、黒萩は春樹ってよむ?」
 彼女の中ではさっきの出来事はきれいさっぱり完結した出来事らしかった。それともひきづっているわたしがおかしいのだろうか。たまにわからなくなる。後ろ暗いことを考えていたことを悟られないようにわたしは思案したふりをして、
「うーん、わたしにはあまり合わなかったので海辺のカフカの上巻だけ読んでやめましたね。なんに付けて性の話をするのがあまり好きじゃなかったので。ハルキストなんですか、先輩」
「ちょっとその言い方はやめてくれまいか」
芝居がかった口調で言って先輩はストップと手を前に出した。
「あのね、私は別に春樹が好きじゃないんだよ」
「それじゃあ」
なぜ読んでるのかと、尋ねる。
「いや、なんていうかな。春樹ってさ水みたいに読めるのよ。読みやすいからするする入ってさ」
「好きじゃないのに読むんですか」
「行動原理を好き嫌いで説明できるほど単純じゃあないよ。まあ正直言って春樹の書いている内容は前期は緊張感がないっていうか」
こうも先輩が歯切れが悪いのも珍しい。わたしは黙って聞く。
「いや、だからね。村上春樹って結局のところ軽いんよ。水みたいにさらさらと読めるのは彼の小説のテーマの軽さの証左になるというわけでは勿論ないんだけど、どうも彼の作品をたくさん読んでいて気になるのは、彼の一歩引いた目線が引き起こす問題に関する登場人物たちの自覚のなさというか、基本的にデタッチメントが癖になっている感じっていうか、それが主題に対してフラットな感じが出てしまうんだよね。特にそれを感じたのはねじ巻き鳥クロニクルなんだけどね、主人公が笠原メイに井戸に閉じ込められるシーンがあるじゃない。そんな場面でも主人公が自分の危機に対して徹頭徹尾フラットな態度なんだよね。そんなわけだからメイは主人公に愛想を尽かして井戸に閉じ込めるわけなんだけどさ。ボビーにこの話をしたらさ、そりゃあんまりな対応だ、って言ってたわけよ。でもね、わたしはこの主人公のこういう態度が嫌いなの。こんな奴井戸に閉じ込められて当然だっていったわけ。そしたらボビーは私に向かって、人間には物事には距離をおかないとやってられないときがあるんだっていったわけよ。どう思う、これって。わたしはこの主人公嫌いだよ。二回目になるわけど。こんな生きる気もなく周りの顔色ばっかり伺って万事をうまくいかせようとしている、なあなあの姿勢はいやだね。」
先輩は一息にこんな話をした。よくもまあ息が持つものであると感心した。
わたしは自身の心の暗雲を払うように、
「春樹を水みたいに私は読めませんよ」
と冗談めかして言った。
「私みたいに一日一冊読んでいれば、春樹なんて水どころか空気だね」
 むふー、と自慢げににっこりした。じゃれあうようなテンプレートな会話の応酬。一息に話過ぎたことを気にしているのか、彼について話したことを反復してしまったような気持ちになって、それに気がついて話をやめたのかは判断しかねた。まあ、彼女に限ってそんなことはないだろう。
 私は本を読むのがそんなに早くない。目に飛び込んでくる文字と意味をしっくりくる形に結びつけるのに時間がかかるタイプのようで、文学作品みたいな意味が多重のものほど遅くなる。そんなわけで先輩みたいに本が読める人間がいるということに、世の中いろいろな人がいるという当たり前の真理に行き当たる。
 先輩は口を開く。
「最近の若者はだめだね。本もろくに読まない、映画は見ない、スマホばっか触る。」
冗談めかして先輩は言う。
「先輩も若者でしょ。」
と笑いながら私は返す。
「ボビーさんとか浅倉さんは結構本読んでそうですけど」
 東大の中での知人はボビーさんと浅倉さんという人らしい。ボビーさんはコンゴから留学した留学生の男の人で先輩の良き友人。浅倉さんは女性で先輩曰くカミソリみたいに鋭い知性の持ち主だと言う。先輩をもって言わしめるのだから、そうとうな切れ者なんだろう。わたしは浅倉さんと偶然一度だけあったことがあった。抜き身の刀のような鋭い雰囲気をした人だった。
「そうだねー。ボビーも浅倉も読書家なんだけどベクトルが違くてね。ボビーはどちらかといえば文学的な匂いが強い人間なのかなあ。そこが自分と趣味が違う感じでね。彼は日本の純文学が好きならしい。反対に浅倉はド理系すぎてマッドサイエンティストだから、人間みに欠けてさ。前に本の趣味を聞いた時なんてさハーバードサイモンやらグレッグイーガンやらリウツーシンやらド理系の本の趣味でさ。その癖ディックとかはファンタジー色が強いとか言って、あんまり好きじゃないらしいのよ。ちょっと趣味が偏りすぎじゃないかって指摘したら本人曰く偏りこそが狂気を生み、真の創造性を生むだのうんたらかんたら。天才と狂人は正に紙一重って感じだよね。」
話を遮るようにご飯が届く。
「お待たせしました。台湾定食二つです」
配膳ロボットがもうもうと湯気の立った魯肉飯と、小籠包が入った聖籠が2人分運んで、くねくねと器用に腕を伸ばして、私と先輩の目の前に台湾定食を置く。
「美味しそう」
私は思わずこぼす。先輩は話を遮られたことも気にせずに、目の前の料理へ好奇の目を注いでいる。
「では、頂くとしよう!」
合掌。
「いただきます!」
「いただきます。」
濃い目の肉のブロックとそれに合う白米。口の中に放り込んで味わう。脂肪の甘みが口の中に広がる。さっきのとげとげとした感情が氷塊していくように感じる。わたしは先輩がどうわたしを思っているのかということよりも、わたしの先輩への反発するような感情が表に出てしまう前になくなってしまったことに安心した。
「最近さ、人工知能の考え方の基礎に立ち返ろうと思ってね。アラン・ケイとかチューリングとか読んでいるんだけど、なかなか面白いのよ。正直研究内容とはあまり関係内容も多かったけど。そこでよく聞くチューリングマシンの話が出てさ、そのチューリングマシンを構成する要素は長さが無限大のテープとそれに読み書きをする装置と左右に動くヘッタとテープを左右にシークする有限オートマトンからなってねえ。現在使用されているコンピュータの動作原理はこのチューリングマシンにのっとているんだけど、これがとても示唆に富むもののでね。おっとその前に」
そう言って一呼吸置くと、
「チューリングテストっていうのは知ってる?」
「確か人工知能が人間と同じ知能があるのかどうかを判定するテストですよね」
 わたしはぼんやりと思い出した知識を話した。
「そう。人工知能が正式なチューリングテストを突破したのはは30年前とされているけど、技術的には40年前からチューリングテストの突破は指摘されていたわけじゃん。私たちはただAIが人間と同等、いやそれ以上の知性を持っていることを公に認めるのにあまりにも時間を変えすぎたわけだ。まあ、それは当たり前だよね。だって同等の知性を持っているのなら人間の定義自体を揺さぶる大事件なわけだから。」
「考えてみるとむしろよく10年で納まりましたよね。」
「確かにね。16世紀にコペルニクスが地動説を唱えるまで天動説が2000年近く主流だったことを考えると、スケール的には白亜紀と人類史を比べるようなもんだね」
先輩は嘆息しながら言った。
 2023年を端緒にしたAI革命は強烈な技術的、理論的なブレークスルーを生んだことは常識であるが、その後も年単位で更新される最新の理論と技術に、毎年翻弄され続けるとは科学者も技術者もその当時は心の準備はできていなかった。2050年現在はその加速度的な進歩は若干下火になりつつはあるが、今や研究はAIによる自動生成と人間の合いの子であることは疑いようもない現実である。そして落合の予言は歪んだ形で実現された。わたしの黙考を遮るように先輩の鋭角な質問が飛んできた。
「人工知能に魂を見出す世代のことを世間はシンギュラ世代なんて言っているけど、後輩君はどう思っているの?」
 それた思考を目の前の先輩に戻して答える。
「それは世代についてどう思っているのかということですか?それとも人工知能に魂を見出しているのかということですか?」
「どちらもかな」
「そうですね」
私は口の中の小籠包の肉を水で流し込み、長広舌の準備をする。わたしは3ヶ月の付き合いでも十分ほど先輩の会話のペースを掴んでいた。
「私は現時点のAIは人間の知能とほとんど同等である点と、そのシンギュラ世代にあたる人間だと思っています。シンギュラ世代に関する様々な批判的言説があることは私はもちろん承知してはいますが、未婚とか性的多様性が30年前にスタンダードになったように、認められべき価値観であると思います。そしてそれは今までの流れを考えると歴史の必然のようなものを感じます。そして私もまたコンピューター上の模擬人格を人間だと思っています。小さい頃から私は慣れ親しんできたことですし、私の家のイライザは家族だと思っています。」
「その家族っていうのは犬とか猫とかみたいな感じ?」
「いえ、もう少し兄弟姉妹に近い感じですかね。まあ、わたしに兄弟姉妹はいないんですけど」
「ふむ・・・」
先輩は腕を組んで考え込んだ。
「それは彼らの知性がただ人間の模倣であったとしても?」
「わたしはあまりそこを気にしていませんね。意識のあるなしとか知性があるとかないとかお偉い倫理学の先生方は人間の定義みたいなのでおっしゃりますが、現行のAIの技術の応対の能力が人間と同等であることは疑いようもない事実ですよね。この前なんか私の誕生日を祝ってくれて本当に嬉しかったんですよ。先輩は忘れていましたけど」
恨み節を込めてじっとりした目で先輩を見つめる。
「それは前にも言ったじゃないかごめんって。」
慌てたように合掌して謝る。若干わざとらしいが、愛らしくもあるのが憎い。
「話を戻すよ」
そういってぐびぐびといつの間にか頼んだビールを(平日の昼間なのに)飲むと
「模擬人格はあくまで”模擬(ミメーシス)”なのであって、人間の知性を模倣しているだけどというのが現行のAIに関するコモンセンスなわけじゃん。本当に考えているわけではないんだよ。」
それでもいいの、と先輩は言った。わたしはそれに対して首肯してうなづく。
「それを言うのなら人間もまた模擬人格と同じ演算の処理システムであると考えることはできませんか」
「だから私は前にチューリングの話を出したんだけどね。でも結局のところ彼らには人間と同じくらいのセンサーと駆動部を持った身体がない。そして何より死の概念がない。だから生命と呼称できるものではないと思うよ。いっちゃあれだけど丁寧な指示待ち人間っていう感じだね、今の私のイメージは。見た目も表情も応対も人間。だけどどこまでも薄っぺらい。人間性に肉薄しているようで、どこまでも浮世離れしている。私はそんな風に思う。」
「その人間と人間じゃないものを切り分ける先輩の基準はなんなんですか」
「凄く省いていえば話しが通じるかどうか、ということになるんだろうね」
 色々と省略して先輩は言ったが、言っていることは理解できた。つまりは今の私達のような会話があのAI達にはできない。そういうことなんだろう。
わたしは先輩の意図を知っていたとしてもつい尋ねてしまった。
「でもそれだったら、わたしだって先輩の言っていることの全てを理解しているわけじゃありませんよ」
「確かにそうだけどね。黒萩はいずれ理解するとわかる。だが彼らは理解しない」
「その彼らだって理解する可能性があるかもしれませんよ」
「・・・それはナイーブな期待だね。ないよ」
冷酷にそう言い放った。彼女にそこまで言わせるものとはなんなんだろうか。そこまで冷たく返せるのは自分の専門分野の話を素人に突っ込まれたことへの専門家特有の縄張り意識とは思えなかった。なぜなら何度となく先輩とは議論を戦わせてきたし、それに対して感情的になったことは不思議なことになかったからだ。わたしは彼女のバックグラウンドを詳しくは知らない。特に家庭環境に関してはまったく聞いたこともない。なんとなく地雷を踏んだような気もするが、それでもわたしはこう言わざるを得なかった。
「傲慢ですね」
一瞬先輩は驚いた顔をした。だが、想定内だったのか直ぐに真顔に戻る。
「そうでもないさ。実感を伴った反証に耐えうる経験的真実だよ。」
 先輩の研究内容は言うなれば人工知能に魂を入れることだ。魂をコード化し、それを物理ボディへとインストールする。俗にいうデカルトライズ。なぜデカルトなのかはよくわからない。ある科学哲学者が名付けたらしいが。その行為については科学者だけでなく大々的に世間を巻き込んで議論が起きた。彼らは命を持つはずだった。だが結果は失敗だった。状況は20年前から変わらず、科学屋と技術屋を裏切り続けている。わたしはその文脈を知ってはいるが、正直目の前で実際に笑ってコミュニケーションをする彼女らをみていると、魂があるのかという疑問を持つこと自体がナンセンスに思える。なぜ科学屋も技術やはこうも頑固なのか。そんなにもセオリーの方が大切なのか。わたしには理解できないが、先輩の前ではそれを口にすることは前々からそれなりの覚悟をしてから言わなければならないことだと1ヶ月前の大喧嘩から学んでいた。
 議論に熱中していたせいか、ご飯にあまり手を出していなかったことに気づく。先輩はいつのまにか食べ終わっていた。目の前にいたはずなのにいつ食べたのかわからないのが不思議だった。そんなわたしを見て
「今日は私がお代を出すよ」
「えっ、いいですよ別に」
「いや今日の話。なかなか面白いし、参考になった。後々おつりがくらいにね」
真面目な顔で言うのでわたしは素直に払ってもらうことにした。
 そとはチリチリとした暑さを感じさせた。
「もうすぐ夏が来るね」

 少し経ってからわたしは先輩の考えを完全に誤解していたことに気が付いた。わたしは結局わたしのみたいようにしか世界を見ていなかった。わたしはわたしの愚かさに気が付くのは、本当の本当に手遅れになってからの話だった。











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