弱さの根を掴む

 それはウナギのようにびちびちとはねていて動き回っている。イメージとは違い、生き生きと生命を感じるようなものだ。だが、どす黒い色をしていて醜悪なぬるぬるとした液体をまき散らしもする。
 それが僕の思う弱さである。
 彼らは僕に「寂しいんなら誰かに話しなよ」「別にやらなくてもいいんじゃない、こっちのほうが優先すべきところだし」「理解されなくたっていいんだよ、君は。元々そういう人間なんだから」などと最もらしい言い訳を用意する。
 その声は僕が年をとるにつれ、つまりは理性的になるにつれてより狡猾に、遠回しに僕を乗っ取り、操り、人生を明るいフェードから退屈なフェードへと誘導しようとする。
 そんなわけで、僕は孤独になることを恐れないことを改めて決意した。なぜなら、恐怖も不安も辛さも内側から襲ってくるものだと最近気が付いたからだ。勿論他人から傷つけられることもある。けどそれは本質的には彼らの問題である。僕はそれに対して線を引き、防衛することをいい加減覚えなければいけない。強い言葉を使うのなら、拒絶し差別し排除しなければならない。なぜこんなにも強い言葉を使うのかといえば、誰のためにもならないような遠慮と、気遣いと、気にしすぎであまりにも体力と時間を浪費してきたからだ。僕はこれくらいの極端さを一旦受け入れないと、今の自分を変えられるように思えない。
 そして何より僕自身の目標を達成するためには時間が圧倒的に必要だ。そのためには孤独は避けられないし、周りの目を一々気にしていたら日が暮れる。覚悟が足りない。そう反省する。
 弱さは今日もやってくる。ぬめぬめとしてつかみどころもない姿で。僕はそれを必死の形相で掴みかかり、まな板の上に載せようと努力する。そんな毎日。

 

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