デウスエクスマキナ②

 春の訪れを密かに感じるような爽やかな風の中、わたしはその時下北沢を歩いていた。いつものバイト先に行くためだ。
 薄暗い店内の中を慣れた足取りで歩いて行く。古着屋アールヌーボー。わたしがアルバイトで働いている古着屋だ。働き始めたのは高校2年から。もともと古着に興味があった私は、古着屋でアルバイトしてみたかったから入った。まさか大学生になっても働き続けているとは思わなかったが。友達のあまり多くないわたしにとっていつしかここは数少ないわたしの居場所、心の避難所になっていた。この場所を大切従業員の数は5人と少ない。店長と3人のと、わたしを含めたアルバイト2人。それで回していけるほど店内は狭かった。
「お疲れ様です」

バックヤードには見慣れない顔があった。店長と向かいあって真ん中の机を囲んで話している。ちょうど手続きが終わったところなのだろう。彼女はわたしがドアが開く音に気がついて、振り向いた。
 最初に目を引いたのは、くすんだブロンズのロングの髪の毛だった。髪はうねりを帯びたロングヘア。癖毛なのかどうかはわからない。肩をすっぽりと覆うようなボリュームのあるロングヘアだった。
 そして、なにより吸い寄せられたのは目だった。その目は住んだこともない古びた石畳みの街を思い出させるような、望郷を思わせるような、懐かしい感覚を呼び起こす目だった。わたしと彼女は初めて会ったはずなのに。
 「ああ、新しいバイトの子が来ていてね〜、はい!」
自己紹介を促すように、新しいアルバイトの人を指す。
「ミネルバ•カロリンスカ。大学院生です。年は24。よろしく。」
と簡潔に挨拶をした。落ち着きを払った声だった。心に反響し続ける忘れられない音楽のような、何か歴史的な厚みに近い深い意味をその言葉から感じてしまうような、そんな声だった。日本語の発音に違和感がないところからして日本で生まれ育ったんだろう。
「凄いよね〜、彼女、東大なんだって〜」
「ちょっと店長。」
若干眉をひそめて、店長を諌めた。
「あっごめん」
うっかりうっかり、と店長。彼女は大学のことについて言われること自体を嫌がっている様子だった。そういう人は珍しい。わたしが知っている高学歴な人はどことなく学歴を鼻にかけている節があったからだ。それをしない彼女に何となく好感を持った。
「そんなわけで、新しく入ったわけだから、黒萩、色々教えてやってね〜。彼女ベテランバイタ〜だから」
ベテランバイタ〜ってなんだ、と店長は自分で自分につっこんで爆笑した。
彼女はそんな店長に慣れていないからか、困惑していた。
「あっ、大丈夫です。これが店長の平常運転なんで。あとシラフですよ」
「そうなのか。」
彼女は困惑の色を隠せずにいたようだったが、数秒後には無理やり納得したようだった。割り切りが早い人だ。
「そんじゃ、わたしは作業あるから、黒萩はカロリンスカさんと一緒にレジ周りについて教えてあげて〜。巡回の方は南辺がやってるから」

「カロリンスカさん、接客業の経験とかってありますか?」
「いや、ない。」
「じゃあ、最初から説明しますね」
「よろしく頼む。」
そんなわけでわたしは細々としたレジ周りのこと、接客するときに気をつけること、お客さんによく聞かれることとその対処法を話した。こんなところかな、と視線を彼女に戻すとそんなわたしが話しているのと同じくらい、いや気迫としてはそれを上回るくらい凄い勢いでメモを彼女は取っていた。しかも今時珍しく紙の。
「なるほど、わかった。」
そう言って、ペンを仕舞う。
 この分だと直ぐに店には馴染んでくれそうだな、と思った。優秀なのは間違いないし。
 今日は平日ではあるが客足が少ないなと思う。さっきまで服を眺めていたカップルと男性客は特になにも買うことなく店を出ていった。今の店内に人は私達を除いていない。元々この店は穴場のような店であるから、珍しい話ではない。
「いつもこれくらいの客足なのか?」
 よく考えるとわたしは一応この店では先輩にあたるはずなのだが、彼女は丁寧語を使わない。だが、それを不遜に感じるような悪い気が彼女からしないのが不思議だった。むしろ自然なようにすら感じた。
「ええ、そうですよ」
「そうか。」
「そういえば、カロリンスカさんはなぜいきなりアルバイトを始めたんですか?店長には悪いですけど、生活費に困ってらっしゃるのなら家庭教師の方がいい大学をでているのならいいような気がするのですが」
「金銭面の方は私は問題とはしていないよ。それはもう解決している。ここで働くのは別の目的のためさ。」
「別の?」
 古着オタクなのだろうか。
「そう、別の。」
そう言って、視線を切った。それ以上を話すつもりはないらしい。釈然としないままその日のアルバイトは終わった。カロリンスカさんは急いでいたらしく、テキパキと荷物をまとめると店長とわたしに挨拶をして早足に去っていった。
 これが、黒萩咲夜とミネルバ・カロリンスカのファースト・コンタクトだった。





 

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