繋がりと孤独

最近交友関係が増えた。
交友というと友達100人神話がよぎるが、そうではない。単純に会う人の数が増えたということだ。ここ一か月は読書会、プラなろ会、バイト、インディーゲームもくもく会とわりと広々と活動していた。顔見知りの数は増え、大学の孤独を一時ではあるが忘れることができた。
 だが、時は待たない。
 4月からは大学が始まる。僕は憂鬱で仕方がない。まったく興味のない分野の勉強と話の合わない人々というストレスフルすぎる環境が僕を待っている。
 僕は大学を恐れ、そのための備えをしているがうまくいくかはわからない。簡単に言えばサークルを立ち上げたり、サークルに入ったりすることなのだが、まあ詳細は省く。
 この孤独というか孤立は僕に問題があるのか、環境に問題があるのかはわからない。かなりの部分は僕に負う部分はあるとは思うが、やはり環境も悪いと思う。話が兎に角合わないのだ。大学生特有の粗野な言葉遣いとどうでもいい人間関係の話題が苦痛で仕方がない。
 そんなわけでどうしても心が渇いて渇いて仕方がないときがある。会った時に満たされているように感じられる人は本当に限られた貴重な人だと思う。僕の場合は本当に貴重で、指を折って数えられるほどしかいまのところはいない。でもそう人がいるとういことが今のところ力強く生きる支えになっている。昔の自分に教えてあげたい。外の世界は広い。そういう人の存在は心強いと思うがそれと同時に依存してもいけないとも思う。よく言うが自分の心は自分で満たせるというが本当にそうなのか。わからない。自分のことは相変わらず憎いし、社会は憎いし、世界が嫌いだ。社会適応とかクソくらえ。でも一人でいる自分を肯定できるようにならないと世界は地獄だ。それは何度も通った道だ。だけどなかなか難しい。肯定的になるのは。
 そんなわけで僕は生きていることをいつかは肯定できたらいいなと常々考えながら生きている。まあ、満員電車に乗ると全員ぶちまるしたくなるのだが。
 何か方法はあるはず、簡単に投げ出してはいけない。

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