Small World.(執筆中!)

 爆竹が破裂するよな音が連続して聞こえてきた。それと同時にあたしはお腹の辺りの内臓を素手でいきなり引き抜かれたような熱さに襲われた。それが痛みであると認識するのには一瞬のことだった。昔みた映画の映像のように、視界は白黒でチカチカとして時間と空間の認識が激痛のあまり永遠なのか、一瞬なのかわからなくなる。気がついたらあたしは前屈みに倒れていた。
 一瞬意識が飛んでいたのだろう。目を開けると、まず飛び込んできたのは、背中だった。わたしと同じように撃たれたのだろうか。うつぶせに倒れていたのでまず周囲の状況を確かめようと顔を少し上げると、周りにも糸が切れた人形のように十把一絡げらに横になった人々がいた。苦悶の声を上げる人々もいた。これがニュースで最近やっているテロだということに、あたしはやっと気が付き、ぼんやりと意識にかかっていた霧がそこで晴れる。そして顔をあげてしまったことの軽率さにやっと思い至り、顔を下げる。近くに銃を撃った奴がいるかもしれない、焦る心で必死に冷静になろうとする、落ち着け、落ち着け、落ち着け。必死になって状況を整理する。あたしは撃たれた、これはテロだ、ニュースで見た覚えがある確か・・・市民を狙った無差別テロ。最近だと確か1ヶ月まえに井の頭線で起こっていたと思う。増えているとは聞いていたが、詳しいことは知らない。なんで知ろうとしなかったんだろう!いまさらながら後悔する。違う、そんなことじゃない。今は状況を確認しないと!耳に意識を集中させる。周囲からは、同じように撃たれた人の苦悶の声が溢れていた。場違いなショッピングモールののんきなBGM。そして、微かに足音のようなものが聞こえた。それはちょうどあたしの左後ろにあった。
 カツっカツっカツっ。
 ヒールでも履いているのか、やけに固い足音だった。注意深く距離感を探ろうとする。だが、そんなことをする前に
 銃声の音が響いた。
 撃たれたのはあたしではなかった。
 さっきの銃撃で生き残っていたを撃ったのだろうか。わたしは極力身動きをしないままに、首だけをほんの少しだけ動かして、前にいる人の肩越しに銃撃犯の姿を見た。
 その男なのか女なのか銃撃犯は、立体ホログラムを顔の周辺に立ち上げていて顔は見えなかった。気味の悪いことに、その立体ホログラムは顔のバランスがいびつに崩れていて、輪郭はでこぼこ、目、鼻、口の形なんて全くといっていいほど揃っていなかった。そこでわたしは高校生のころの世界史で習った有名なキュビズム画家のゲルニカという絵を思い出した。このショッピングモールの地獄さながらの風景。そしてゲルニカ。奇妙な一致だった。
 撃たれた部分、左の脇腹が気になってつい触れる。あたしは今まで感じたことのないような激痛に脳みそがガンガンとなるような感覚に襲われた。まずい、臓器を痛めているのかもしれない。一瞬絶望的な気分になるが、思い直す。死んでたまるか。あたしは奥歯が砕けるんじゃないかっていうぐらい強く嚙みしめて激痛に耐える。意識を飛ばすんじゃない。銃を撃った奴はまだ近くにいる。油断はできない。あたしは救援される可能性に希望を委ねて、自分ができるであろう行動を飛びそうな意識で必死に考える。
 コツコツコツ。銃撃犯は私から向かって右に移動していった。視界から切れてしまったので耳を凝らす。
 断続的にだが銃を発射する音が聞こえる。どうやらあたしを撃った奴は、ご丁寧にも一人一人死んだかどうかを確認して回っているらしい。その事実に救援で助かるかもしれないという一筋の光を見ていたあたしは、真っ暗な井戸の底に落とされたような気分になった。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 まだ死にたくない。なんで。なんで。なんで。なんで。
 死にたくない。
 5mほどだろうか、あたしからそれくらい離れた先で、同じように死に損ねた人間が憐れみを誘う声で「やめてーー!!」と若い女性が叫んでいた。死を待つだけの状況に気が狂ってしまったのか、それじゃあ自分から殺しに来てくれと言っているようなものだ。声と同時に銃声。銃撃犯はどうやらわたしの見えないところから振り返って叫び声を上げた女性を撃ったらしい。声はもう聞こえなかった。
 女性には、天井からの照明がスポットライトのように当たっていて、目が合ってしまった。口はだらしなく半開きになり、昔見た海に打ち上げられた嫌な匂いのする死んだ魚のような目をしていた。真っ白な蛍光灯にスポットライトのように照らされた血塗れの人間は、この消費社会を象徴するショッピングモールにはあまりにも場違いで、悪夢めいていた。ぼんやりとした頭で考える。あたしもこの人たちの仲間入りをするんだろうなあ。そんなあたしらしからぬ考えを考えてしまったことなのか、いずれ失血死で死んでしまうであろうことが目に見えている事実に絶望したのかわからないが、気がつけば涙と鼻水で汚らしく顔中を汁まみれなっていた。
静寂の中で、コツコツコツと足音が響く。こちらへ近づいてくる。
 神様、いるのならどうかあたしを見逃してください。
 あたしの周りには数名人はいた。声を出さないように必死に耐えているのか、それとももう死んでしまったのかどうかはわからない。その中の一人が失禁したのか、太もものあたりに生暖かい液体の感触があった。不快に思う余裕もなかった。コツコツという足音は尚も迫る。あたしは恐怖のあまり声が出ないように、目の前に置かれていた他人の拳を口の中に突っ込んだ。足音は近づいてくる。
 なぜ、どうして、女のあたしを狙うの?振り返って考えれば、最後まで殺されていたのは、老人、子供、若い女性などの社会的に弱い存在だった。テロをするような連中はどいつもこいつも自分より弱いと思っている人を狙う。そんなXで見たことを思い出す。自分勝手な連中で、そんな奴こっちを巻き込まずに勝手に死んでいればいいものを、人を巻き込んで死ぬらしい。ああ、本当に勝手だ。ああいう連中はぱっとしない人生を自分が選んで歩んだことを認めたくないから、他の人にせいにしたくて仕方がないんだ。報道で見たどの犯人の顔を見てもそうだった。ぱっとしなくて、太っていて、服のセンスがなくてドブネズミみたいな色をしたセーターを着ていて、顔立ちも目鼻がちぐはぐで、ブサイクで、脂ぎっていて汚らしい。弱者男性というベールのもとに自分の弱さに対して、クソみたいな自己肯定をする。はっきり言って存在が気持ちが悪い。あたしは、急速に湧き上がる憎悪に自分でも驚いていた。あたしの心は、もうすぐ死ぬというのに憎悪と悔しさでいっぱいだった。
 あたしの下へと足音は迫る。目をつむったまま、息を潜める。
 もう、いいかな。
 あたしは、死という現実を前にして生まれて始めて「現実に対して戦う」という態度をとることをやめることにした。それは人生の中で始めてことだった。振り返ってみれば、人生で心が休まることなんてあっただろうか。常に競争、競争、競争。
 競争は性にあっているのは自覚していたが、二度も大きな挫折を経験しその信念も揺らぎつつあったんだと思う。でも持って生まれた性格っていうのは変え難いもので、あたしは相も変わらず自分を矮小な方向へと押し潰そうとする外圧に対して、強い意志を持って立ち向かうことをやめなかった。それは称賛されるに値する態度だと思う。勝てる人間なら。
 あたしは勝てなかった。はっきりと言ってしまえば負け組だった。周囲は慰めの言葉をかけてくれた。だけど、はっきりとは落胆はされないものの「あなたはその枠で収まるのね」という感じでなんとなく見られることはこの上ない屈辱だった。そんなこともあって、大学生になってあたしは自分の中の過激な部分に対してどういう風に折り合いを付ければわからなくなってしまった。人からとやかくいわれるのは正直言って構わない。だけど、自分だけは常に裏切れない。舞台の上ではあたしは一番を張り続けなければならない。それが限界であることは、1回目はバレー部で、2回目は受験で思い知った。
 そして、意味のないことだけど、あたしが大切だと思う人に祈ることにした。もう会うことはないであろう人々に。


「  」
 わたしはセルペンスインダストリーのCEO、ロバート・レスラー氏の演説を聞きながら、その時呑気に納豆をかき混ぜていた。朝はいつも民放の政治ニュースを垂れ流しながらご飯を食べることを習慣にしている。わたしの大学の専攻のせいもあってか、毎日取り敢えずは政治には触れるのが無意識の習慣だった。個々人が好きな番組を見る時代に、そんなことをしている大学生は希少種だろうけど。
 ロバート・レスラー。今や日本で知らない人はいない有名人。その人柄は日本人の持つ典型的なアメリカ人像だった。エネルギッシュで活発、行動的で自信家。常に笑みを湛え、ハキハキと喋る。わたしが高校の時に教わっていた英語の先生に雰囲気は似ていた。アメリカ人の知り合いがいないからわからないが、こんな人ばかりなのかしら、と偏見を強化する。ずずずと納豆とご飯のコンボを決め、締めの味噌汁を啜る。大根とにんじんと適当に切った野菜の味噌汁。料理は面倒だが、外食する余裕もない。そんなわけでとにかく手を抜きに抜いてご飯を作るのが習慣になっていた。
 ふと時刻に目を向ける。9:20。少し急いだ方がいいな。わたしの家から大学は自転車で30分ほどである。朝が苦手なわたしは「早起きできないわたしが1時間半もかけて通学なんて単位を落とすぞ」と両親をゆすって、近くのボロアパートに住むようにしてもらった。そんなわけで、10:40から始まる2限に9:00に起きても間に合う優雅な朝を過ごすことができている。少しペースを早めてご飯を食べる。最後に残しておいた卵焼きの甘さを味わいつつ食事を終える。手首につけたHandlerを起動して、手首を回して壁に貼り付けたペーパーテレビのチャンネル操作画面を切る画面を出す。
Would you like to switch it off?
人差し指を引いて立体ディスプレイのテレビを消す。
押し皿を洗い、寝巻きから、ちゃんとした服に直し、歯を磨く。ボサボサの髪の毛を整える。でもボサボサ。こればかりは仕方がない。

外に出る。空は、心に沈澱した煤みたいな暗い気持ちを吹き飛ばすような5月晴れだった。
「よし、いっちょ行きますかー」
誰にともなく、掛け声を出し、ペダルを踏む。ギコギコ。
 わたしの大学はお茶の水にある。お茶の水女子大学。そこそこ名門の女子大ではある。欠点は男っ気がないこと。お茶の水を通る道すがら、秋葉原を通る。人の通りが疎な秋葉原の景色を眺めながら、通学が好きだからいつもこのルートを通る。朝の澄んだように感じられる空気が頬を撫でて気持ちがいい。まあ所々わたしの知らないアニメーションのキャラクターや、映画の宣伝が大掛かりな立体ディスプレイで投影されている。道行く人にアルゴリズム通りに愛想を振りまいているキャラクターを、通りを歩く人々は日常の光景として受け流して歩いている。時に観光客なのか英語でわんだふぉーなどといいながらHandlerでカメラ機能をONにして、手元の携帯端末で写真を撮っている。じきにスマートフォンも網膜ディスプレイへの投影によって置き換えられるんだろうな、と時代の流れの速さを感じつつペダルを漕ぐ。テクノロジーの進歩は加速的と言っても過言ではないのに、未だに傘と自転車と自動車は進歩しないのが不思議だった。一時期流行った電気自動車は、結局のところ化石燃料の燃焼によって得た電気の総量と対して変わらないというなんともロマンのない結論にぶつかってしまい、結局のところハイブリッド車の普及率の方が上がった。人々はクリーンという正義を覚えてしまってしまった後には、ガソリン車へと逆行する勇気はなかった。こんな事では、ブレードランナーみたいに空飛ぶ車が日常の光景になるのは遥か先のように思えてくる。
 お茶の水駅の近くに広場があるのだが、彼はいつもそこで俯きながら不味そうにカロリーメイトを食べていた。毎日何かに耐えるような顔でその固形燃料を食べていたので、自然に顔を覚えていた。声をかけるような度胸もないので、目線を向けて通り過ぎるだけだ。顔だってたぶんわたしが一方的にしか知らない。彼はいつも地面を見つめたままだった。ある時、なにかのタイミングで彼の表情をまともに見た。その表情が何を意味するのかをわたしはよく知っていた。友達がいないんだ。それじゃあ、わたしが友達になってあげるよ!なんて少年漫画的世界観でもないのだからできるわけでもない。そんなわけで、わたしは彼を視界の端に捉えては今日も道を通り過ぎた。
 大学の駐輪場に自転車を止める、一号館の方へ歩く。
「おはよー!」
ブンブンと手を振りながら笑顔のなぎさは走ってきた。
「おはよっ」
わたしも釣られてテンションの高い挨拶を咄嗟に返そうと手を振り返すが、出来損ないのハイルヒトラーみたいな感じになる。
「あははっそんな無理しなくていいのにー」
それを見て、二ヘラとしながらなぎさは返す。流石は親友、わたしの心の機微がわかっている。若干恥ずかしくなったわたしへのフォローに親友の気遣いを感じる。
「いや〜憂鬱だねえ、英語の田辺は」
唇を尖らせ、眉を顰めていかにもウンザリだよ、という顔をしながら
「課題が多いっていうか」
「それは、頭頂部の湿気のことではなく?」
「いやあ、そうじゃなくてさあ、一々自分の感情を交えたエピソードトークをかまされるの嫌じゃない?」
 なぎさと並んで歩く。英語2の田辺教授は
「まあ、言っていることはわかるけど」
情報経済学の田辺教授は苦労話が長い。時々ウンザリすることもあるが、わたしはそこまで苦にはしてなかった。別に必修じゃないからそんな風に考えたこともなかった。
「そういえばさ、最近新しくでたLumiere proって買う?」
「いやいや、入学したので十分だし、なぎさのやつ壊れちゃったの?」
「いや~なんか調子悪くてね、中のジャイロに問題があるのか頭を動かすしても画面がついてきてくれなくてね~」
 Lumiereの最新型のスマートグラスはLumiere proは中のジャイロが優れていることで有名だった。中国のUniverseに比べるとやはり追随性能や目線センサーの技術だと頭が抜けていた。
「今度一緒に買いに行かない?」
「えー、1人で行きなよ」
「頼むよ〜、わたしそういうスマートデバイスに詳しくないんだよ〜。」
「しょうがないなあ」
そんなわけで一週間後に買いに行くことが決まった。
 なぎさは違う学科、電気工学科ではあるが一般教養の経済学では偶然一緒になった。同じ大学ではあるが、これが意外と顔を合わせない。
「今日は少し政治に片足を突っ込んだ話をします。」
「先の大地震があったあと、日本はアメリカと条約を結び、借金をしてこの国をたてなおしました。もちろん日本は貧乏ですから返済金額には到底及びません。そんな日本に助け舟としてアメリカは条件を出しました。情報交換条約というやつですね。日本国民の行動余剰データを貨幣価値に換算して返済金額に立て替えてくれるというものです。」
 そういうと遠い目をしながら窓の外を眺めた。
「もう15年前の話ですか。君たちは生まれてはいるけど、まあ・・・覚えてないでしょうね。」
 そう言って教授は水を一旦飲む。
「それでもまあ、日本の有識者からは反発が出るわけです。もちろん諸外国からも。これはデータの搾取を通じた新しい形の帝国主義だとね。アメリカ側は勿論反発を予測していたのでしょう。情報の重要性を5段階にレベル分けして、その中でもレベル1、レベル2の情報を日本から提供して貰うように決めたわけです。」
わたしはpdfで配布された資料を眺める。ピラミッド型の図がのっている。
「そんなわけで日本は情報産業の分野における実験場に期せずして選ばれたわけです。勿論情報レベルなんて私は欺瞞だと思っていますがね。」

「昨今脳に埋め込んだマイクロチップを介して、人間の脳みそ自体をインターフェースにする技術がようやく実証段階に入ったことは君たちもよく知っているでしょう。人権的な問題はニュースでも報道されているとおりですが、人間の思考パターンネガティブなのかポジティブなのか、脳の局在的な領域の働きをマッピングする技術はもうできています。思考そのものイメージそのものを鮮明に写し取る技術はまだ現れてはいませんが、それもまあ時間の問題でしょうね。生成系のAIを使ったソフトウェアの精度はどんどんあがっていますし。その中でも極めものはマイクロチップを埋め込んで睡眠時間、生理周期、食事排泄サイクルその他もろもろのデータを提供して金銭を得ることですね。そんな情報と金銭の交換行為、いわゆるPI to pi(personal information to personal interact) といかいう。こんなカッコつけなくても僕はいいと思うんですけどねえ。おおっと5分オーバーしていましたか。今日はここまで。」
 授業も終わり、わたしはバイトに向かう。わたしは特にサークルにも入っていないので、直ぐに向かう。一旦運動系のあるサークルに入ってみたことはあったのだが、あまりにも周囲の人に合わないからこりゃだめだ、と思いサークルに入るのを一旦見送って2年生になってしまった。友達はたまに会う、なぎさくらい。あとはたまに教授とわたしの興味関心の分野で質問攻めにして話す。それが会話というのはあれだけれど、正直おさるさんのような会話のレベルの同年代の人よりも、大人の人の方が話しが合うというのがある。そんなわけでわたしは全体的に大学に馴染めていないのだと思う。そしてそのことに孤独感を覚えていたことも確かだった。かといってその状況から抜け出すような気合もなく、ダラダラと毎日が過ぎていた。ただ、わたしは国家資格である情報管制官になるという目標があったし、基本的に情報管制官の試験合格のために費やしていたわけだから暇な時間はなかった。わたしがバイト先にフラクタル社を選んだのも情報管制官になる前の社会勉強の一環だった。
 フラクタル社は大学から少し歩いたところ、つまりは秋葉原にある。雑然としたビル街の一攫、アマチュア無線やらコンデンサーやらコンピューターの部品やらが雑多に混成する電気街から少し外れたところにそのビルはある。わたしは大学を終えると、御茶ノ水にあるキャンパスからその場所へといく。
 気味が悪いほど整然と整理されたオフィスの中に入り、いつも通りに席に座る。Handlerの生体認証で自分のパソコンにログインし、情報管理システムを立ち上げる。ここからはいつもの流れ作業。AIが判断した情報のクラスが正確なのかどうかを確かめる。フラクタル社が扱っている情報は主にレベル3の中でもなかなか扱いの難しい顧客のビッグファイブ分析されたデータだ。ビッグファイブデータは個人の性格分析において優秀な分析方法であるため一時期はレベル4にまで引き上げたほうがいいのではないかという議論はあったものの、個人の性格程度のデータが企業や国の機密情報に重要性で劣るという結論にお偉いさんたちがなったために結果レベル3のままである。
 フラクタル社は原材料としてのデータを下請け先から提供してもらいそれをビックファイブ分析をして、他社へと売りに出すことで収益を得ている。ひとえにビッグファイブ分析といっても、フラクタル社は一味違ってその分析の性格さと具体的にどのようなアプローチでセールスをかけたらよいかという分析も付随して行うことで他社との差別化を測っている。そんなわけでフラクタル社は業界内でもブラックホース的な扱いを受けるベンチャー企業となった。データの重みづけを間違えると性格なビックファイブパラメータはわからなくなる場合があるため、そこはAIが判断した分析と実際のデータを照らし合わせて正確さを人間が判断する。まあ、大半は致命的なエラーなんて出ないわけなので、わたしのようなアルバイトがその役職に当てられたりする。ゲーム業界でいうデバッグ作業のようなものである。たまにわたしたちの存在意義を疑ってしまう。AI革命は大半の知的作業から人間を追放し、そのAIのメンテナンスへと人間を追いやった。
 休憩に入り、バルコニーへと出る。チーフがいた。
「どう、大学の方は」
「まあまあですね」
「サークルとか入ってなかったよね」
「そうですね」
チーフはタバコをじっくりと蒸かし、煙を吐き出す。わたしもつい煙の先を目で追ってしまう。彼と目が合ってしまうと一瞬怖くなったが、目は合わなかった。チーフは眼下の街を感情のない目で見下ろしている。
「文学サークルとかないの?」
「うちの大学理工系だし、ありませんよ」
「そっかー」
そういって、上を向いて伸びる。彼が変に追求してこないところにわたしは安心した。
「モカ吸うのにわざわざ屋上まで行かなきゃならないなんて、本当に不自由な世の中だよ。」
苦笑しながらタバコの箱を振る。
「しっかし君もモノ付きだね。いつもわざわざ屋上まで来るなんてさ。」
「ここに来ると気分がいいんです。あの真っ白いオフィスにいると気が休まりませんから」
「こっちはこっちで落ち着かないような気もするけどね。」
「どういうことですか?」
「いやさ、こんなコンクリートの建造物の単純なパターンの繰り返しを見ているとなんだか僕たちが行っている営みってなんなんだろうなあと思うことがあるわけだよ。」
 都市の繰り返しパターンはフラクタル構造なのだろうか、ふとそんなことを考える。
「考えたこともありませんでした」
なんとなくの同意の気配を示しつつも、そう返す。
「僕たちが行っている仕事ってさ、結局のところ個人情報を使いやすい形に加工して売りに出しているわけじゃん。それがどこでどういう風に使われているのかとか、そういうことはクライアントの側で考えられるわけだし。」
「営利目的で使っているんじゃないですか?ビッグファイブ分析のデータはb to bで用いられるものじゃないですか。その審査も厳重だと聞きましたが」
「確かにそうなんだけどね。別に僕らはデータを渡した後まで監督しているわけじゃないんだ。保護者じゃあるまいし」
「それを気にする人が社内にいるとは思いませんでした。」
「心外だね。僕はこう見えて色々考えている、繊細な人間なんだよ。」
チーフは堂々と言い放つ。
わたしが停止しているのを見て、慌ててチーフは付け加える。
「あーいやっ!冗談だからね!」

「ここで働いている人達はなにを考えて働いているんですかね」
「さあ、一人一人に聞いて回ったら?」

 家に帰る。鍵を開け、中に入ろうとする。誰もいない正気の抜かれた部屋。死んだ部屋。美しい廃墟を見た時の感慨に似たような、ただ人間がいないというだけで事物という側面を強烈に放つ部屋。わたしというマエストロは彼らに生命の伊吹を与えるべく、Handlerをつけた右腕の手首をひねるように回す。
 ティロンという軽快な音とともに、部屋の灯りやらテレビやらが次々と点灯する。スマートデバイスとはよくいったものだが、Handlerを首領とした中央集権国家をデバイス間でつくっているに過ぎない。エアコン、テレビ、アシスタントAI、昔は各デバイスごとに固有のスイッチが付いていたらしいがそんな原始的な手段でデバイスを操作をしていたなんて驚いてしまう。
「あー、づっかれたー。」
 わたしはベッドへとダイブする。他の人には絶対に聞かせられないような濁声で言う。ウヒヒ。
 ちゃんとした人間のふりをして生きていくのは本当に疲れる。
 そうだ。少し眠ってからもろもろの家事はすることにしよう。そう決めてわたしは安心感に満たされたまま瞼を閉じる。
 23時。寝過ごした!えーと19時に帰ってきたわけだから4時間も眠っていたのか。うーん、やってしまった。急いで起き上がり簡単なご飯(味噌をつけたきゅうりと解凍したご飯、きのうの生姜焼きの残り)を作り、食べる。ふとベッドに目を向けると、メイクを落とし忘れて眠っていたからか枕カバーにはミイラというよりは聖骸布の如く、アイシャドウが付いていた。うげえ、と思いつつ、枕カバーを外し洗面所へと持っていく。そのついでに体を洗う。明日のための準備を軽くして、もう一度寝る。
 今日も今日とて最悪の寝起きで目を覚ます。のろのろと朝餉の準備と朝の準備。今日の朝ごはんは昨日の倍簡素になった。白米、納豆、茹でたほうれん草。以上。低気圧なのか昨日の三割増しで朝特有の気持ち悪さがあった。だからといってもあれだが簡素にご飯は済ませる。
 いつものようにネット放送で、ネットニュースをザッピングする。わたしの有名人の不倫、わたしのよく知らない人の政治資金問題、   これからの人生で絶対に交わることはないであろう人達の問題。正直どうでもいいと思わないこともない。だが、情報技術者試験において一般教養の項目が少しある以上は文脈が理解できる程度には世間のことは知っておかないといけない。知らんけど。
「おはよ〜!とう!」
なぎさが出会い頭に軽く肩にタックルしてくる。むず痒い恥ずかしさに襲われるが、挨拶を返す
「おはよ」
にしし、という感じでなぎさが笑う。ちらちらと私たちの横通ったビジネスマンたちが目線を向けていた。まったく恥ずかしい。こっちの気も知らないで。まったく、まったく。

「今日は、前日にお話しした pi to PIについてお話しします。




「君なにしているの」
 驚いたように青年は顔を上げた。特徴的な顔をだった。ピカソの絵画を想起させるような左右非対称。バラバラな目鼻口のパーツ。一瞬目をそむけたくなる誘惑に駆られる。一瞬目が泳いだのかもしれない。動揺を悟られないうに思考を彼に集中する。
「な、な、なにって」
吃音があるのだろうか。わたしはあえて口を挟まずに黙る。
「・・・・」
彼が話す様子もなかったからしょうがなくわたしは口を開く。詰問口調にならないといいのだが。
「いや、同じ大学生っぽいし気になるなあと。いや、毎日ここ通学する時に通るんだけどさ、いつも君見かけるからさ。今日は朝見たときと同じようなポーズ」
 疑問の表情でわたしの顔を彼は眺める。お世辞にも顔立ちがいいとは彼の顔は言えなかったが、なぜか目を離せないような引力があった。
「そんなことで?」
 先のはただ動揺していただけで、どうやら吃音持ちではないらしい。
「いや、朝から夕方までここで座っていたら誰だって気にはなるでしょ」
「・・・それもそうか」
「サボりにしては気合が入ったサボりかただけど」
「気合が入ったって・・・」
まずい、どうしたん話聞こかみたいな感じになってしまう。
「君ってどこの大学なの。ここらへんってなるとあれとあれとあれになるわけだけど」
そもそも彼は働いていないという可能性も考えたが、
「日教の文学部ヨーロッパ哲学専攻」
わたしは一瞬羨ましく思ってしまった。
「役に立たない学問さ。真理なんか知っても何になるわけでもない」
 確かにこの2035年の現代。文系の衰退は著しい。共産主義の亜種のような空疎な革命理論のムーブメント、人工知能を政治的意思決定に据えれば上手くいくという言説、玉石混交の思想的奔流の中で行動に結びつきにくい哲学は影に隠れていた。









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