そりゃないよコーチ

半年ほど前だろうか、
会社でコーチング専門家の話を聞く機会があった。

キャリアアップ研修だとか、そういうお題目だったはずだ。

40人ばかりの受講生の前に立ったスーツ姿のコーチは、
「すべての答えはあなたの中にあります」と口火を切った。

それを見つけるお手伝いをするのが私の仕事なのだ、
と語るコーチの口角は、テレビで見た
全国接客コンテストを思い出させた。


カリキュラムは、2人組のペアをつくるところから始まった。

私のバディは英語が得意で、姿勢のきれいな才女。

「あなたが好きな本や漫画、映画をひとつ紹介し、
どんな物語が好きかをバディと伝えあいましょう。」

コーチの指示でアイスブレークがはじまった。

彼女は一冊の旅小説を挙げ、
出会いを通じて成長していく物語が好きなのだと言った。

私はひとつの映画を挙げ「誰も悪くないのに、
誰かもしくは全員が不幸になる物語が好きなんだと思います」
と正直に彼女に伝えた。


ところがこれはただのアイスブレークではなかった。
「自分のなかの答えを見つけるお手伝い」は
もうはじまっていたのである。

全員の紹介が終わったことを確認した上で、
講師は、周囲をゆっくり見渡して言った。

「実は、あなたが好きな物語のタイプは、
あなたがビジネスキャリアで
大切にしているパターンを表しています」

一片の迷いも感じさせない言い方で。

なるほど。

私のバディがビジネスキャリアで大切にしているのは
出会いによって成長するパターンです。

なるほど。

わたしがビジネスキャリアで
大切にしているのは誰も悪くないのに、
誰かもしくは全員が不幸になるパターンです。

おかしい。
これは完全におかしい。

ビジネスキャリアで破滅はまだしも、
全滅バッドエンドを志す社員がどこにいる。
社内のとんだ反乱分子だ。

「あなたは弊社にどんな貢献ができますか」
「はい。わたしが入社した暁には誰も悪くないのに、
誰かもしくは全員が不幸になります。」
「それは困りますね。」
「はい。でも誰も悪くないのです。私さえも。」
面談も以上終了。人事もお手上げ。

第一、 誰も悪くないと仕事にならない。
カイゼンもPDCAも無力。


「どうですか」とコーチがまた周囲を見渡す。
扇風機みたいにゆっくりと首を振りながら。

その目はやはり一点の曇りもなく、
「どうですか (ズバリ言い当てたでしょう驚いたでしょう)」
と尊敬と賞賛を期待する輝きに満ちていた。

初手ぶちかましが有効だと信じているあたり、
入学初日のヤンキーと発想が同じだ。

だけどコーチごめんなさい。
私が好きなのは「誰も悪くないけど
誰かもしくは全員が不幸になる物語」なんです。


「苦難を乗り越えるサクセスストーリー」とか
「カミングオブエイジの成長譚」とか
「家族が傷つき再生する感動の物語」とか、
そういう答えだったらよかったのに。

みんなの性格が良い前提で社会の大部分はつくられている。

むしろその前提からあぶれた不良児にこそ、
コーチングが必要なんじゃないかとも思うが、
それはさすがに頼りすぎなのかもしれない。
コーチにも家族がいて、生活があるのだ。

かくして私のコーチング体験は初手から失敗に終わった。

「私のキャリアプランはどうなるんでしょう」
と途方に暮れていると、姿勢のきれいな
バディは首をちょっと傾けて
「んー、きっと大丈夫ですよ」と言った。

性格が良すぎるよ。

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