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『文豪ストレイドッグス』アニメ第59話を終えてのおまけ感想(と考察もどき)

※この記事には『文豪ストレイドッグス』のアニメ及び同時系列までの原作の内容にかなり触れています。
※この投稿を書いている人は投稿日時点で「ヤングエース」9月号掲載分(単行本24巻)まで読んでいます。
※また、今回は考察(?)中心の書き込みになります。史実に触れることもあります。苦手な方はブラウザバックをお願いします。また、考察周りはかなり自由に書いているので「そういう考えもあるのか」程度に受け止めて下さい。受け止めなくても問題ないです。
通常の感想はこちらです。

 いやぁ、こないだのアニメ凄かった。好きな作品のアニメがここまで気合を入れて作られているとこっちまで嬉しい気持ちになってしまいます。製作スタッフの皆さんいつもありがとうございます。見ている最中は感情揺さぶられっぱなしで思うように書けない。特に今回はそういうポイントが比較的多かったので、別の場所を設けて書こうかなと。これでそんなになかったらどうしよう……。ってことでミニ考察と題したオマケ感想スペースはっじまっるよ~。(ちなみにこれを書いてる人は超・考察初心者です)


回想シーンのあれこれ

 今回私が1番印象に残ったと言われれば社長と隊長の回想シーンかな? 声変わり前の声色はあって当然なんだろうけどあの2人はずっとあの声帯のままだと思ってた……。

 とまぁそれはさておき、印象深かったのにはもう1つ、明確な理由がありまして。背景の色彩、めっちゃ鮮やかじゃありませんでしたか? よく見る回想シーンって古い思い出ってのを強調するためかモノクロだったりセピアのタッチになったり画面の端が白っぽくなってるイメージがある。でも今回は現代と遜色のない美しさだった。あの桜並木は最早芸術の領域では? 考察とは全然関係ない内容ですが、個人的にここだけはどうしても書き出しておきたかったのでここで書かせてもらいます。

 長い前置きを書いておいてなんですが辿り着いた答えは、これが2人、またはどちらか片方にとっていつでも思い出せるような記憶だからだと思ってます。ケータイで例えるなら、普通の思い出は写真フォルダの奥底に入ってる思い出ではなく、ケータイのホーム画面に設定している写真みたいな。社長は隊長の動機当てをしているときにそのことを言ってたからよりそう感じたのかな?

軍と戦争の諸々について

 回想の中からもう1か所。出会いの場面において隊長は福地 源一郎と名乗っていた。社長はずっと源一郎呼び。なんならアニメの設立秘話での着信画面もこっち表記だったはず。なぜ最初に出てきた桜痴ではなかったのか?

 まずはそもそも源一郎はどこから出てきた? というお話だが、これは単純。史実のお方の本名が源一郎で桜痴なのだ。『文スト』世界ではペンネーム=本名となっている中史実での本名が出てくるのは個人的に珍しいことだなぁと。

 かといって前例が無いという訳でもない。ここで私が思い出したのが首領こと森さん。周囲からは首領または苗字呼びされることが殆どだが、唯一の例外がある。そう、エリスちゃんだ。エリスちゃんが「リンタロウ」呼びをするのも、史実の先生の本名・林太郎が由来だろう。

 前者は今も軍警所属、後者も過去には軍に所属していた。まだ事例がこれだけだから大まかな推測でしかないが、もしかするとこの世界の軍では本来の名前から改名する風習があった(もしくは現在も現役中)のではないか? 他の隊員の皆さんに関してはどうなのか分からないから本当に妄想の領域でしかないが……。

 あとわざわざ項目に分けるあれもなかったのでここでもう1つ書かせていただきます。隊長が常闇島で瀕死の兵士さんを抱えていた場面でこのようなセリフがあったのが少し気になった。以下のは兵士さんの台詞。読みやすくするために記号を付け足させていただいています。

「死にたくありませぬ、このような地の果てで。国のためでも戦友の為でもなく、虫螻の如く死ぬなど……」

朝霧 カフカ・春河35『文豪ストレイドッグス㉓』p105

 気にしすぎといわれればそこまでなんだろうけど、国や人のために死ぬことができなかったが少し引っかかってしまって。普通戦争ってこれらが動機なような気がするし、実際その兵士さんもそのために戦ってたんだろうけど真実は違ったのかな? 上層部では別の目的があってその目的のために動かされてたとか? そもそも大戦自体分かってない情報が多すぎるし何とも言えない……。気のせいだったらそれに越したことはないんだけど。これは私の気にしすぎだし忘れて。

開かない隔壁の思考実験

 ちょいと関係ない話ばかりで大変申し訳ない。タイトルに考察とつけてる以上少しぐらいは真面目な話をしよう。

 まずは22巻のルールより一部抜粋。

「まず各層の廊下は数十もの『セル』と呼ばれる区画で区切られ通り抜けるには暗証番号が必要となる。隔壁の暗証番号は六時間ごとに変更され、入力を一度でも間違えば永遠に開かない」

朝霧 カフカ・春河35『文豪ストレイドッグス㉒』p92

 うーんスーパー警備。でもこれ永遠に開かなかったら普段廊下を使用するであろう警備員さんが巡回できないのは不便では? もしかすると他の職員さんが通る可能性もゼロではないわけだし。あと隔壁がガチガチとはいえ死体をそのままにするのもどうなのだろうという些細な疑問が……。

 そこでヒントになったのが「セル」の存在とアニメ版でのCGによる立体構図の映像だ。あのオーバーテクノロジー構造には度肝を抜かれました。どうしてあの構造に? と思考を張り巡らせた結果到達したのが先ほどの問の答えだ。あの何故か移動する通路とセルの存在を組み合わせれば注水後の後処理も良い感じに行くのでは?

 つまりは以下の図のように、完全閉鎖されたセルを新たなセルに入れ替え、使えないセルを回収すれば問題ないのでは? と考えた。

セルの移動イメージ
セルの入れ替えイメージ

 とはいってもアニメの映像では大きめのブロックが動いていたから本当にこの動きはできるのかはまだ疑問に思ってしまう。ていうか書いておいてなんだがこれを解明したところで何の役に立つのかと冷静な突っ込みが脳内に響いてきた……。ま、まぁ、あのカッコいいイメージ映像を見せられちゃうと色々なロマン機構を妄想したくなるよね! とかそういうお話です。

 あと注水の下りで思い出したのがドス君の「洪水の試練は神の下僕たるぼくにふさわしいものですが(略)」(24巻p27)の台詞。確か洪水でどうのこうのって神話ではよくある話なんだっけ? パッと思いつくのはメソポタミアのやつとかノアの箱舟周辺かな?

さいごに

 一通り書いてみて思ったのは……普段から考察されてる方って知識量と頭の回転速度が段違いだなぁと思いました。パッとした思い付きで書いてみたはいいものの、どれもパッとしないというか決めてに欠けるというか。しかもオマケ感想としてもかなり中途半端でした。他ももっと色々描きたかったのですが冷静に考えるとこれわざわざ書くのもどうなんだ……という気持ちの方が勝ってしまいます。

 『文スト』は目の前の状況を楽しむのもよし、細かなネタを拾うもよし、天才の思考を追跡するもよしと様々な楽しみ方ができるので本当に楽しいです。また機会(と上手く纏められる手腕)があればこういうのもたまに掛けたらいいなと思ってます。色々と稚拙な部分もありましたが、最後までお付き合いしてくださった皆様、本当にありがとうございました。それではまたどこかで。

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