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強さを褒められたい自分

 小学校の塾でいじめ、いじめられた体験を、親に告白した。暗めな話題の割に、母は重い感じを出さず、逆にいつもより明るいテンションだった。

 私がそれを話そうと思ったきっかけは、母がいじめのニュースを見て、「うちの子はいじめとか何にも関わってこんかったからな。みんなずっといい環境やったわ。」と、言ったから。

 まあ確かにそうやけど、私が傷付いたことも傷つけたこともない純粋な子やと思ってるのかなと思うと怖くなり、言いたくなった。

 私は、中学受験のために私塾で勉強していた時、同学年の女子といじめに関わり、その後その子にいじめられたことがある。立場が変わった根本的な理由は、私がいじめられっ子とも仲良くしたから。女子内の権力関係とかよりも、誰かをハブるとかよくないやろって思ってたから、いじめをやめさせることもせず、いじめられっ子をハブることもせず、いじめっ子といじめられっ子、同じようにハブらずに接していた。

 これが、「権力内のルールを無視している」と捉えられたのか、仲間から外され、いじめられた。

 いじめの内容は、無視、消しカス投げの的にされる、聞こえるように陰口言われる、悪口を書いた交換ノートまわされる、クスクス笑われるとか。いわゆる、「相手が嫌な気持ちになるやろう」って女子小学生が考えうることをひたすら考えてやられてた。

 当時、普通に小学生やったから、傷ついてた。休み時間、人に見つからないように塾のトイレで泣いてた。でも、親にも友達にも姉妹にも言わずに中学受験合格するまでそこで頑張った。

 この体験を打ち明けた時、母は意外そうやったけど、普通に「そうなんや〜」って言った。それに、「私もいじめたこともいじめられたこともあるで?」って言って、「だって、気に入らんかってんもん〜」と言った。

 私はこの反応にちょっと失望し、辛くなった。多分、私は密かに、この秘密を明かした時に「お前は強いな」とか「知らんとこで頑張ってたんやな」とか言って欲しかったんやなって思った。

 ただ、母の言うことでわかることもあった。それは、子供の時に「受け入れられない辛さ」とか、「ここまでされたらきつい」っていうリミットをちゃんと身をもって学ぶのは、貴重で、またそれを経験し、乗り越えてるってことは心の豊かさの一片(相手への思いやりの部分)を耕してるってことやった。

 そして、10年経って、アルバイト先で私はいじめっ子と再会した。その子は周りから信頼を得るのに苦労しているらしかった。目つきも怖かった。体も太っていた。言い方もぶっきらぼう。

 私とのことを覚えているかはわからないが、なんとなくその人の雰囲気に、心の貧しさが現れてる気がした。

 人間って弱いんかもしれんな。

 私は、簡単にはめげないぐらい強く、相手を思いやれる豊かな心を持ちたい。

 これは確固たる夢である。

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