当時の日常と成長

 幼稚園から小学校にあがりました。

片道歩いて40分の田舎の小学校なので歩いていくにはキツかった。

 小学校1年生になったとき。
周りのみんなが何をしているのか分からなかった。えんぴつで何かを書いている。とある日は本を声に出して読んでいる。

そして1人ずつ立って本を読んでいる時間があった。先生からは次はあなたと言われ立たされた。
何も出来ず分からず硬直してしまった。
恥ずかしさと分からない気持ちが入り交じり

そして怒られた。
先生からは「 予習もしてないの?恥ずかしいわよ。もういいです座ってください 」
こんな言葉を言われた

とある日は綺麗な色と文字が書いてある紙を配られた、右下にはおなまえ。名前を書いてあり。
そのまま静かに時間が過ぎた。
何もしない時間が…
その後、紙は回収され、後日再び紙が戻ってきた。
紙に目を向けると〇が書いてあった。

当時の私は小学校にて授業を受けているという理解がなく。
文字も綺麗にまともにかけず、みんなとも馴染めず、ただ幼稚園で一緒だったお友達が何人かいるという感覚だった。

1ヶ月したらある程度の理解は出来てきたが
努力の仕方が分からず、ただ低い点数とほとんど1人で過ごす生活がしばらく続いた。

学校生活にも慣れてきた梅雨頃。
私は高熱を出してしまった。熱を出すと学校を休めるとちょっとウキウキしていた。
だけど、歩いて学校に行った。なんだか寂しくなり泣きながら登校したのを思い出す。
学校について、授業が始まるタイミングでフラッと倒れてしまった。

急いで周りが何かをしている。
熱も計られた。親に連絡するねとやんわり聴こえた。
しばらく保健室のベットで寝ていた。
気がつけばお昼のチャイムが鳴り
周りは騒がしかった。
唯一、傍でずっと見守ってくれてた先生がいた。
保健室の先生だ。「 お父さんが迎えに来るみたいけど心配しないでねっ。先生が見てるよっ  」このような事を言われて、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになった

そして、お迎え来たよ〜と保健室の先生に呼ばれた。私は母の姿を見て安心した。
乳は仕事で来れないので母が迎えに来てくれた。

母は学校の先生に全然授業受けさせて大丈夫なのに、何元気そうじゃん!と言われた。

学校にこれ以上は居られなかったので母とタクシーで病院に向かった。
そこから2〜3日は母の看病のおかげで回復することが出来た。熱が出ると母が優しく接してくれるから嬉しかった。甘えられる喜びがあった。

2世帯住宅でおばあちゃんとおじいちゃんも一緒に過ごしていたので、熱が下がった朝ばぁばとじぃじと朝ごはんを3人で食べる日々でした。
朝食の時間おばあちゃんにいつからお熱があったの?
と聞かれ、私は「 キツかったけど頑張って学校行ったんだよ 」と伝えるとおばあちゃんは褒めてくれた。

その日の夜、お母さんが凄い怖い顔して
「あんたばぁばに余計なこと言ったでしょ余計なこと言わないで 」と怒られてしまった。

そして、それ以降人と話すとき話した内容を誤魔化す癖が付いた。
みんなの機嫌が悪くならないような行動を心掛けること。あとは本当のことは言ってはダメだと。



これが小学一年生の1部にはなりますが私という人間が成長する過程になります。

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?