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クイズマジックアカデミー(QMA)と私~その2

さて、前回の続きの話から。
今日も長いお話になると思いますが気楽に読んでいただければ幸いです。

全国王者来店!

いつも通り会社帰りに浦安でQMAをやりに行こうと思ったある日のこと、なんとそこに当時のランキングトップのまるむーしさんという方がプレイされている!!
え、どうして?ってなったのですが話を聞くと出張で近くに来ていてよく当たる人がいっぱいいるから気になって来てくださった、とのこと。
しかもめちゃくちゃ気さくな方で色々なことを教えてもらいました。
そしてこの方もゲームアップル大和のプレイヤーさんともつながりがあって、この方が東京出張に来たときは大和でQMAと麻雀をやる、っていうことが多くなりました。
この出会いが本当にモチベーションを上げてくれてさらにのめりこむ理由になったのは間違いないですね。
技術面だけじゃなく、攻略範囲もとにかくすごかったから本当にいい出会いだったな~と今でも思います。
そしてじゃあ自分が今度は愛知に遠征しよう!と思った一つのきっかけでもありました。

愛知遠征!

そこそこ自分の存在も認知された、ってのはわかってはいましたが本当に突然決めた愛知遠征でした。
実は新幹線に乗ったのがこれが初めて。
三河安城というのぞみで停まらない駅に行く、という計画性がほとんどなかった愛知遠征だったのですが、とにかく迎えてくれた人がやさしくて、これがきっかけでのちの大型店舗大会の企画だったり、大人数が参加するオフ会が開かれるきっかけとなった遠征になりました。
しかも当時の風営法では愛知はとにかくゆるく、24時間営業が当たり前、っていうのを知った瞬間でもありました。
ここでトッププレイヤーの「いか」さんと出会うのですが、技術、能力面ではこの人に勝てる気がしない、って思った瞬間でもありました。
あと、なぜか愛知に来たらひつまぶしを食べる、っていう謎の習慣が出来たときでもありましたね。
それまでうなぎを食わず嫌いしていたのですが、一番おいしいところで食べればこんなにもおいしく食べられるものか、と感動した瞬間でもありました。w

北海道帰郷!

今度は実家へ戻る、ってことで北海道のゲーセンを回ることに。
ここでも色々なプレイヤーさんと会うのですが、後々に出会うAnswer×Answer勢とはかなり違う人たちでした。
やはりクイズというよりはゲームなんだな、ってことを後から知るのですが本当に面白くて個性的なメンバーでしたね。
KONAMIのゲームってのもあって音ゲーから来た人がほとんどだったような。
北海道も深夜営業で5時までやっている、ってのが多かったのでゲーセン、スーパー銭湯、ゲーセンっていうすごい行動もしてましたね~

家の近くにまさか!?

遠征が楽しくなっていたころ、自宅の近くにあったアミューズメント施設「ウェアハウス市川」ってところにQMAが入荷されます。
しかも当時、自分はここをゲーセンだと思っていなくてショーとかやっているのを聞いてたから全然違うもの、と思ったらまさかのゲーセン。
しかも24時間営業な上に8台の大量入荷。
なので連コイン勢が多く、とにかく空かない。
一回席に着いたらもう離さない!ぐらいの勢いでやるしかありませんでした。
しかもこの後、確か16台に増台されるのですがウェアハウス市川のやり方はとにかく人がいっぱい座るゲームなら大量導入してやれ、っていう方式だったのでのちのAnswer×Answerにも影響します。
特に麻雀格闘倶楽部は30台以上あったような。
それでもなかなか空席は無かったですからね、近くにパチンコ屋さんもあってパチンコ屋とゲーセンのループをしているような人もいたような気がします。

こんな自分にまさか!?

こんな生活スタイルだったのでとにかく一緒にゲームを楽しもう!みたいなノリで付き合ってくれる人とやっていたらなぜか彼女が出来ました。
結構勢いで付き合い始めた印象が強かったのですが、生活道具の半分を彼女の家に持ち込んで生活する、というどうしてそうなった感が強い付き合い方をしておりました。
まぁ、そんな相手だから当然長続きはしません。
で、別れるわけですがそのやるせなさをQMAにぶつけます。
そしてなぜかそのタイミングで仕事が忙しくなります。
でもQMAはやりたい、ましてや24時間開いてる店がある。
ってことで睡眠時間を完全に無くした状態でQMAと仕事をやります。
当然そんな生活をしたら身体が持ちません。
結果これが自分を一生苦しめる病気と向き合う最初のきっかけになってしまいました。
まぁ、自業自得と言ってしまえばそれまでですがストレスをどこにぶつけるんだ、ってのがQMAしかなかった、というのが結果だったんですかね・・・

この最中にも色々な出来事が

先ほどの期間中に色々な出来事があって、そっちのほうがゲームの中では有名な出来事なんですが、自分の中ではどちらかというと惰性で起きたような出来事。
愛知で巨大な店舗大会とオフ会があり、打ち上げの宴会(しかもなぜかMCを気づいていたらやっていた)でめちゃくちゃ盛り上がったのですが、残った記憶はさほどなく、しいて言えば同じくMCをやっていた方が若くして亡くなった、というショックな出来事が今でも残っています。
(覚えている人はしっかり覚えているんだろうな)
次に「賢竜杯」というプレイヤー始動で立ち上がったQMAの大型オフライン大会が開催され、そこの決勝戦まで行ったのですが最後は「いか」さんにボコボコにされたのを記憶しています。
ちなみにこの「賢竜杯」は今でもQMAの大型大会で公式も応援しているイベント。
ルールもとにかく強い人が優勝するようにしよう、みたいな感じで作られた、ってのを記憶しています。
そして2回目の愛知で巨大な店舗大会とオフ会があって宴会も開かれたのですが、その時は彼女と別れた時で他の県の方々に「あれはしょーがない」といっぱい言われた記憶がありますね。w

ついにQMA2が始動する

とりあえず薬を飲みながら生活をしていてもQMAだけにはモチベがあったのでQMAだけはなぜか続いてました。
そして睡眠時間をゼロにしたので仕事がまともにならず休職をすることにします。
でも結局QMAだけはやり続け、気が付いたら続編がついに出るぞ、って話になります。
この時自分は全国ランキングで2位。
まぁ完全な廃人生活してりゃーそりゃーな、って感じでして。
(ちなみに1位の方は毎日12時間QMAをしていました。こっちも同じような時間やっていてそれでも勝てないんだからお互いなかなか凄いことをやっていたんだなぁ、と)
そしてQMA2のロケテストが行われ、いよいよQMA2始動!となります。
QMA1から2へはハードの交換はなくソフトウェアで行われたようなのですが、これが最大の事件を生むことになるとは・・・

QMA2(初期は本当にひどかった)

QMA2が発売され、実際にやってみると人間4人、CPU12人のマッチングしか組まれないことがすぐにわかります。
16人同時が売りだったのになぜ?って思ったのですが、予想通り設計段階でのバグだった模様。
そしてこの時のゲームを動かしていたハードのスペックが低かったのもあってとにかくゲームが重い!
そしてゲームシステムもかなり変更された影響でQMA1とはまるで違うものになっていました。
こんなひどいゲームなのにその時の自分にはそこにしか頼るものが無かった・・・
当然すごい時間つぎ込んで最高ランクまであっさり到達してしまいます。
そしてとある問題がここで発生してしまいます。
そう、最高ランクに到達したらそこからやるものが無くなってしまった、ということです。
一応ポイントランキング、ってのがあるのですが、ゲームを最初に始めるにあたって5つの寮の中からランダムで1つの寮に決められてしまいます。
この寮のなかでのポイントランキングしかないため、誰かをライバルにしてお互い頑張ろう、ってのが出てこなかったというのが一気にやる気をそぐ原因となってしまいました。
これでモチベが無くなり、QMAから完全に距離を置く、という時間が生まれてしまいました・・・

社会はそんなに甘くない

完全に何もしない生活が2か月くらい続いたあと、さすがにこのままではまずい、と復職をしようとします。
しかし、復職のためのプログラムは逆に復職をさせないようなものばかり。
無理くり我慢してすべてをこなして復職したのですが、やっぱり続きません。(もとから自分がやりたい仕事がまったくなかったのも相まって尚更でした)
そして退職、まぁ自然の摂理ですね。
で、ふとやってみたものを振り返ったら・・・?

QMA2が生んだ妙な縁

外に出ないのもまずいな、と思っていった場所はやっぱりゲーセン。
他のゲームの才能は無いって思っていましたから結局QMA2へ。
そしたら色々バグは修正されてちょっとだけまともに遊べるように。
まぁダラダラ遊ぶか~と思ったら一人の女の子がウェアハウス市川に来て自分に挨拶をしてくれる。
(この人がAnswer×Answerにとても大きく影響する!)
なんと福岡から来た、っていう自分の所属していた寮と違う寮のランカーさんでした!
それくらいウェアハウス市川って店がQMAで有名な店になったんだなぁ、と実感した瞬間でもありましたね。
そしてもう一つ、遠征ってのが楽しいものだ、と思い出す一つの瞬間になったのです。


というわけで今回はここまで!
そして次回はいよいよAnswer×Answerに繋がるお話が!

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