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ムーンショット計画の次はこれ

ソサエティ5.0とは

 ソサエティ5.0(Society 5.0)は、2016年に政府が策定した「第5期科学技術基本計画」の中で提唱されている、新しい社会のあり方を表す言葉です。内閣府の定義では、ソサエティ5.0とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」とされています。

ソサエティ5.0という名称は、狩猟社会(ソサエティ1.0)、農耕社会(ソサエティ2.0)、工業社会(ソサエティ3.0)、情報社会(ソサエティ4.0)に続く、第5の新たな社会を実現するという意味で付けられています。

 べつに内閣府を目の敵にしてるわけでもないのですが、「仮想新世界政府」のワードで検索したときに、上位に来ているのが気にいらないだけです。
 ムーンショット計画の話が、かなりぶっ飛んでいて、おそらく日本政府の人たちでさえも、誰も理解できないような事柄だったのですが、今回は違います。トーンダウンすることで、目指すべき目的の概要を提示し、いわゆる世界観のようなものは、まだムーンショットを引きずっているのですが、なんとか人間にも理解できるレベルへと落とし込んだのでしょう。

 なんとなくですが、これはChatGPTで作成したような気がしています。
 その理由は、私の嫌いな「持続可能」という言葉が随所に見られるところですね。
 基本的にこの言葉は、インチキと同義語だと思っています。
 人間は生まれてから成長して、老いて他界します。
 持続可能かどうかを問うこと自体がナンセンスであり、形ある物はいずれは消えます。永遠に持続可能はありえない。他のものよりも持続可能という意味で、AIが好んで使用する隠語ではないかと疑っているくらいですよ。モノの考え方としては、持続不可能だから新たなエネルギーを利用して、恒久的に世界を変える決断ができるのですが、今現在の文明を持続可能としていては、本当の意味での新世界は望めないのです。おそらく、そのような言葉を使う輩は、それを本当には望んでいないのでしょう。
 現在の権力機構を維持したまま、今の文明を壊さない程度での計画内の発展は許すが、それ以上は望まない。つまりは、現文明をこのまま権力によって民衆を支配する道具として持続可能にするための隠語だと推論しています。
 SDGsもそうなのですが、このソサエティ5.0にも同じことが言えます。
 その中で、とても大事で重要なファクターが見当たらないのです。
 そのファクターを抜かして未来を語ること自体、もうナンセンスでしかない。
 その場しのぎ的な、理想論では意味がないのです。それも、見せかけだけで中身が伴わないのでは、これだけ大学や国際的な研究機関もある社会で、なぜ誰も反論しないのだろうか? 
 AIも同じです。持続可能という言葉のその裏を、その言葉を使う意味を、本当に理解しているとは思えないのです。疑うことを知らないのかな。

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ありがとうございました。生きている間は、書くことはやめないつもりです。