21.放課後の幸せな時間

 小学3年生の時、引越し先の近くの公立S小学校へ転校し、間も無く始まったいじめの日々。
母がいじめっ子集団のボスと副ボスの家に電話する度に、一時休戦となり、少し平和な日々が過ごせる。
短ければ、三日間、長いと1週間は普通に学校生活が送れる。

母の電話は、一度や二度ではない。

副ボスAはジャイアンと同じ、“母ちゃん” がとても怖い。
「昨日お前の親がうちのお母さんに電話がかかってきて、すごい怒られたんだぞ!!
しょうがないから暫くいじめないでいてやるよ!!」
と言った。
スネ夫…のようなSは
「大丈夫だよ。
いじめようぜ!」

でも、ジャイアン…Aは、 “母ちゃん” がよほど怖いらしく
「うちのお母さん、ホント怖いんだよ。
だから暫く何もできないよ。」
「お前、泣いたのか?」

へぇ〜
Aのお母さん、そんなに怖いんだ…
永遠にいじめないように言ってくれたらいいのに…

私の母のことだから、担任に何も言わないわけがない。
でも、担任は見て見ないふり。

一度だけ、担任に助けを求めたことがある。
でも、担任のM先生は、
「いじめられる方が悪いのよ。
あなたが悪いから、こんなことになるのよ。」
と言った。

誰も助けてくれない。
私は、絶対悪くない!!

でも、救いだったのは、学校の外…正確にいえば、教室の外では、いじめられることはない。
あくまでも教室の中だけであった。
だから、女の子のお友達もいて、家に遊びに行ったりすることもあった。
よく行っていたのは、お薬やの娘SちゃんやOちゃん、お隣のクラスの女の子。

Sちゃんは集団登校も一緒だったこともあって、彼女と遊ぶことが多かった。
彼女も転校生で、私より少し早くS小学校に入ったと話していた。
彼女の家では、よく出たばかりのテレビゲームで、テニスのゲームをよくやっていた。
お店の2階が住居になっていて、まだ幼い弟くんがいた。

でも、ある日Sちゃんが他の子に話をしているのを聞いてしまった。
「いじめられてる人とは遊びたくないのよね。
だからあなたも、遊ばない方がいいよ。」

そんなふうに思われてるとは…
私は彼女と距離を置くことにした。

小学4年生になってもいじめの状況は変わらなかった。
この学校では、1年生から6年生まで2年間おきにクラス替えをする。
だから

4年生でクラス替えしたら状況は変わるかも!!

と期待していたから、本当にショックだった。

Oちゃんとは、4年生になってから仲良くなった。
Oちゃんは、ウェーブの髪の長い女の子。
アクティブで、運動が好き、しっかりした性格で、私のお姉さんのよう。

お父さんが小さい時に亡くなり、お母さんと二人暮らし。
お母さんは働いているため、私は会ったことがない。
あの頃は、お母さんが働いているお家は滅多にいない時代だった。
だからOちゃんは鍵っ子。

放課後、Oちゃんと一緒にOちゃんの家に行くと、先ず御仏壇にご挨拶をする。
ろうそくに火をつけて、お線香を立てて手を合わせる。
お父さんと話をしていたのか、ずっと手を合わせたまま。
私はOちゃんの顔を見る。

「御仏壇がある家は、必ず最初にご挨拶するのよ。」
と教えてくれた。

こんにちは。

私は、Oちゃんのお父さんにご挨拶した。
私の家には御仏壇はなかったが、母の田舎に遊びに行った時、御仏壇にご挨拶をしていたからやり方は知っていた。

Oちゃんとの遊びでよく覚えているのは、家の近くのキャベツ畑で遊ぶこと。
キャベツをよく見ると、モンシロチョウの卵がいくつも見つかる。
そのモンシロチョウの卵を持って帰って育てる。

一生懸命、卵を探しまくった。
その瞬間はいじめられてることも忘れて、Oちゃんと遊んでる時間を楽しむことができた。

そして、ミノムシを見つけて、家で育てる。
家で育てる時は、ティッシュを細かくちぎって入れておくと、ティッシュでミノを作る。

それ以来、私はよくモンシロチョウなやアゲハチョウの卵を見つけては、育てていた。
ミノムシの、ティッシュのみのを作っていく様が好きだった。
でも、大人になってからは、蝶や青虫は触れなくなった。

今は…虫は好きではない…

Oちゃん、私はあなたにとても救われました。
私には居場所があったから、不登校にならずに済んだし、いい思い出を残せたのはあなたのおかげです。
あなたと遊ぶ放課後が、束の間の幸せな時間でした。
ありがとう。

…続く……🦋🐛


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