「街並み照らすヤツら」は川島雄三の夢を見るか

「街並み照らすヤツら」面白かったよな、という話です。

※個人の感想であり虚妄です。苦情は受け付けません。一部悪口に聞こえたらすみません。
※だんだん支離滅裂になってきます。
※だいたい敬称略です。ご了承ください。
※わたしは旧作日本映画礼賛者です。


●はじめに

ドラマ視聴が苦手だ。

幼少から、芝居1時間半&レビュー1時間でワンセットの宝塚に浸かり、長じてからは基本1時間半で終わる1950〜60年代の邦画ばかり観ていた私には、毎週1時間弱を継続的に視聴するTVドラマは体質に合わなかった。

(つまり、TVドラマ経験値が非常に低い上に浅いので、以下の文章は全てトンチンカンな駄弁である可能性が高い。閲覧注意である)

というか飽きっぽいから途中で少しでも冷めると観るのめんどくさくなって録画を貯めた挙句に視聴をやめちゃうのだ。
世間でどんなに流行っていようがバズろうが基本連続ドラマは全スルーだった。

SixTONESに会うまでは。

…と言いたいところだが、メンバーの出演するドラマは毎週予約して初回は必ず観るのだが、正直途中離脱してしまった作品が多々ある…。
作品は悪くない。良作もありました。ただただ私がDNAレベルで連続ドラマ視聴に向いていないだけである…。

気を取り直して、そんな私でも「束の間の一花」と「だが、情熱はある」は楽しく最後まで観ることができた。
どちらもただただ続きが気になった。

お話がどう転ぶかわからない(基本的に原作は視聴前に目を通さない&ネタバレも見ないタイプ)・結末の予想が自分でつけることができない・作中のキャラクターが予定調和やパターンにはまらず活き活きとしている作品なら良いようである。

そして、今回の「街並み照らすヤツら」である。
ハマっちゃったよ〜。

●「街並み照らすヤツら」は川島雄三だ!

(当作品にまつわる経緯や背景はここでは云々しない。放送開始までは色々思うこともあったが、言っても仕方がないので。オタクはただ「森本慎太郎」を全力で応援&見守ることしかできないのである)

御多分に洩れず、「街並み照らすヤツら」の前半は、イライラしながら視聴した。
出てくるヤツがみんな自己中でうるさくてなんか闇抱えたやなヤツで、従順な犬みたいに愛くるしい森本慎太郎演じる正義クンが可哀想でならなかった。

しかし偽装強盗再びから商店街中に広がる偽装強盗ブーム。狂ったシナリオに狂った登場人物。
確かに正義クン、彩サンのこと優しく真綿の檻で閉じ込めていたのかもしれない。そんなつもりはなくてもそう思わせていたのかも。
アラーキーみんなから嫌われているのかわいそう。
つーか商店街のやつ、暇とはいえ仕事しなさすぎでは?
ええっ、シュン、お前までキレるの!?
園田さんリアルにいい塩梅の「人間」だわ〜。
莉菜ちゃんかわいい。

いわゆる「まとも」な人間が一人もいないヤケクソなグルーブ感。地獄に片足突っ込んだ先の読めない終わらない祝祭感。

これってまるで川島雄三の喜劇映画やんけ!サイコー!

(余談だが、2話後半の、オーブンを見つめながら奥さんとのウフウフ幸せケーキ屋妄想にふける正義クン=つまり慎太郎クンの甘〜い表情が最高である。余談の余談だが、私は「ふたり」MV解禁日に、慎太郎クンの甘く切なく、限りないやさしさと寂しさに「別れ」を漂わせる表情演技にやられて号泣した。慎太郎クンの甘い表情に激弱である。ドラマの話に戻ると、その後のアラーキーたちに現実を突きつけられ、みるみるでかくて硬いいわおみたいな表情に変化するのも最高。実にアップが映える益荒男ますらおである)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E9%9B%84%E4%B8%89

川島 雄三は1940〜60年代に活躍した日本の映画監督。
wikipediaには「日本軽佻派を名乗り、独自の喜劇・風俗映画を中心的に、露悪的で含羞に富み、卑俗にしてハイセンスな人間味溢れる数々の作品を発表した。人間の本性をシニカルかつ客観的な視点で描いている作品が多く、弟子の今村昌平の作品ともども「重喜劇」と称されることが多い。」と記されている(そして時々破綻する、と個人的に思う)。
私の好き映画監督の一人である。

「街並み照らすヤツら」を見ながら、「これって川島雄三の『貸し間あり』や『人も歩けば』やんけ〜」とひとりごちたのだ。
商店街のセットは「青べか物語」(1962年)を彷彿とさせる。
「幕末太陽伝」(1957)ほどすっきりしていないけれど、その猥雑さがかえってうれしい。お子様ランチとガーリックステーキとチョコパフェとナポリタンをぶちこんだびっくり箱のよう。

●人間はみんないいヤツで嫌なヤツ

当今ほどコンプライアンスだの社会通念だのが浸透していなかった1950〜60年代当時(だが、個人個人の倫理観や道徳、誇りは確かにあったと思う)、日本映画にはステロタイプではない独創的かつ個性的などぎつい嫌なヤツ、ダメなヤツ、クズ野郎がたくさん登場していた。
どのくらいダメかというと、さらりとあらすじをお読みいただきたい。
もうクズ人間・ダメ人間しか出てこない。
(ただし、すべての人の背景にでっかく「戦争」があったからこそ、ダメ人間天国に重い意味がのしかかっていることを忘れてはいけない)

(「人も歩けば」はあらすじを貼るとネタバレになるので割愛)

「貸し間あり」(1959)の小沢昭一や山茶花究はしつこくて普通にウザいし、益田喜頓は陰気なクソキモ男だし清川虹子は異常者だ(出来上がった映画を見て原作者の井伏鱒二がすごく嫌がった。むべなるかな)。
「人も歩けば」(1960)の主人公の嫁と姑・並びにライバル役の桂小金治はナチュラルに超嫌な奴らだし、藤木悠は意味不明。
しかも全員演技が達者で才能と技術がスパークし、随所で爆発や衝突を巻き起こし、演出がスピーディーで飽きさせず、小ネタが溢れんばかりに盛り込まれ(盛り込まれすぎて時に本筋が曖昧になる。「喜劇とんかつ一代」(1963)とか「縞の背広の親分衆」(1961)とか)、悪趣味で露悪的でヤケクソでモラトリアムでペーソスに溢れ最後に泣ける。

もうこれは「街並み照らすヤツら」である。
日本映画の黄金時代がここに帰って来た!と言っても過言ではないと勝手に思った。

実際、当たり前のことだが、人間はみんな「いいヤツ」だけど「やなヤツ」である。
「いいヤツ」100%の人間なんていない。どこかしら欠点や凸凹や愛嬌があるものである。
みんな「やなヤツ」と思われたくないから「いいヤツ」になる努力をしていて、日々イラッとしたりニヤリとしたり、我慢を繰り返し時に悶々と生きている。

「いいヤツ」で「やなヤツ」だから、人間は立体的で「生きている」のだ。
人間も人生も辻褄なんて合わないのだ。

「街並み照らすヤツら」と川島雄三の喜劇の登場人物は、みんな少しだけ自分に正直で、自分の身が置かれている広大な砂漠の中から一粒の真珠を探し出そうと躍起になってもがいているだけなのだ。
みんながみんな自分だけの真珠を、人より先に見つけようと必死になっているから、ぶつかり合うし人の話は聞かないしキレて喧嘩して酒飲んで、大体の時間は真珠を探そうとせず、キツイ現実から目をそらす。
でもどこかにきっと真珠があることだけは信じている。

人間て、実はすごくダメで一筋縄ではいかなくて筋書き通りに運ばないけど、すご〜く愛しい奴らなんだよな〜!
これってすっごい人間讃歌じゃん!
でも酒屋のオヤジムカつく!禁酒しろ!

●サヨナラだけが人生だ

第7話終了時点で、ドラマが全10話だと判明し、非常にさみしい気持ちになった。
面白い小説の、結末が知りたいけれど、お話が終わってほしくないあの焦燥感。
成瀬巳喜男監督「流れる」(1956)を観た時にも感じた、まだ終わってほしくない、まだこの人たちを見ていたい、この世界から離れたくないという渇望。

正直、終わってほしくないなあ、と思った。

キャスト・スタッフのみなさんは3ヶ月本当に大変だったと思うけれど、いち視聴者としては、毎週、特殊な環境から生まれるライブ感・ハラハラ感・てんこもりな展開・特濃のキャラクターと抜群の演技に本当に楽しませてもらった。
宝塚や旧作映画プログラムピクチャは限られた時間でギュッとこの世の全てを特濃搾りたてジュースとして差し出すけれど、このドラマはそれを3ヶ月やり通した。一度も飽きなかったよ!

TVドラマってすっごい!!と思った。
(なんて浅い感想…)

慎太郎クンのよわよわ・かわかわ・ムキムキ・キリキリetc.千変万化な表情・演技にも非常に・心の底から・最高に・万感の思いを込め、語感の軽さに千斤の錘をつけて「楽しませてもらった」。
特に最終回の包容力は半端なかった。なんか神になっちゃってたし。

もっと色々な慎太郎クンを見たいぞ!
(どこまでも浅い感想…)

所詮底の浅いオタクの戯言である。嘲笑ってください。



●余談

さて、戯言ついでに、では具体的にどんな慎太郎クンを見てみたいかというと、虚妄ってみた。

真っ先に思い浮かんだのが「豚と軍艦」(1960)の欣太である。

(日活は公式に紹介があっていいなあ!)

バカでクズだけどピュアさとコンプレックスも内に秘めたチンピラ。いいと思うんだけどなあ。スカジャン×ジーパンのルックスも最高。

ただ、ラストシーンが、おそらくアイドルとしては100%、無限大にNGである。
でも、「豚と軍艦」しかり「×と×××××」(1958/洋画。ネタバレ回避)しかり、ああいう結末を迎える森本慎太郎、絶対超イイと思うんだけどなあ…。
(私はアイドルを好きになってまだ日が浅いので、「アイドル」への解像度が低い。解釈違いはご容赦いただきたい。ただ、「アイドル×破滅」って最強の組み合わせではないだろうか。想像しただけで全身の毛穴から黄色い悲鳴が上がる)

とここまで考えたが、正直SixTONES全員の欣太が観たい。
萌えすぎて地べた転がり回るわい。
この役は「若さ」が大切だと思うので、やるなら今のうちですよ、芸能関係者のみなさま!

あと、6人全員で「独立連隊西へ」(1960)「どぶ鼠作戦」(1962)みたいな作品をやって欲しい。というか全盛期の岡本喜八に監督して欲しい。

また、前章で成瀬巳喜男の名前を出したついでに言うけれど、「言えない秘密」のインタビューで、河合勇人監督が京本大我のことを「そのまま小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督のモノクロ作品に出ていてもまったく不思議じゃない」と表現していて、それな!!!と思った。
確かに成瀬っぽい!!!儚い美しさと人間臭さが同居しているところとか空気感がドンピシャである。
SixTONESのみなさんは異様に地に足がついた、虚構に「リアル」を生み出せる佇まいなので、旧作映画との相性がピッタリなんだよなー。

オタクの虚妄は長く果てしないのでここらで切り上げるけれど、
松村北斗に「貴族の階段」(1959)の西の丸義人様は絶対やってほしいよな!
(なんという終わり方…)


以上。


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