ベトナムの北部の大都市ハノイからハロン湾に行ける。海にたくさんの島があり、島に洞窟もある。
 いつも、私の顔を見ると
「龍が、龍が」
と騒ぐ人が、ぜひハロン湾に行ってくれというので、格安のツアーを見つけて行く。ハロン湾をクルーズする。たくさんの島を巡ると、いろんな色の、いろんな形の龍がいてまるで見本市だ。
「これを絵にしたり、服にしたら儲かるな。」
と言うか言わないかで、また、後ろから叩かれた。ショッキングピンクの龍などいて、本当に見飽きない。私のエメラルドグリーンの龍が由緒正しい上品な龍であることが分かる。

 前回、ベトナムに来たときは南部の大都市ホーチミンに行った。日本語を勉強中の大学院生が通訳についてくれて、あちこち観光した。仕事の取引先の家族と観光していた。年配のおばあ様が、指のない子供の物乞いに1000円札を渡した。親がそれをむしり取るようにして、あっという間に、その親子は消えた。通訳してくれていた子が、身体をわなわな震わせて怒った。
「あなたが施した1000円で、見ていた周りの親は、子供の指が無ければ儲かると思ってしまった。今、指のある子どもの指を切り取るきっかけを作ったんだ。」
私たちは、心から謝罪した。その、おばあ様は納得してくれなかったが、もう施しはしないと約束した。
 その償いをしなければと、いつも思っていた。ベトナムの田舎に小学校を作らないかと言われて、お金しか協力出来ないが、関わらせてもらうことにした。
 ベトナムの奥地にハイウエイが来るので、学校や病院も建設されるから、今、いる子供たちは地元で就職できる。だから学校を建てて教育したいという趣旨だった。奥地は山が険しく、耕地を作りにくい。急な山の斜面にお茶など、すぐ現金に出来るものを作っているとのこと。だから子供の世話が出来ないので、子供を籠に入れてたりする。学校を作れば、子供たちは、そこに行かれるし、人とコミュニケーションをとることが出来るようになるということだった。何年かして学校が出来たので、見に来てくれと言われた。行ってみると、全校生徒が校門に集まり
「白鳥さんのお陰で勉強できて嬉しいです。」
と言ってくれるではないか。思わず泣き崩れてしまった。今、その子たちがどうしているかは分からない。本当に、その支援が正しかったのか、ずっと自問自答している。正解は無いと自分に言い聞かせているが、難しい。償いになっているかも分からない。

 私が小学1年の時、知能テストで地区で一番だったらしい。帰りに校門で黒塗りの大きい車に乗せられて、中で、同い年の女の子に
「あなたが知能指数テスト一番だったから、私、二番だったのに、なんで、辞退したの?繰り上げで一番になっても嬉しくない。」
と言われてしまった。知能テストで一定以上のスコアの人には追跡というのがあり、保護者の許可をとるのだが、私の親は
「あの子はカンニングしたと思うから辞退する。」
と言ったそうだ。
「カンニングで一番にはなれないでしょ?」
と同い年の少女に言われて、何も答えられなかった。一緒にいた、彼女のお母さんが、夏なのに長袖の私を見て、袖をまくり上げた。声にならない声が上がり、その綺麗なお母さんが私を抱きしめた。
「あなたは頭が良いのだからいっぱい勉強しなさい。そして、いつも笑うようにしなさい。」
と言ってくれた。すごく良い匂いだった。私はいっぱい勉強した。そして自分の気持ちと関係なく、いつも笑うようにした。私にとって、その綺麗なお母さんは初めて抱きしめてくれた人だ。私にとって神様だ。感謝しかない。
人を救うとか、助けるとかは、簡単でないと思っている。正解もないと思っている。でも、何もしないよりは、何かした方がいいと思っている。誰かにかける言葉も心をこめて選び抜いた言葉をかけるようにしている。

 ハロン湾で出会った、年配のご夫婦が私を子供か孫のように可愛がってくれて、私に不足していた親からの愛というものを与えてもらった。一緒に旅行したり、ご飯を食べたりした。そのご夫婦は子供が居なかった。70歳を過ぎて、どうしても猫が飼いたいということで、自分たちが死んでも猫が困らないようにしてくれるという団体と契約して、猫を飼うことになった。それまで、まめに連絡くれていたのに、パタッと連絡が来なくなった。どうも私は猫に負けてしまったらしい。子猫なら仕方ない(笑)


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