大手町のすごいビルが並ぶなか、ぽっかり空いているところがある。平将門の首塚だ。平の将門の乱とはそもそも将門が関東八か国の国府を攻撃して各国司を追放することからはじまる。その結果、国家反逆の罪となり、その挙句、自ら「新皇」と称して、朝廷と対立した。朝廷は早速藤原忠文を征夷大将軍に任命し、将門の乱の鎮圧に向かわせるが、その到着前に地元の武士の藤原秀郷等に将門は撃たれる。結局、首だけは平安京に運ばれ都大路の河原にさらされた。無念の将門は「胴体と首をつないでもう一戦しよう」と叫んだそうだ。そして三日後に首は、切断され関東に埋葬された胴体を求めて夜空に舞い上がり、この大手町の地に落ちたそうだ。この地を再開発しようと工事をしても事故が起こってしまうなど不吉なことが続き、諦めたとのこと。結果、ビルが建ち並ぶ中、ぽっかりと空いたところに首塚が祀られることになった。いつ行っても人が絶えない。何をお願いしているのか分からないが、皆、真剣に祈っている。

 平将門が東京を守ってくれている?という神社が北斗七星の形に並んでいるそうで、順番に回ってみる。諸説あるので、良い結界なのか、悪い結界なのか私には分からない。他の神社に移動したという説もあるが、それも私には分からない。取り敢えず私が回ったのは以下の7つの神社だ。
1.鳥越神社…東京都台東区鳥越2丁目4-1
2.兜神社…東京都中央区日本橋兜町1丁目12
3.将門塚…東京都千代田区大手町1丁目2-1
4.神田明神…東京都千代田区外神田2丁目16-2
5.築土神社
 旧位置: 東京都新宿区筑土八幡町2丁目1に所在する築土八幡神社の向かって左隣 (1945年東京大空襲によって全焼し、現在は東京都千代田区九段北1丁目14-21に移築)
6.水稲荷神社…東京都新宿区西早稲田3丁目5-43
7.鎧神社…東京都新宿区北新宿3丁目16-18
 この順番大事、一日で回りきれという姫神様の指示だったので、日の出とともに起きて出かける。基本的にお姫様の指示で神社巡りをするときは晴れている。電車やバスもスムースに来る。さくさく回れる。しかし、今日は、まさかの土砂降り。しかも冷たい雨。しっかり対策して出かける。長靴履いても足がびしょびしょ。傘も風に取られて役に立たず。なんか泣けてくる。まあそうはいっても舗装された道を歩くだけだからと言い聞かせて、頑張る。なんにもピンとこないまま7社を回りきる。あまりの寒さに、ちょうど見かけたラーメン屋に入り、暖をとる。温かさが五臓六腑に染みて、泣きながら食べていたら店主が心配したのか、味玉をおまけしてくれた。ありがとうございました。

 大分県にある宇佐神宮に行かされたときも首塚があった。宇佐神宮自体広いしとても良い神社だし、敷地外の和気清麻呂を祀った神社も古いが趣がある。でも、どっちも違うと姫神様たちが言うので、うろうろしていると、勅使街道の看板が目に入った。宇佐神宮の西門から真っすぐ伸びた道だ。朝廷の使者を迎える道だったそうだ。それに沿って歩いていくと、神宮から1キロほど行ったところだろうか。境外末社の百体神社、凶首塚古墳があった。その昔、西暦720年に南九州にいた隼人が律令制度の導入に抵抗して反乱を起こした。朝廷と結びつきが強い豊前国は多くの兵を集め、隼人を鎮圧した。帰還のときに隼人の首100個を持ち帰ったと言われている。持ち帰られた首、または、連れて帰り処刑した者の首、100個を埋めたのが凶首塚の古墳だ。案内板だけでは不安になるほど、普通の住宅街の坂道を登って行く。隼人の霊を鎮めるために建てたといわれる百体神社が右手に急に出てくる。ものすごくヒンヤリして、昼間なのに怖い。ホラー映画のようだ。でも、ここをクリアリングと言われて、べそかきながら、クリアリングする。コノハナサクヤヒメ様も慟哭している。10分ぐらいクリアリングしていたら人が来たので退散。そのまま道なりに上がって行くと、右手に急に開けた場所が見えてくる。凶首塚古墳だ。見たかんじ、遊具のない小さな公園のようだ。そんないわくつきの古墳には見えない。実際、子供連れが何組が遊んでいる。さっきの百体神社とは打って変わって明るい。名前に「凶」がつくってどういうことよ、と言いながら、ここも一応クリアリングする。コノハナサクヤヒメ様はただただしくしく泣いていた。

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