育った場所に帰ることはないけれど
出身中学校の2019年度新入生が15人で、全校生徒が38人だったらしい。
ちなみに私の同級生は24人で、当時の全校生徒は98人だった。
ついでにいえば、その中学校には、お隣にある小学校に通う児童がそのまま進学して、生徒になる。他の小学校の児童は来ない。
9年間、クラスメイトが変わらないのだ。
クラス替え? そんなのは漫画の中のお話しでした。
「田舎の学校ってのびのびしてそうだよね」とか「人数少ないからみんな仲がよさそうだよね」といわれることもあるけど、個人的には、それもまた、おとぎばなし。
私にとっては、狭くて息がつまる時間の記憶。
誰かの変化には敏感だけど、残酷なほど変化を受けつけない。
はりめぐされた、保護者包囲網とSNSなど不要の情報拡散力。
いつも監視されているような気がしてならなかった。
理解者がいない、共感してもらえない孤独な場所から抜け出すには、明確な理由が必要で。
さみしさや苦しさを感じながら、飛び出すほどの勇気もなかったわたしの出口は、高校卒業だった。
卒業してから、中学校に顔を出すことはなかったし、私が過ごした時代よりは、空気は軽く新鮮になっているのかもしれない。
「居心地の1丁目1番地」が、どんなふうに広がって、どんな人が手にとってくれたらいいだろうかということを考えていたときに、ふと、地元に居た時の自分を思い出した。
田舎で生まれ育っていることへのあきらめと、どこかに自分をわかってくれる人がいるんじゃないかという期待と、ひとりぼっちのさみしさを抱えていた自分がこの本と出会えたらどうだろう? と考えていた。
本は、さみしさを解決してはくれないけれど、孤独に寄り添ってくれる。
「目の前にある世界がすべてではない」と教えてくれる。
ここにはいなくても、自分をわかってくれる人はいるんだと、希望をもっていてほしい。
わたしは、地元に戻ることはない。
わたしにとっては、今いる場所の方が心地良くて大切だから。
地元を離れて暮らすわたしは、地元を哀れんでいるんだろうか? 未だ閉ざされた場所だと、蔑んでいるんだろうか?
あの頃の自分と同じように感じている子どもなど、もういないかもしれない。
のびのびと、過ごしているのかもしれない。
ただただ余計なお世話かもしれない。
あの頃の自分をぬぐいきれないまま大人になった。だからなんだ、と、今は言えるくらいには消化している日々だけど。
大人になれば楽になるよ、なんてことを言うのは無責任だし。
出ておいでということを言いたいわけではなくて。
あと何年か十年かしたら、母校は閉校してしまうのかもしれない。
9年間変わらない環境はなくなって、新しい場所で変化を受け取る日々が始まるのかもしれない。
学校だけが、今暮らしている場所だけが、居る場所ではないんだよと。
わけもなく、ノスタルジーに浸りたくなっているだけなのかもしれないけれど。
ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。