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伝えたい気持ちだけでは伝わらないということ

ただ続けるだけでは、モチベーションも続かないし、無駄になる気がするけど、ただ続けることさえもやったことがないから、まずは続ける。

そんな感じで、「質より量」「量より質」のどちらが自分に必要かわからないけど、1月1日から毎日noteを続けている。


昨日書いたnoteでは「伝えたいことを伝えられる力がほしい」と思った。
ただ書くだけでなく、届くものを書きたいなと。

じゃぁ何を届けたいんだろうか?

私は、自分の意見はこうだ! ということを明確にすることをさける。
理論的な表現が苦手ということもあるけど、「間違っていたら嫌だな」と思う気持ちが強い。作品に対しても、「自分はここが好き、こう思った、こう感じた」ということを書くと、それが「ずれてるんじゃないか」「間違っているんじゃないか」と考えてしまう。

「自分の目で見たもの、感じたもの」が「つまらないもの」であるように思ってしまうのだ。

多数派であることの平凡さに怯え、少数派になることの違和感に怯えている。

だから、あいまいな表現を選んでいるのかもしれない(あ、これも曖昧さだ)。


表現に「うそ」が混じらないようにしている。

「おもしろかった」「すてきだった」「心に響いた」と表現したらシンプルだけど、「本当にそう思っているのか? 本当にそう感じたのか?」と向き合えば、絶対にそうではないことがある。

つい、そんな言葉に頼ってしまいがちだった。
本当は素敵とは思っていない、ではこの今の気持ちはなんだろうか? という時など、素敵以外の言葉を見つけるのに苦労する。
表現する言葉を選ぶことに、手を抜いてきたんだろうなぁと思っている。

表現のしかたをさぼることは、自分の感情や心の動きを曖昧にしかとらえていないのだなぁと、最近思っている。


やりたいことがわからないとか、好きがわからないと言っているのは、それ自体を深く深く考えたり、感じたり、ぼやっとでも見えていることを言葉にすることをたださぼっているだけなのかもしれないなぁ。


「伝える」は、難しい。
「伝えたい」は私の意思だから。
相手がいて、「伝わる」がうまれる。

書いた先に誰もいなければ、伝わらない。
伝えたい先に「誰か」を見つけるための表現は、どんなものなんだろう?


プロジェクトというほどではないけど、一緒に企画を考えたいことを投稿してみたけど、なんか、これって反応しづらい書き方してるなぁという思いでいっぱいになった。
一緒にやりたいと思える余白がないとか、何をしたらいいかわからないとか、誰にむけてるのかわからないみたいな原因は見える。

「伝えたい」だけでは、伝わらない。


どう、表現したら、よかったのだろうか? としばらくぐるぐるまわりそうだ。

一回で上手くできなくてもいい。考えて相談して、見直して、次につなげていきたい。


ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。