あいまいな「価値」にしばられない自分になりたい
「価値」にしばられることがよくある。
自分と過ごす時間に、どれだけ価値があるだろうか……と。
私ではなく、あの人と話した方が、
私が行くより、あの人が行った方が
そんなことを考えると、自分から声をかけることができなかったり
一緒に何かをすることに躊躇してしまう。
自分の価値などたいしたことはないのだと、はなから決めてしまっているから。
だけど、
私が問いかけることが興味深いと、一緒に過ごす時間をつくってくれた友人がいる。
一緒に過ごした時間が楽しかったと伝えてくれる友人がいる。
特になにもないんだけど、お茶しようよ、とふらっと声をかけてくれる友人がいる。
それらを自分の「価値」とすることはとても単純で、品がないような薄っぺらい気もするのだけど。
でも、それはわたしの「価値」だよね?
「価値」
1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む価値のある本」「価値のある一勝」
2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説
3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。
(デジタル大辞泉より)
自分を必要としてもらえることが、わたしの価値なのだろうか?
誰かにとって有益であることが、わたしの価値なのだろうか?
過去の経験や学歴が、わたしの価値なのだろうか?
何かができる自分になれば、自分には価値があると認められるようになるのだろうか?
わたしは、なにを「価値」としているんだろう?
「価値」ってなにをどう表現したものなんだろう。
わたしが「価値」があるものって思っているものはなんだろう。
「価値」があると思って、求めているものってなんだろう?
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仕事に対してのコンプレックスが大きいことも、自分の無価値感につながるっているのかなぁ。
仕事で暇を持て余すことは、自分が仕事をちゃんとさばけているからだ、
とは思わず、
自分にできることは、こんなものなのかな、お金もらってて仕事してないみたいで居心地悪いな、と思う。
そんな時にはよく、自分がここにいる価値を考えてしまう。
仕事に余裕があったからできてことはたくさんあるのだけど、その時間を使ってしまったことが、「ちゃんとすべきときにちゃんとしてなかった」と感じてしまう。
まじめなのか、そう考えることで自分の価値を守ろうとしているのか。
「無駄なことをしない」「だらだらしない」「ちゃんとする」
そんな価値観が自分には根強い。
でも、「ちゃんとする」ってすごくあいまいだよね。
仕事中には携帯を触らないとか、ネット見ないとかってこと?
だったらわたしの日々は、ちゃんとしていない。
遅刻しない休まないこと?
だったら、まぁちゃんとできてる。
どういう状態だったら、わたしは「ちゃんと」仕事をしてるといえるのか。「ちゃんと」自分や、自分の仕事に価値があるっていえるのか。
正社員でボーナスもらいながら、世の中に認知される仕事をする? 名前が売れる?
そうなったら、自分には「価値」があると思えるようになるのだろうか。
なんだかとっても無意味で、無価値なことをずっと考えているのかな……。
こんなことをずっと考えていたら、だんだんバカらしくなって、どうでもよくなるのかな。
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場所や時代が違えばどんどん変化する「価値」っていう曖昧なものに心をしばられない人になろう。
でも、自分の魅力はちゃんとわかってる自分になろう。
結局は、自分のことを知るってことが、まだまだ必要なんだろうなぁと、また、曖昧な結論に逃げてしまうのか……。
内省もちだけど、ひとりで考え続けるのも、つかれるね。
ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。