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大切たち


何ヶ月も前から楽しみにしていた、SEVENTEENのアルバムがたくさん届いた。
初めての共同購入。初めての大きさの宅急便。
わくわくした。


クーラーがない部屋は蒸し暑くて、顎には最近の不摂生を物語るにきびがあった。こんな体たらくで彼らのアルバムに向き合うのは申し訳ないけし情けないけど、待てなかった。


私が持ってる1番古いアルバムはヘンガレだったから、それよりかなり前のアルバムを手にすることができるなんて夢みたいだ。どこに感謝したらいいんだろう。とりあえず四方八方上下左右東西南北へ、再販してくださって本当に本当にありがとうございます。

新婦のベールをそっと持ち上げる新郎みたいな厳かな気持ちで、薄いビニールを剥がした。
ウジのインスタで、CDのオンラインストアで、何度も見たジャケットが目の前にある。質量や手触りで、手の中に本当にアルバムがあることをひしひし感じた。
ハードカバーの本を思い浮かべた。CDを買うという行為は、電子書籍でも文庫本でも本編は同じだけど、あえてハードカバーで読む理由に似ている。とっておきのものには存在感が付随していてほしい。

Spotifyで小さくSEVENTEENの音楽を流していた。
最初は開封に夢中だったけど、だんだん音楽を楽しむ余裕もでてきた。そんな時に流れてきたのがウスムコだった。
마지막이란 말 하지 마 영원히 からなぜか 大事にしたいのは僕らの今 を連想して、大切な今をずっとずっと積み重ねて永遠に夢を見せてほしいなあなんて思う。世界が終わる時はみんなで無限にアジュナイスやってようね。世界の終わりが呆れて帰っちゃうくらいやってようね。


Al1のフォトブックのちょうど推しのスングァンちゃんのページにさしかかった時、I Don’t Understand But I Luv Uが流れはじめた。セトリが良すぎる。

私の母国語は日本語で、韓国語は単語が十もわかるかどうかの知識しかない。彼らの言葉と私との間には、字幕や翻訳者という仲介者がいる。彼らの言葉を理解する術が当たり前のように提供されているのは本当にありがたいことだけれど、それが悔しくて悲しくもある。
私は彼らの言葉がわからない。
でも、愛してる。


アルバムを棚に仕舞う時、ふんわりと新しい紙の匂いがした。写真に写ってるのは全部過去の時間なのに、と不思議な感じがした。

棚の一段がまるごとアルバムで埋まる。
私が大好きな本や漫画、香水が置いてある棚の一角にSEVENTEENの場所ができた。今の私を構成する一部はSEVENTEENであることが揺るがなくなった気がして、なんだか嬉しかった。
嬉しいと思った自分が少しだけ好きになれた。

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