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私と釣り(2)

大学に入って釣りがあまりできなくなった。
東京にきて最初に住んだのは西荻窪駅から近い逓信協会杉並学生寮というところだった。

ここは郵政省と電電公社職員の子弟を各学年10名まで入れる学生寮で朝夕2食付きで、風呂や洗濯室もついている。当時2食賄い付きの下宿が6~8千円したから、寮費はその1/3程度だったと思うから、ずいぶん安く住むことが出来た。

加山雄三の若大将シリーズにあるようなキャンパスライフを夢見ていたが、現実はかなり違っていた。
寮の学生達でも文科系と理科系ではかなり違った。文科系学生はアルバイトと合コンに明け暮れる毎日を送っていたが、理科系は地味な学生生活を送る羽目になる。中でも医学部と獣医学部の学生は僧侶のような禁欲生活を強いられたようだ。

そんな禁欲生活の中でも唯一青春といえるのは、1年の時に仲良くなった同学部のM君と夏休みに香川県の○○温泉の海の家で1ケ月アルバイトしたことだ。
海の家の二段ベットで寝泊まりし、朝夕食は5分ほど離れた本館に食べに行く。昼は海の家で空いた時間を見計らって勝手に作って食べる。ほとんどは焼きそばかうどんだ。

その海の家の経営を我々2人に任される。
貸しシャワー室、貸しボート、浮き輪、パラソル、ムシロ、かき氷、焼きそば、うどん。
一日が終わると帳簿に記帳し、売り上げを本館の課長にもっていく。本館で風呂に入って、従業員食堂で賄いの夕飯をいただく。
これが毎日の日課。

十代後半の男の子の頭の中身の半分は異性の身体への憧れで出来ている。
当時、我々2人の楽しみは「女風呂覗き」。
本館の露天風呂は男女繋がっており、目隠しに密な竹垣のようなもので仕切られていた。

我々が風呂に入る時間は遅かったのでほとんど泊り客は入っていないが、たまに隣の女風呂で若い女性の声が聞こえるとその竹垣近くに行って覗いた。

今、こんなことをすると翌朝にはヤフーニュースのトップ記事になってしまうが、その頃は例え覗きがバレたとしても男の子の無邪気な悪戯として大目に見てくれた時代だった。

70を超えてつくづく思うのだが、あの頃の男の子の方が今の男の子よりはるかに健全に思えるのだが、そう感じるのは私だけだろうか?




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