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私と釣り(4)

私が新しい釣りに出会ったのは横須賀に住んでいる時だ。
ここで落とし込み釣りに初めて出会った。

落とし込み釣りとは、9尺位の細い短竿(野島竿)で木製の太鼓リールをつけてクロダイを釣る釣り方だ。針にカラス貝の丸貝をつけ堤防の淵に落とし込む。貝の重みだけで自然に堤防の淵をゆらゆら落下させる。糸ふけや微かに感じるあたりだけを頼りに魚を釣るわけだ。

わたしはこの釣りに出会ったとき、心が震るえるくらい夢中になった。
しかし、最初の3ケ月は全く釣れなかった。子供の頃の様にベテランの観察もした。コツを聞いても見た。当時この釣り方はかなりマニアックな釣り方で参考に出来る情報源はなにもなかった。

3ケ月してやっと初めてのクロダイが釣れた。50cmを超える大物だった。それから少しづつコツがつかめるようになってきた。努力は必ず釣果になって帰ってくる。これが釣りの面白さ!

男の趣味のほとんどは狩猟本能に由来している。
釣りはダイレクトに狩猟本能に基づいている。ゴルフも同じだが直接的ではない。これはつるんで行動する欲求を満たしてくれる。

我々の頭の中のプログラムは人類が狩猟採集生活(約200万年前から1万年前の農業革命まで続いていた)をしていた時代に最適化されたもの。それからずいぶん時を経ているが何もバージョンアップされていない。

当時彼らは数十人の共同体で生活していた。男たちは数人から十数人の仲間同士つるんで狩りに出かけた。だから男は今でも仲間とつるんで行動することが大好きだ。ゴルフ、サッカー、野球などはこの欲求を満たすのに最適なスポーツだ。

我々はそれぞれ自分の意思で行動していると思い込んでいるが、ほとんどはこの200万年前に仕込まれたプログラムによって動いているただのロボットに過ぎない。言い換えれば個人とは遺伝子(プログラム)が悠久の旅をつづける為に乗り捨てていく舟にすぎないのだ。

この遺伝子の牢獄から自由になれたのは、ブッダやイエス、老子、荘子、クリシュナムルティなど、有史以来、私が知る限り数人にしか過ぎない。(あくまで私の勝手な解釈ですが……)

また、話が脱線したようですね!
話を元に戻します。
※この話に興味のある方は私がアマゾンで出版した「進化心理学的な人間学」を読んでみてください。

私の釣行はほとんど単独行だったが、つるんで行動する楽しさを知ったのは釣り友が出来てからだった。鳥羽の本浦というカキ養殖で有名な港に船が泊めてあったので、そこから船を出して舟釣りをした。キスやメバル、カサゴ、グチなどがよく釣れた。釣りとしてはあまり面白みはなかったが、一緒にいてバカ話をしたり、昼飯時には無人島に上陸して釣った魚を塩焼きにして酒盛りしたりするのはとても楽しかった。

この釣りでもう一つ楽しかったのは獲物を持ち帰った後だった。
クーラーいっぱいになった魚を知り合いの女将が経営する居酒屋に預けて、我々2人はスポーツクラブの風呂へ行った。風呂から上がって居酒屋へ行くと釣った魚が煮つけ、刺身、てんぷらと料理してくれてあった。

当時私は「釣りバカ日誌」のハマちゃんにあこがれていた。ハマちゃんの嫁のような妻が理想だったので、この居酒屋は女房に不満を持ちながらも何も言えない小心者の男二人には有難い存在だった。

ここの女将はどうやら私に気があるらしい。
やたら、小学生の時、私と同級生だったと主張するが、私にはその記憶がない。私は中学受験で別の中学に行ってしまったので小学生の時の友人は仲の良かった男友達の記憶しかない。

女将は40代で亡くなったが、なくなってから思い出した。
3~4歳当時、私の家の近所には同い年の女の子が2~3人いた。その子たちとお医者さんごっこをした。その中の一人が女将だった。

その当時、私はやたら女の子の桃割れの中身に興味があったようだ。家風呂がなかった時代で、親父と銭湯に通っていた。同い年位の女の子もよく見かけた。チンチンが付いてない女の子が不思議でならなかった。

お医者さんごっこでどんなことをしたかはまるで覚えてない。兎に角、私がお医者さん役で女の子が患者さん役になり聴診器のようなもので診察するのだが、パンツを脱がせた記憶だけは微かに残っている。


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