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「ホームシック」からふり返る幼少期と今の幸せ

梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』を読んでいる。
2008年に上映され、凄く観に行きたかったけれどスケジュールが合わず行けなかった。
DVDをレンタルしようか、小説から読もうか…かれこれずぅーっと頭の隅にあった作品だ。
くもんの国語教材としても扱われており、先日娘の宿題をチェックしていると再会しすぐに図書館で予約した。

作中、ホームシックについて
『原始的、暴力的威力』
『心臓をギューとわしづかみされているような、エレベーターでどこまでも落ちていくような痛みを伴う孤独感』
と表現されている。

ふと、私のホームシックは…と思い起こす。
共働き家庭で生後半年から保育園に入園し、18時までの時間外保育は当たり前、それでも間に合わず子育て支援制度を利用して近所のお宅に預かってもらいお風呂や夕飯の世話をしてもらっていた私は超超超ホームシックだった。

海の沖を見ながら、その先にあるであろう陸地や船を想像するような感覚
近付いているのか   いないのか
あの道を過ぎているのか   いないのか
別れた後はしばらくそうして想像し続けていた。
原付の音が聞こえると1台1台確認した。
外からチャリンと聞こえると玄関が開くまでの時間を想像して帰りを待った。

自分が母になったら家で帰りを待っていたい、その願いから今の生活スタイルを選択している。
1年生の息子は一人で鍵を開けて帰ることに憧れている。
私がいたら「もー!出かけててよ!」と。笑
翌日、のんびり帰宅すると庭の塀に腰かけてご近所さん親子と談笑していた。
怖くて、そうして待っていたところご近所さん親子が通りかかって今に至るとのこと。
可愛さ、待っててくれた嬉しさ、ご近所さんへの感謝いろいろな温かい気持ちがこみ上げてきた。
正直、フルタイムで働きたい思いもあるが自分が守りたいものもあることを再確認する。

保育園ではなく幼稚園を選び、学童は利用していない。
幼稚園は帰宅時間が早いので親子タイム、習い事、一緒に過ごすことを選んだ。
仲良しのお友達がいる、制服を着たい、幼稚園バスに乗りたいという当時3歳の娘の意見を尊重したことも大きな理由だ。
学童の雰囲気が苦手だった私。
帰ったら重いランドセルを下ろすとともに
◯◯ちゃん   ◯◯くん   から、
我が家の子ども達になる。
おやつを食べ、宿題をし、チャージしたら
習い事や公園に出かけてクラスメイト達と思いっきり遊ぶ毎日。

ありがとう

元気に育ってくれてありがとう。
最大の協力者であり相対する存在でもあり、日々を支えてくれている夫にありがとう。
寂しかったけど、不器用にも温かく育ててくれた母にありがとう。
お母さんが体験させてくれたことを私も積極的に子ども達と楽しんでいるよ。
よく怒鳴られて、ぶつかることも多かったけれど小さい頃に感じた優しさや甘さが愛情と受け取れる父にありがとう。
若さゆえ熱く、理想と現実にぶつかりながらいろいろな想いがあったのかな。
扱いづらいところもあるけれど、なんだかんだで慕ってくれる弟にありがとう。安定するには困難もあるだろうけど自分の道を邁進しているね。応援してるよ!

親族の職種をみると自身のルーツやタイプがみえてくるのだという。
私の家系は会社員なのは母のみ。
他は家業を引き継いだ者以外は、私も含め専門職のようなことをしている。
父、弟は相入れなかったけれどそれぞれ開拓している。

つながりを感じる。
亡くなった父のこと、遠方で年1回しか会えない母や弟のことをもっともっと子ども達に話して、物理的には一緒に過ごせなくても時間や価値観を共有したいと思った。

ありがとう    ありがとう    ありがとう
( さよなら    さよなら   さよなら )
淀川長治さん
子どもの頃、家族でよくみた『日曜洋画劇場』
最初は回数は決まっていなかったけれど、
賭けられているという少年からの電話を受けて3回に決めたんだよと父が話してくれて笑った(実際笑い事じゃないですね)。
遡れば、
「それではみなさん    おやすみなさい」
と言ったところ、テレビ放送はまだ続くから困ると関係者から言われたそう。
大変だ。
紆余曲折ありながらのさよなら3回。
素敵だと思った。

ありがとう   ありがとう   …ありがとう♡

子どもの頃はうるさくて嫌いだったジャズ
何が良いのか… ( うんざり )
早く自分のことしたいのに
そう思っていたのにな。
今は父が好きだったジャズを好んでかけ、
母が習慣的に飲む紅茶を私も習慣として今飲んでいる。

梨木香歩さん『西の魔女が死んだ』
まだ序盤だけれどすでにさまざまな感情が思い起こされ、整理され、豊かな気持ちでいます。ありがとうございます。
大切に読みすすめたいと思います♪

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