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服とか髪型とか。

 この画像は少し前の画像だが、基本なんかへんてこりんな髪型をしている。そもそも人と被るのが嫌だし、美容室で同じ料金払うなら個性的にしまくりたい貧乏性でもあるので。

 で。服だ。
 私はいわゆる高校デビューで、コギャルブーム世代。でも髪型はヴィダルサスーンカットで赤系のカラーリング、ピアスにリングと校則なんてあったっけ?のスタイルだった。もちろんミニスカルーズソックス。雪国なのにミニスカ生足で徒歩50分だったんです。足真っ赤っか。

 その頃はノンノという雑誌を購読していて、ファッションはまるっきりそっち系。ナイスクラップやオゾック、ビバユーも好きだった。ブーツカットのパンツにブラウスとか多かった気がする。
 それがだんだんなんだか個性的になってきたのは高校を卒業してからか。友人が言うには高校時代もアイテムがトレンドのものでもカラーが人が選ばないもの買ってたよとは言われたが。髪型もくるくるのパーマスタイルやらなんやらで美容師さんが楽しそうにロッドを巻いていた記憶がある。

 そして26歳くらいの頃。NANAにであった。そう、私は矢沢あい信者なのである。
 もうそっからは暴走よ。下妻物語にもハマってしまったのでパンクにゴシックにロリィタに和ゴス。足元は本物のエンジニアブーツか厚底15センチヒール、もしくはおでこ靴。
 ちなみにここで用語を解説しよう。
 
 ロリィタと言ってもその種類はたくさんある。大雑把にロリィタ、ゴシックアンドロリィタ、クラシカルロリィタに別れる。ロリータ じゃない、ロリィタ、が正しい。さらに甘ロリ、黒ロリ、パンクロリィタ、ロリィタ愛好者たる者この程度は入門編であり、ロリィタ界ではタブーとされるショップもたくさんあった。
 ちなみに私が愛したのは正統派ロリィタであるベイビーザスターシャイニングブライトというクッソ長い名前のメゾンである。ブランドではない。メゾンというのがロリィタでの正式名称。ちなみに頭に飾るヘッドドレスなどからブラウス、ジャンパースカート、スカートの中に履く膨らますためのパニエ、ドロワーズ、ソックス、靴を揃えれば10万なんてすぐのジャンルであり、セールが全てで私と私に沼に落とされたロリィタ仲間はセール時期は毎回遠征していた。

 パンクファッションもいろんなブランドがあったが、私はまずアルゴンキンというブランドから始まってそのほかもあれこれ買っていた記憶がある。
 和ゴスはなんといってもキューティーフラッシュ。ド派手でセクシーなこれでもかというほど盛った素敵ブランド。よく店員に間違われた。今はおデブになったので全て着られなくなって友人に譲ったり売ったりしてしまったが、あの着た時の高揚感の素晴らしさはハマった人間しかわからないと思う。今でも痩せていればロリィタファッションをしていただろう。

 そう、年齢なんて知らんわボケの世界なのだ。服に顔を寄せるためにメイクを研究し、足はなぜか自然と内股になる。膨らんだスカートは心の喜びの膨らみ。地雷系ファッションなどとは一緒にされたら怒り狂う、全ての夢を詰め込んだのがロリィタやその他の服だった。
 くっそたっけぇ服に収入を注ぎ込み、それを着て歩くことだけに喜びを感じる。ミルクティーはもちろん小指を立てて取っ手を持つ。なんて幸せな世界。15センチヒールの厚底でド派手な和ゴスでゴスゴス歩くのもまた快感であり、注目されてなんぼのもん。親はずーっとコスプレだと思っていたし、弟は恥ずかしいを連発していて弟嫁は私の靴を見て笑ったがそっちのほうが愚かなのだ。

 という世界観に今も生きている私は、今は海外のプラスサイズのあるブランドのド派手な服を着て金髪のわかめちゃんカットをしている。
ご近所や通院の時はコットン系のロングスカートに戦隊モノのTシャツがスタンダード。ちなみに宇宙刑事はロボコップによく間違えられるが、ロボコップは宇宙刑事をモデルにしてるからな、その辺間違えないように。

 前回に横浜で自由を得たと書いたが、もっとも自由を得たのはファッションではないだろうか。いや、自由に着ていたのだけれど、まっじで周りの視線なんて気にならない自由。家族にも何も言われない自由。

 人間なんて裸でなければ好きな時に好きなものを着ればいいと思う。人をあまりに不快にさせなければそれでいい。
 ロリィタは目立つけれども、あれは人を不快にさせるだろうか?私はそうは思わない。まあ、ガッチガチのロリィタを経験しているのでロリィタ警察になりそうな自分を抑えてはいるけとも。

 ちなみに1ヶ月後に帰省を久しぶりにするが、弟が嫌がるから金髪は染めてこいと母親に言われた。

 知るか、ぼけぇ!なパンク精神はもちろん健在なので染めるわけがない。 
 さあ、好きな服着て靴履いておでかけしましょ。

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