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福田屋百貨店の歴史②郊外型大型店への挑戦

宇都宮市街地の慢性的な渋滞、そして駐車場不足。
車社会の拡大。1980年代に入り、栃木県の新成人のほとんどが自動車免許を持ち、家庭に1台自動車を所有する時代に入りました。
ここで、現福田屋百貨店社長 福田宏一は大きな決断をします。
車社会の浸透に伴う地方都市の郊外化という都市構造の変化に対応するため、
アメリカのショッピングモールをモデルとした商業施設の建設でした。
宇都宮市の市街地北部に、宇都宮の街を東西に横切る競輪場通りがあります。
この競輪場通り沿いに土地を所有していた福田屋百貨店は、この地に駐車場2,500台(地下駐車場、立体駐車場設置)、売場面積40,500㎡の栃木県初の大型ショッピングモールを開店しました。1994年のことです。
宇都宮市大通りで営業していた旧宇都宮店は完全閉店し、この新しい施設で社運の全てをかけ、大きく経営の舵を切りました。

福田屋ショッピングプラザ宇都宮店 の始まり

です。
この時、福田屋の略称 FKD  が誕生しました。
お客様にご不便をお掛けしていた駐車場問題も解決。無料駐車場は、多くのお客様のご好評を得て、連日多くの家族連れで賑わう施設となりました。
開店前、市街地から離れた場所(当時は田んぼや空き地しかない郊外の立地)にどれだけのお客様(今まで市街地にご来店されていたお客様も含め)がご来店頂けるか未知数でした。しかし、そんな不安は開店した途端、吹っ飛んでしまいました。
FKDは、福田屋の略称でありますが、もう一つ意味があります。

Fは、 Freindly(親しみがあり)
Kは、 Kindly (親切な接客)
Dは、 Daily (毎日来たくなる品揃え)  


老若男女、さまざまなお客様が毎日来ても楽しく過ごしてもらう、愛される店づくりをモットーにしています。

FKD宇都宮店の成功は、更なる挑戦を生み出しました。


宇都宮市の南、上三川町と隣接する場所、宇都宮市中島町。
この土地は農家が数軒と原っぱ、葦が茂る湿地帯を中心とした場所でした。
この土地に、福田屋百貨店は新たな郊外型ショッピングモールの建設を計画します。

FKDインターパーク開店前の宇都宮市中島町

この土地の東側には国道4号バイパスが南北に走っています。
そして、この土地に高速道路を通す計画が浮上しました。

茨城、栃木、群馬の北関東を横断する北関東自動車道の建設です。


交通の大動脈である、国道と高速道路が交わる場所であり、そしてインターチェンジが開設されるこの土地は多くの車が行き交う場所に変貌することは予見出来ました。
FKD宇都宮店の開店、そして成功を経験した福田屋百貨店は、この土地で更なる事業の拡大を計画しました。
FKD宇都宮店の開店前と同様、この土地に新しい郊外型大型ショッピングモールを建設することに懐疑的な声は多々ありました。
しかし、福田屋百貨店は、確固たる自信がありました。そして、

2003年7月  FKDインターパーク店 開店


開店当初のFKDインターパーク店

北関東最大の郊外型商業集積地区として宇都宮市中島町(現インターパーク)に開業したショッピングセンター。駐車場8,800台 売場面積41,500㎡。
栃木県内をはじめ、茨城県、埼玉県、群馬県から高速道路や4号線を使い、多くのお客様が来店されました。
そして、福田屋百貨店に追随するかのように隣接する土地には、多くの商業施設の建設が始まりました。


東西に北関東自動車道路、南北に国道4号バイパス

そして、

また福田屋百貨店の挑戦が始まろうとしています。

つづく
次回は、福田屋百貨店の歴史③ まちづくりへの挑戦





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