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気まぐれなるままに少々、過去の精算をば。

わたしの心象風景について、いくつか述べさせてください。主たるは、三角州・広島の美しく贅沢な河川敷の話。


1つ目。
受験勉強という膨大なタスクに嫌気がさしていた高3時代、散歩をしに出てぼーっとしていた河川敷。

受験期にひとりで黄昏ていた河川敷(仮)

仕事に精を出していた母よ、すまない。娘は本業たる勉学に全く精を出していなかったよ。卒業式の日、最後のホームルームで泣きながら白状した通り。我ながらとても素直でかわいい。まぁそんな白状をしなくとも一向に上がらない娘の成績と学習態度から十分に察していたのだろうけれども。

5教科7科目どれもかれも遅れをとっていて、何もかも手をつけないといけないけれど、結局何も手につかない。無駄な完璧主義が足を引っ張って1個1個理解したいのだけれど、膨大な量の課題を期限までに終わらせなけらばならないとなるとやっつけ仕事になる。結果として全ての科目が中途半端で終わってしまう。

という安定の不器用さを発揮していた時期。課題の多さに定評のある母校ですが、今なら手を抜く所と解けるレベルまで引き上げておく所の見極めが出来ていなかったのだと分かるけれど、当時は特にそういうことが下手くそだった。まあ今でも下手ですが。

とまぁそんな感じで、よく絶望して河川敷に現実逃避の旅に出ておりました。放課後の通学路とか、親友とも盟友とも呼べる2人について回った散歩道とか、釣りしに行ったため池とか、学校の渡り廊下とか、イナゴ取りした田んぼとか、土曜自習の日のバルコニーとか。高3時代の心象風景は沢山あるのだけれど、1人ぼっちの散歩でひとりぼっちで黄昏ていた景色はここだなぁと。


2つ目。桜が満開の時期が本当に好きな河川敷。

桜が咲き誇るとたいそう美しい遊歩道

最寄り駅から家に帰る時、必ず通っていた大好きな遊歩道。もうここに家はなくて私は"実家"と呼べるものを喪ったのだけれど、河川敷というのはありがたいことにいつまでもそこにあってくれるから、わたしにとっての実家であってくれ、と願う景色です。
いつまでもこの美しさは変わらないでいて欲しいな。
桜時期を写真に収めたいですね。宿題だなぁ。


唐突に過去の精算と題して書いてみましたが、写真を撮ってキャプションをつけて遺さないと、ただ自分の記憶の中にしか残らなくてそのまま墓場行きなのかと思うとなんとなく寂しくて、ずっとやりたいと思っていたことです。
もう少し続きます。


最後に。有名な景色と"私"の記憶。

大学時代、広島に帰省して地元の友達とご飯を食べたあと、歩いて帰ろうと思って、誰も住んでないけど電気水道が通っているのでまだ拠点には出来ていた家まで帰った時、ライトアップされた原爆ドームと元安橋に胸を打たれた記憶。なぜあんなにインパクトがあったのか分からないけど、原爆ドームには恐ろしさを感じたし元安橋には美しさを感じた。

夜の原爆ドーム
夜の元安橋

有名無名に限らず
電柱にも、1本の木にだって人の記憶は宿るのだと。見る人それぞれにその場所から想起される記憶と感情があるのだと。そしてそれはその人しか持ちえないものであると。
そう考えるとひとつひとつの景色というのは果てしなく奥深く、美しいなと思います。

自分にしか見えない景色をたまには人に話してみるのもいいかもしれません。1人で心の中で慈しむことももちろん大切だけれど。
そんなことを思って書きました。
少しづつでも過去の精算は残していきたいですね。
せっかくなので。

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