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いまさらMuse杯のことを書こうと思う

9月に幕を閉じたNight Songsコンテスト*Muse*

運営メンバーの皆さんが応募された全作品について、youtubeで紹介してくれています。

私の作品もVol.15でご紹介いただきました。
公開されてさっそく視聴しましたがなんだかこそばゆいですね。読み込んで、感想を声で届けてくれる、それがこんなにも嬉しいんだと感じました。嶋津さん、深澤さん、すーさん、千ちゃん、ありがとうございました。

こうやって頭の中にある映像を言葉にして外に出すというのは初めての経験です。ふだんは既に出来上がっているものを解釈して演奏する経験しかないですから、0から1を創り出すこと、それが私にもできた…とちょっぴり自信を持てました。

いい機会ですので書きそびれていたMuse杯創作話を綴りたいと思います。
(大した話じゃないですけれども)

と、2020年中に書きたかったんですが、すっかり年も明けてしまいました。
そして2021年もすでに さんぶんのいち が過ぎました。心の底から今更と思っている次第です。

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私の父方の祖母は沖縄の国頭村の生まれです。
戦時中に東京で働いていた親戚を頼って17歳で上京し(たしか船で)、なんやかんやで警視庁(?)の炊き出し部門で働き、三菱重工のボイラーマンをしていた祖父と出会い、亀戸に住んでいた時には東京大空襲に遭い、戦後千葉は天津にお嫁に来ました。

おばあちゃんが沖縄の人というのは私には当たり前だったので何も気にしていませんでしたが、大きくなるにつれなかなか大変だっただろうなと思うようになりました。
「嫁に来た頃は仕事を手伝っても何言ってるかわかんねーで、違うもんもってっちゃってよう怒られてた」という話も聞いた思い出があります。昭和20年代、今のようにテレビもないし、いわゆる”標準語”ではなく、みんな今よりも方言で喋ってたんですよねきっと。房州弁。そして、よそ者が入っていくには閉じられたところだったと思います。令和の時代の今よりもずっと。


「ばあちゃんは琉球王朝の子孫なんだよ」
そういって祖母の家の家系図を見せてもらったことがあります。


琉球王国ときいてパっと思い浮かぶ有名な尚氏の王朝ではなく、その前の琉球が三山に分かれていた時代。中山王の英祖王統の末裔でした。


王族だったけど、何世代あとに農民にくだったと話していたと記憶しています。
この家系図を声楽の師匠に見せたとき「砂埃と血の匂いがする」と言われました。家系図の一番初めには玉城の家紋、オリオンの三星に楠の葉がありました。


「オリオン座は空で一番最初に争いを起こした」

そのときなんとなく降ってきたイメージです。そうか、戦と争いが絶えない家系だったんだなと。なんでこんなこと思ったんでしょうね。その場面が刺さった棘のようにいつも頭の片隅に残っていました。

広沢タダシさんの”彗星の尾っぽにつかまって”をきいたとき、オリオンのイメージを再び思い起こしました。

戦と血にまみれたオリオン星で出会ったふたり。そのふたりが彗星の尾っぽにつかまって生まれ変わった場所は琉球。でも、そこも戦と争いが絶えない場所だった。

さんぐーいというのは琉球王国最高の聖地、斎場御嶽にある巨大な岩が合わさって三角形のトンネルができている場所です。ここを見ると胎内巡りを思い出します。トンネルを通り抜けて生まれ変わるみたいな。

琉球に生まれ変わっても、争いの中でふたりははぐれてしまった。また生まれ変わって一緒になりましょうと約束して、さんぐーいを通り抜けたと思うんです。祈りをこめて。
生まれ変わったふたりは微かに覚えているけれど、夢から醒めるとその記憶は遠くにいってしまうのです。
ふたりがこの世で出会えて、幸せになっているといいなと思います。

そんな私の頭の中の映像が文章で表現できていたかわかりませんが、Muse杯は私にとって、とても大きな経験になりました。

改めて運営のみなさま、広沢さん、参加された皆様、ありがとうございました。

今日も当たり前の幸せに感謝を。

と書いていたら16日は祖母の命日だったと思い出しました。
家系図の写真を撮ってから投稿しようと思っていましたが、もうこのまま投稿してしまいましょう。また写真は今度追加しておきます◎


ヘッダー画像はこちらのサイトよりお借りしました。

最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!