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協力隊卒業後、北海道に戻る事にしました。

「協力隊終わった後はどうするの?残るの?北海道戻るの?」

今まで何度このようなことを聞かれ、その度何度「まだ考えていて・・・」と応えたか分かりません。そりゃ協力隊の卒業後は気になって当然、応えられて当然なのかもしれませんが、ずいぶんと長いこと色んな選択肢を出しては悩み続けました。1年間ほどずっと悩んでいたと思います。

ここに想いを残しておこうと思ったのは「北海道に戻った」の一言で何もなかったことにされるのが怖かったからかもしれません。

もちろん大好きな方々には話す機会をいただき、一人ひとりにお話ししていますが、まだまだお伝えできていない人、お伝えした人にも伝えきれない想いがあったからこそ書くことにしました。

長くなるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

他の協力隊と比べてしまい考えすぎた時期がありました。

私は協力隊が終わった後、「起業するんだ!やりたい事があるんだ!」とやりたい事がすでに決まっている【キラキラした意欲的な協力隊】ではなく、どちらかというと純粋に穴水に住みたくて来て、デザイン作業を地味にコツコツやるタイプでした。

なので協力隊だから何か企画して!!!と思われている方には随分消極的な協力隊だと思われていたかもしれません。

「積極性が足りない、デザイナーと名乗る女に何ができる」と匿名で言われていた事もありました。こっちはデザイン専門出て、制作会社で4年半、フリーランスで2年やってるんだよボケー!!!!笑 と言いたいところでしたが、相手にしたら負けだと思ったので堪えましたが、やっぱりそう感じる人もいることを知りショックは受けました。

もっと積極的になった方がいいものなのだろうか・・・性格まで変える必要があるのかな・・・と考えすぎてしまいました。

企画するのは経験を積んだからこそ出来る立派なお仕事、私は企画経験もないし、企画されたものをデザインでカタチにしてきたタイプで分野が違うので、協力隊=企画屋だと思う人が多い事にもギャップを感じショックもありました。

そうは言いつつも3年目は企画にも挑戦します。やってみて学べる事も多いと思うので。楽しいことは好きなので、町のためになることをデザインを使って計画をしています。詳細はまだヒミツです!

私の気持ちを理解してデザインのお仕事を下さったまちなかの人達や企業の方、役場の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

穴水町は大好きな町でずっと心に引っ掛かっていたことがあり、またいつか住みたい、そう思って穴水町に来ました。

2007年(平成19年)3月25日、当時穴水中学校を卒業した私は、震度6強の能登沖地震を経験した次の日に北海道へと引っ越しました。

元々引っ越す予定だった前日に地震が遇ったので、次の日に逃げるかのように引っ越しをしました。強い余震の中、トラックに家の荷物が詰まれていき、こんな状況の中この町を出ていく事になるのかと思いつつ、気分転換にまちなか(おそらく商店街周辺)の小さなかきまつりに行きました。

地震の次の日でまだ震度5の余震も続く中、場を明るくしようと牡蠣を振舞っている素敵な方々がいることに感動したのを覚えています。

後で知ったことなのですが、その時にいた人の一人が、前のnoteに書いた谷内さんでした。「あの地震の次の日に家族でかきまつり来てくれて、北海道帰るって言ってた娘あんたか?!」と嬉しそうに話してくれた谷内さんの顔はずっと忘れません。谷内さんほどかっこいい人なかなかいないと思います。

そんな思い出もありながらも、地震で変わってしまった町の為に何も手伝うことが出来ず、何も力になれなかった心残りが子供ながらにずっとありました。

大人になって、もう一度穴水町に住むことにした時



北海道に戻り、私は高校を出て、専門を出て、その後制作会社で4年半ほどデザイナーとして働いていました。

まちづくりに関心を持ち始め、ある事をきっかけに「町の人と近い距離でデザインがしたい。デザインで好きな町の力になりたい」という夢が出来ました。実際に地域留学というものに半年間ほど参加したり、町の人と距離感の近い会社の取材に同行したりと学んだことが沢山ありました。

私の夢を叶えるためには、大好きな町である必要がありました。

想い入れのある大好きな町でしたかった。それがこの穴水町です。

私は起業したいから、定住したいからこの町に来たわけではない。そんな事を言ったら怒られるかもしれないけれど、あの時は力になれなかったけれど、今ならもしかしたら力になれる事があるかもしれないと思ったのと町に携わる仕事の出来る協力隊自体がやってみたい事でした。

町のことに携わる仕事をしながら、町の人と近い距離でデザインをする事が夢だった私にとって、協力隊をしながらデザインの仕事が出来ている今が幸せです。

残すところ1年、変わらず関わっていただけるとありがたいです。


卒業後は北海道に戻ります。

1年も前に言うのは早いのでは?と思われる方もいるかもしれません。

私のわがままなのですが残り1年を皆さんと思いっきり楽しむためにも早めにお伝えしたかったのです。

正直、3年間で何か力になれたのか、町のために貢献できたのかと思うとまだ足りない気がしてならないです。だからこそ3年目は動き回りたい。

北海道に戻るからといって大切な繋がりを切るわけではありません。

綺麗事かもしれないけれど年に何回かは穴水町に来て大好きな人達と今と変わらずお手伝いがしたいです。

まだ1年あるのに決めるの早いんじゃないか、来た意味ないとか、思われる方も当然いるとは思いますが、こっちに来てより、地元や北海道にいる大切な家族をもっと大切にしなきゃダメだな、一緒にいられる時間を大切にしたいと気が付く事が出来ました。

今まで言う事を全然聞かず、反対されても聞かずにわがままを通してきて、両親には沢山心配かけたので、近くにいたいです。隠してはいませんが、彼も一緒に北海道に戻ります。

戻るとき、多分一番寂しいのは私で、おそらく寂しすぎて大泣きすると思いますが、最後まで皆さんと沢山思い出作れると嬉しいです。

とりあえずテント市、カフェローエル、ハロウィン、まちゼミ、駅伝、奥能登大会(テニス)、かきまつり色々あるからね。

定住しますって言えなくてすみません。
中途半端ですみません。

穴水町に来て、協力隊になって色々な繋がりが出来て本当に本当に良かったです。

感謝の気持ちでいっぱいです。
関わって下さって応援して下さって本当にありがとうございます。

残り1年も、これからも、どうかよろしくお願い致します。
もう1年、夢を続けさせてください。

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