見出し画像

①東京の娘さんは故人の娘さんになった

父が亡くなった。
糖尿病で長く闘病(というには実に自由にしていたが)していた父はケアマネが言っていた透析開始から3年経ったらヤマがくる、のヤマを見事に越えられずに亡くなってしまった。
コロナ禍において「東京の娘さん」は田舎の病院にとっては害悪でしかない。
そもそも今回の入院はシャントのオペのためで多分入った本人も生きて出れないとは思ってもみなかったと思う。
シャントのオペをやってもやっても通らず、そうこうしているうちに足の血行不良で傷が治らなくなり、壊死してしまってどうにもならなくなった。
弱っていた心臓は2回の外科手術には耐えられなかったのだと思う。

多分。

だって「東京の娘さん」はムンテラには参加できないし、参加した母もよくわかっていなくて、起こった事実を考えるとそう自分を納得させるしかない。

2回目の外科手術の直後、朦朧とした意識の中で「切り刻みやがって」と毒づいたらしい父の意識レベルはどんどん下がり、なくなる2日前からは母の呼びかけに頷くこともなくなった。

亡くなる前日、看護師さんに頼んで、母の携帯を使って、意識のない父とビデオ電話をした。
笑っちゃうくらいのいびきで、わたしが話しかけると口をパクパクした。
冷静に考えてみればあれは下顎呼吸だった。
「お父さん!お父さん!」泣きながら呼びかけた。

わたしが電話したらすぐに死んじゃうんじゃないかと思ったけど意外と父は頑張った。

           →続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?