雨だれを聞きながら胡蝶を思うということ

夏が近づいて来たのか、夕立みたいな感じでサーっと雨が通っていきました。なんだか疲れていたのか、今日はずーっと寝ていて、空気の入れ替えだけはしようと窓を細く開けていたのですが、そこから雨の気配がスッと入り込んできて、のんびりとした昼下がり、夕立かなと思うともしつつ、ゆるっと眠りに落ちていく瞬間がなんだか溶ける感じでよかったです。


どうも昨日は電話をしていて、なんとも情の残る人と話していると疲れるものだと思っていたので、その分今日はゆっくり休めたのだと思います。
もう諦めたものと思っていたけど、そういうものでもないらしい。まあ家族ってのはそういうものか。なんだか色々言っていたけれど、家族を辞める選択肢が今のところない以上、多少は飲み込むしかないんだろうなぁと思います。

ゆで卵とか、ぐらぐら沸騰させながら思うのは、キッチンには白い青い自然光が似合うけど、夜だと冷たい印象になるから同じ白でも少し黄味がかった淡いクリーム色がいいなあということ。光量が重要です。明るい方がいい。
暗さは清潔感を損なうので。

台所の隅に凝った暗さというのは確かに豊かなのかもしれないけれど、今の私にはその豊かさを保ったまま、健康的な生活を送ることができない。
暗さとはその隅を見なくするものであって、生活の懐深さを映すものではない。すみの密やかな陰を暴き立てるのは乱暴なように思えるけど、支配下に置いているということを自身に知らしめるものでもあって、認識させるものである。

キッチンの明かりくらい自由にしてくれ。



朝から雨だと光の量が足りないので、午後から雨だとありがたい。
しとしと長く降るよりも、ざっと走ってくれた方が気持ちいい。
白く烟るくらいの雨だと気配も涼やかになります。今の季節だけかもしれない。その時は長靴が必要です。
空気が変わってくれるのはとても嬉しい。新鮮な空気を求めています。
だから職場でも本当は窓全開で過ごしたい。暑くなって来たらクーラーかけて窓閉まるんだろうなぁと思うと気が重い。入れ替えくらいはしてもいいかな。酸素が足りなくなる気がする。

窓が軽く開いているくらいの少し遠い距離感で、横になるのが一番好き。
気づかないくらい静かな雨の時に、冷たい空気だけ忍び寄って来て、うつらうつらとまどろみながらももしかしてと思うのもいい。
大粒の雨が地面をかるく叩くくらいもいい。今寝ている部屋は地面から遠いから、地面の草木は遠いけど、音だけわかるのは楽しい。
ただ、窓が開いてる時は風は少ないと嬉しいな……。

雨の時は出かけないのが一番いいと思う。世耕雨読とはよく言ったもので。雨降ったらお昼寝しよう。読まないんか。

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