見出し画像

Vol.64 のみさんぽ 〜湘南に暮らす鍼灸医学者が感じるウェルビーイングな歩き方〜  国際女性デー:わたしに備わる力を語る1

3月になりました。

今日3月8日は
国際女性デーです。

そして
3月1日は私と相棒の広田が受けた取材が記事として掲載された日でした
『家庭画報』4月号の280ページに
「更年期のゆらぎ」に向き合う鍼灸師として取り上げられています。

. ハプラス鍼灸院です🌸 明日3/1発売の「家庭画報4月号」に 当院の野溝先生と広田先生の記事が掲載されています♫ 鍼灸師として、メノポーズカウンセラーとして、 更年期から起こりやすいトラブルや予防法についてお話ししています! スキマ...

Posted by ハプラス鍼灸院 on Wednesday, February 28, 2024

ありがたいことです。

4月からは女性疾患に興味を持つ鍼灸師向けに
2期目のハプラス鍼灸大学院
開講します。

1期は女性疾患に限らず
頭痛、肩こりなど一般的な話も取り上げ、前期・後期の2期制にしていましたが
女性医療、女性のライフステージを真正面から取り組んでいくには
時間が足りなさすぎる。

なので2024年度は1年間ぶっ通しで
女性医療と鍼灸です。


女性医療だからといって
女性のためだけではないのだと
男の私は思っています。

そもそも健康は良好な人間関係
心理的な安心感、そして正しい知識と行動力、自分に注意を払うことにより育まれると言っても過言ではないと思っています。

女性だから
男性だから
ではなくて
わたしならどう考え、理解し、
どう選択し、どう行動するか

自己理解であり他者受容が健康の鍵

技術に偏重しがちな鍼灸が
人生哲学、健康哲学として
視野を広げる一助になれば、

ハプラス鍼灸大学院が心も頭も身体も柔らかくなるような場になってくれれば、

そのように願っています。

それにしても、私自身、
どうしてここまで女性医療に関わりを続けようとしているのか
この熱意の源泉はどこにあるのか
最近考える場があったので忘れないうちに振り返っておこうと思います。

その前に、
そのことを考えるきっかけになった
あるグループでのお話を。

(ここから一人語り調)



あるオンライングループの定期ミーティングでは
一人ひとり人生を自ら振り返り語るという場になっていた

私はある1人の女性の
思考が止まってしまうほど波乱万丈な人生のストーリーを
ひたすらに耳を傾けて聴いた

長女に生まれた彼女には
3つ下の弟がいて
より小さな存在に皆が注意を傾けるがゆえに、
弟が生まれて以降
自分のことは語らないように、迷惑かけないように、わがままを言わないように成長していったと言う

愛に接したくても引き裂かれ
接せない環境にいるうちに
いつしか
誰かの役に立つ存在にならないと
自分は生きていくことはできない

そう思うようになったという

自分なんていなくても良い
こんな私はダメな人間だ

と母になり子供を産み育て
愛していても
常に自分には刃が向けられ

「支えてもらえる、独りではない」
という思いは湧かなかったのだろう
そう思うと胸が本当に痛む

それでも
そばにいてくれる人から

「生きててくれるだけでいい」
という願いが届き
自分が愛されていると受け入れるようになっていく運命が待っているのだから
人生はいつだって思うように始められる。

人間みずからの足で立ち、コツコツ歩み

生きたいという意志と
こうありたいという意図を持つことで
見える世界はみるみる変わっていく

その女性の今は
ようやくみずからの方法で
おのずからその人に備わる花が広がっていこうとしている

その美しさに私は心から感動する



私たちそれぞれの生きてきた道のりが不幸な過去なのか、幸福なのかどうかは本人がその時その時でどう感じるかなのであって

それよりもいま自分を置いている土台が満ち足りたものになっているか、
自分の体の隅々に耳を澄ませて
その細胞の温度、温かみ、固さ、柔らかさ、心身魂が伝えたがっている
サインやシグナルを感じてみるといい
そう思っています

三つ子の魂百までというように
極々小さい時に受けたインパクトはその後の人生に少なからず影響を与えるようです
私自身、3歳頃までの記憶が薄いために実感はないのですが
人のストーリーを追体験すると、
そのことわざも言い過ぎではないと思えてきます

私にも2歳下の弟がいて
出産した母が弟に乳を与えていれば
もちろん私にはかまっていられない状態であったことは同じでしたが
それでも私は寂しいと思わなかった。
それはなぜだったのだろうか?と考えています

ちょうどその頃、短大に入学するからと、田舎から出てきた母の歳の離れた妹が同居していて、何かと外に連れ出して遊んでくれたことが
今も記憶に残っています

私にとっては小さい母というか姉のような存在でした

その意味で私は母だけでなく、もう一人の女性に支えてもらったことになります。
弟への注意が向けられている間の寂しさを和らげてくれるにとても大きい存在だったと思います

そのせいなのか
人に会うと私には女性のきょうだいがいるのではないか?
と言われることがしばしばあります。
女性との距離感があまりにも自然体なのだと言われます

私は好奇心旺盛で、すばしっこくて、探検が大好きで、親の言うことをちっとも聞かない子供だった。

やんちゃな男の子そのものだったが
それでも住んでいた社宅には
たまたま女の子の幼馴染が多く、
今すぐミミズや虫を獲りに行きたいのにごっこ遊びに付き合わされて
でもその場をひっくり返すような乱暴なことはしなかったことだけは覚えている。

それのどこが何十年もあとに女性医療につながるのかは
話が長くなるので次回に譲るとして、

たぶんそもそも私の中には
私の人生には
男だから女だから
という今でいうジェンダーバイアスの枠組み(?)が必要なかったのかもしれない。

ということで
次回はここから女性医療に出会い
怒りというか使命感に近いものが湧いてくるまでをお話ししたいなと思うので
もうちょっとお付き合いください笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?