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03 母の死

私が高校生になったばかりの頃です。それまでは家族5人で小さなアパート住まいでしたが、一戸建ての家を買って、そこに引っ越すことになりました。私達3人にはそれぞれお部屋が与えられました。

私達はお休みの度に、家族でホームセンターに行ったり、家具屋さんに行ったりして、憧れのベッドや本棚が部屋に置かれるようになりました。

父は仕事を取ってくるため、取引先を引き連れて繁華街までよく出かけていきました。景気が良かったということもありますが、建設業界ですからある程度見栄を張らないとバカにされる風潮もあり、ちょっと無理をして出かけていたようです。

母は母で、買い物依存症の部分があったようです。いつ使うのか全く分からない新しい服や靴、宝石を買ってきては、鏡の前で着てみたり、アクセサリーを身につけてはうっとりと眺める場面をよく目にしました。

私達の学費に加え、家の返済、父の飲み代、母の買い物など、様々なものが重なって、いつしかその支払いが、父の気持ちの負担になっていたようです。

新しい家に住み始めて1年が過ぎた頃でしょうか。両親がよくケンカをするようになりました。父が役員をしていた会社が倒産し、父も借金を背負うことになったのです。

酒に酔った父が怒鳴り声をあげ、母親が負けじと言い返し、激高した父がモノを投げたり、壁を壊すこともありました。そんな時、私達3人はいつも、それぞれの部屋に逃げ込み、布団をかぶって嵐が過ぎるのを待つしかありませんでした。

いよいよ家を手放すことになりました。景気が良くてお給料も良かった時に組んだ住宅ローンはすぐに払えなくなり、私達家族は再び狭いアパート暮らしになったのです。

一戸建てなら収納できた荷物も、狭いアパートにはとても収納できず、家の中はいつもモノで溢れかえり、ゴチャゴチャしていました。

借金の返済、失った仕事、生活費の工面。それらが父を次第に追い詰め、追い詰められた父は再び母に辛く当たるようになりました。私たちは逃げる場所もなく、目の前で行われる壮絶な場面をつぶさに見せられることになりました。

この辺から私の記憶はスッポリと抜け落ちています。今でもその時何を考え、どう振るまったのかは全く思い出せません。気が付いたら母の葬儀で、私達3人は学校の制服を着て、親族として母の葬儀に参加していました。

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