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ピヨへ。

深夜にどうしても書かないと眠れなくて、追悼兼ねてピヨに書く。

今日ピヨが死んだ。
職場で上司に突然「ニワトリを飼いたいから孵卵器と受精卵を手に入れてくれ」と依頼され、ニワトリの卵なんて全く孵化させたことがないので面食らって「無茶ぶりだろ!」と内心怒りながらそれらについて調べた。

本当に全くしたことがなくて、農家の幼なじみに助言を聞いたり、ネットで調べたりして孵卵器と受精卵を買った。受精卵は新潟の養鶏所から取り寄せたものだった。

数週間待ち、6月の末になって烏骨鶏の受精卵が届いた。
スーパーで売っている卵より一回り小さくて、ツルッとしている卵だった。
孵化用ではない受精卵で、いかにもそのまま食べてくださいというように紙のパックに並んでいた。
ええ、これが孵化するの?まじ……??
と、半信半疑おそるおそる孵卵器に並べた。

ツルツルしてて小さめ

こんなん本当に孵化するの?
これスーパーで売ってる卵じゃん……

本当に、これからヒヨコができるなんて毛頭信じられなかった。

経験がないので理解しにくかったが、孵卵器の説明書を読み卵のセットをしてみた。
温度は38℃に、転卵(卵をひっくり返すこと)は2時間に2回、水を入れて……
ってこれ本当に孵るの?
内心バカみたい……ままごとかよ。
とか思いつつ卵のセットが終わった。

孵化には3週間かかる。
くしくも、予定日は私の誕生日の次の日だった。
予定日まで孵卵器に書いてあるように毎日湿度を保つための水を換えて見守り続けた。
卵に光を当てると中身が見えるということで当ててみてよく見えず、これはヒヨコがいるってことなのか……?
などなど全く何も分からなかった。

そんな日々が続き、私も無事に誕生日を迎えた次の日、いつものように孵卵器の水を換えようとして蓋を開けた時だった。
「コツコツ、コツコツ………コツコツ、コツコツ…………」
えっ??なにこの音??
さらに耳を澄ますと、
「ピーピー、ピーピー」
殻の中から声がするではないか!!!

おおぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!
ヒヨコがいるぅぅぅ!!!!!!!!!!!!!!!

テンションが爆上がりした私は俄然張り切って励まし始めた。
「頑張れ!あと少しだぞ!頑張れ!頑張れ!」
我が物顔で上司に
「生まれますよ!!とうとうこの日が来ましたよ!!」
なんて報告して、じっと見守り続けた。

そしてその日の夜19時頃、職場で残業をしていた上司から動画が送られてきた。
そこには、生まれたばかりで濡れそぼってるようだが、元気にピーピーと泣いているピヨがいた。

うわあぁぁぁぁぁあああぁあ!!
生まれてるじゃないですかーーーー!!
とテンションがまた爆上がりし、上司にLINEを返し、ワクワクしながら次の日職場に行った。

するとそこには箱の中を元気に這いまわるピヨの姿があった。


私はすぐに「ピヨ」という名前を付けて、まだ孵卵器の中に2つほど生まれそうな卵があったため、それぞれを「ピヨ1号」「ピヨ2号」「ピヨ3号」と名付けた。

生まれてから次の日までは、ピヨは元気に箱の中を動き回っていた。
スポイトで水を上げるとへたくそながら飲み込んでいた。
餌もなんとか飲み込んでいて、このまま元気に生きて行くと思っていた。
そう信じていた。

けれど生まれて2日目の朝、職場に行くと、宿直をしていた上司が暗い顔をして近づいてきた。
「ピヨが危ないかもしれん………」
えっ!!と思って急いでピヨのところまで行った。
箱の中は冷たく、ピヨも冷え切っていた。
「これ室温が寒いじゃん!!!!!」
と思い、私は急いでペットボトルにお湯を入れて箱の中に入れ室温を上げた。
そして冷えながらもまだ「ピーピー」と言い、うごうごしているピヨを手に包んで温めた。
温めると心なしかピヨは動きが活発になり、盛んにピーピー言い始めた。
あ、持ち直すかもしれない……
と、ホッとしながら、また元助産師としての自分の判断を内心誇らしく思いながらその日は仕事をしていた。

しかし、持ち直すかと思っていたピヨはどんどん弱っていった。
そして、昼過ぎ頃にとうとう動かなくなった。
「ピヨ、ピヨ~」
と呼びかけるも、閉じた目は開かなかった。
水と餌をあげようとしたが、くちばしは固く閉じられ開かなった。
ピヨ、死んでしまったんか………
信じたくないような、また復活して目を開けるような気がして期待して待っていたが、ピヨはもう目を開けなかった。
そしてその日の夕方、私は上司と一緒に穴を掘り、ピヨを埋めた。

土の中に横たわるピヨを見て、月並みな言い方だが自分の無力感に悔しさを感じた。
よく医療ドラマや小説でも書かれてある表現だが、私も仮にも医療職の端くれなのに、消えて行く命に対して何もすることができなかった。
冷たくなっていく体を再びあたたかくすることができなかった。
人間相手ならまだ訓練されているので結果はどうあれ心臓マッサージもできるかもしれない。
でも鳥相手なら、心臓の場所すら分らなかった。
圧倒的に、無力だった。

上司と一緒に、
「生まれてきてくれてありがとう」
と手を合わせ、命の尊さと奇跡を話しながらお墓の前を跡にした。

今ではピヨ2号が生まれていて、2号は元気に歩いている。
私は他のニワトリの例を知らないので比べようがなかったのだが、そう思えばピヨは生まれても這うばかりで歩くことができなかったのでもしかしたら生まれつきの弱さがあったのかもしれない。
でも、もう少し生かしてあげたかった。
そのために何かもっとできたんじゃないかと悔しさが込み上げてくる。
この教訓を元に今度はピヨのように寒くさせず、2号やもしかしたら今後生まれてくる子たちも元気に育つようにしてあげたいと思う。

ピヨ、短い間だったけど、命の偉大さと奇跡を教えてくれてありがとう。
生かしてあげられずごめんなさい。
安らかに眠ってください。

追悼の文としてここに記し、ピヨの冥福を祈る。


ピヨ、ありがとう。


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