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NFTアートは「持ってる」って事実だけで良しとされてるかもって話

はじめてNFTアートなるものを買ってみて、なんとなくそのなんたるかの一端を理解できた気がする。

結論から言うと、作品を所有していることに対する満足感を得られてるかというと、全くゼロというわけではないけど、微妙。

絵画を買う人の中には、絵を倉庫に突っ込んだままでもOK、保有することに意義があるみたいな人もいるとは聞くけど、俺みたいなタイプはそれこそ飾るなり見て楽しむなり、目に触れてナンボみたいなところがあるから、使い道として最適なのが見つからない現状を考えると、今後も買い続けるかと言われるとノーかなと。

資産的価値を名目に売買が繰り広げられてる部分もあるのだと思うけど、アートじゃなくてもいいよねそれは、と。まあ逆に言えばアート「でも」いいんだけど。

満足感がゼロではない理由はたぶん、俺以外だと限られた人(在庫数分)しかこのアートを持っていない(というか持つ権利がない)んだ、という特別感のみ。ただ、買ってよかった!と思うほどの満足感はもちろんなし。

こんなような事はググれば誰もが言ってるんやろうけど、まあやっぱそうなんやなと身をもって確認できました。

ちなみに、どうもお騒がせしていると耳にする楽天NFTにて購入。楽天NFTのサービス自体がイケてないせいで使い道が限られてる、という話は聞くけど、ぶっちゃけ購入ハードルの低さを考えると情弱としてはここ一択。あと楽天のポイントで買えたから実質ゼロ円。だから満足感も低いのか?とか思ったけど、たぶん関係なし。豪華ディナー一食分くらいのポイントは払った。

他サービスだとダウンロードなんかもできたりするのかもしれないけど、仮想通貨とか知らんし、それはそれでそこから教えてほしいくらいある。

あと実際のアートは、新日本プロレス50周年のオカダ・カズチカのフォトアートなので、それはここだけの話にしてほしいです。

以上、半蔵でした。
寒いね。

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