銃弾戦事件について
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※2013年11月に別のブログに書いた記事の転載です
日本プロ麻雀連盟のタイトル戦「十段戦」(タイトルの誤字は確信犯、念のため)。このプロだけが参加できる競技麻雀の大会に於いて、一昨年と今年の2度、物議を醸す"事件"が起こった。
一昨年(後記注:2011年)起こったのは、「森山会長の目なしアガリ事件」。
既に上位2人にしか優勝の目がない状況で、最終半荘の終盤にトータル2位の堀内プロが猛連荘して1位の瀬戸熊プロを追い詰め始めた時に、大きく離れたトータル3位で既に親もなく可能性がほぼゼロの森山プロがピンフのみ(高めドラ)のMAX3900の手でリーチして、堀内プロから出アガった、というもの。これに関しては、「(優勝の)目がないプレイヤーは黒子に徹する」という暗黙の了解並びに森山会長自身の普段からの主張とそぐわないプレイではないかと批判が殺到したが…この半荘ではトップに立つアガリで、「自分が何を目指すか」「ファンに何を見せるか」はプロ個人個人違っていいと思うので、個人的には明確に批判の言葉は持たなかった。そもそも「暗黙の了解」を守る必要はないし、最終半荘でトップの回数を1回増すのを目指すプロだっていてもいいと思う。
あくまでも卓外での発言を含めて「この人は一貫性がない/品格がない」と感じるのはファンの自由な個人的感想であって、その結果「そのプロを応援しない」というファンとしての行為で抗議するしかない性質のことだったのではないか。※追記(2013年当時のもの):森山プロが「目なしアガリをしない」ことを公言したことはなく、むしろ公平性を欠くのでプロだけの対局ではそれをし過ぎない方がいいという立場だったと黒木真生氏からご指摘を頂きました。謹んでお詫びと訂正致します&ご指摘ありがとうございます!
蛇足を承知で言えば、最終半荘のみ「目なしアガリを絶対にしない」という縛りを設けて、下位プレイヤーが11回戦と最終12回戦の戦略を大きく変えて打つことは、「目がある」側にとっても「11回戦でツイてる打ち手」と「12回戦でツイてる打ち手」の間に大きな有利不利を生むので(観念的な表現だが)、12回戦のトータルで競う公平性が怪しくなる現象だ。いろんな打ち手がいろんな思惑で打つ(最終半荘でトータル3位を目指す/その半荘だけのトップを目指す打ち手がいても全面否定はできない)という状況のなかで、最終半荘を優位に運ぶために11回戦まででリードを拡げるのも技術であり、戦略であるはずである。少なくともその部分で遅れを取ったことが敗因だとすれば、堀内プロにも"落ち度"があったのは事実である。
それはともかく、この件で一部が異様に盛り上がったのは、堀内プロの業界内での立場が大きな要因であった。
彼の打ち筋は、流れを意識したり意志の力で大物手を作り上げる従来「強い」とされた打ち手のそれではなく、ひたすら手数を増やして、冷静かつ合理的な判断と読みを積み重ねて局ごとの収支期待値を厳密に上げることによって、半荘の収支期待値を押し上げるというもの。その戦略はシンプルだが極めて難易度が高く、出世に時間がかかるためベテランが多いトッププロのなかではこれまでにない新しい存在だった。
彼の台頭に、古参プロたちが危機感を募らせたのは想像に難くない。キャッチーな大物手は対局の"華"であり、初心者にもアピールするものなので、"興行"の意味でも「腰の重い」打ち手が好まれる傾向がある。古参プロ、特に会長を兼ねる森山プロにとっては、興行主としても「腰の軽い」堀内プロは"目ざわり"だったのかもしれない。更に深読みすれば、局面ごとに「流れの把握」ではなく「理に適った正確な読みの積み重ね」が麻雀に於いて最大のミッションだということが世間的に流布してしまえば、経験に勝る年配者の優位がなくなって脳の瞬発力に勝る若者の方が強いゲームになってしまう。そうなると麻雀荘の客の勢力図やメディアでの発言力にまで重大な影響を与えかねない…という危惧もあったかもしれない。
麻雀界の上層部や古参プロのなかで、堀内プロのような若手を「潰す」意識が趨勢として形作られていったのは、こういった背景を考えると至極当然のことだろう。単純に自身の「プロ」としての価値を高めることを考えても、自分以外のプロの2度目のタイトルを全力で阻止するという姿勢は、別に不正と咎められる戦略ではないと思う(註:堀内プロは2010年十段戦を制覇、運の要素が絡む麻雀ではタイトル1回だけならばフロックと軽んじられる傾向もあるので複数回取ることに大きな意味がある)。ただ既に古参プロの麻雀にあまり魅力を感じない若年層や、「腰の重い麻雀」では勝てないネト麻に馴染みがある界隈を中心に、この趨勢をよしとせずにプロ連盟を強烈に批判する動きも湧き上がっており、これもまた当然の現象。特に堀内プロが業界内でそのようなポジションにいることを敏感に察知している層からは、「堀内プロだから」潰そうとしている古参勢の"総意"を読み取って、過剰に反発する動きも出ていたように思う。
これらの状況に関してはどこの世界にでもある「世代間闘争」の発現と見れば、「若手を潰そうとする古参」も「旧態依然を叩く(一部)ファン」も、ごく自然なことである。象徴的な"事件"が起こったことにより議論活発化の契機になるとすれば、むしろ健全な方向へ向かう好ましい状況かもしれない。
これを経て、今年(後記注:2013年)の「堀内プロ三味線失格事件」である。
仕掛けている堀内プロは14索待ちで123三色ドラドラの1索片アガリ。これに対して4枚目の1索を掴んだ瀬戸熊プロはしっかり抑えて回るが、終盤に堀内プロが3索をツモって少考、手の内から3索を空切りしたことでオリて手を崩したという印象を与えたので、最後に再度テンパイを入れた瀬戸熊プロが1索を勝負してまんまと振り込む、という場面。
これが動作による三味線にあたると判断され、悪質な行為として失格になったのだ。立会審判の藤原プロによると「ツモ牌を卓に叩きつけ、困ったような表情で首をかしげ、溜息をついた」とのことで、確かにこの文面からは念入りにミスリードを誘っているとも思える。
これらは全て動画からは確認しづらく、あくまでも審判の主観的な判断に頼った表現ではあるが…ただこの際解説の滝沢プロもリアルタイムで「スレスレのプレイ」と評しており(個人的には「好き嫌いは別れるかもしれないが、テクニックとしてギリギリ許される範疇」という趣旨で発言したと解釈)、確かにこれで深読みしてオリたと思ってくれれば儲けモノだとは考えたのではないか(恐らく堀内プロはそれも否定すると思うが)。意図の有無はともかく、動作だけで三味線と判定されて失格にまで至るのは極めて異例の裁定で、批判や議論が噴出すべくして各所で噴出している。
この裁定に関しては、問題があまりに多層的で、整理して論じる必要がある。
まず、「(1)手牌に関することを"隠す"ためのテクニックがどこまで許されるか」である。
広い意味では「テンパイ気配を消してダマテンをする」「序盤の切り出しで染め手に見せかけて違う色で待つ」などの当然のテクニックと同様の、手牌の進行を"隠す"ための方策。そこに溜息や首をかしげるなどの"小技"が加わると途端に失格になるのか。森山会長は、最終形の大物手の時に大袈裟なアクションでリーチする「アトミックリーチ」という"必殺技"(?)を持っているが、手牌の高さを他人に知らしめるのは麻雀のゲーム性を損なうという解釈もできるし、逆に時折さほど高くない手でも同様の動作をするのも「三味線」ということにはならないのか。
個人的には、この"ゲーム性を損なう"部分に関して、連盟の古参プロは無頓着なイメージがある。森山会長のアトミックリーチしかり、途中流局がない対局で九種九牌倒牌をしてしまった伊藤副会長しかり(手牌の大部分を不正にオープンして何のペナルティもなしに対局が進んだ例は、後に先にもこの場面しか知らない)。もっと言えば以前は年配プロの多くが行っていた小手返しも「手牌に関することを手先の"小技"で隠す」分かりやすいテクニックである。それなのにこれまで失格になった例は皆無で、今回だけこの程度のことで失格になるのならば、やはりルールの明文化は必要だろう。仮に内規としては明確だったとしても、「堀内プロだから」失格になったと解釈されかねない。
続いて「(2)裁定の手順の不体裁」である。
これに関しては「動画で確認出ず、立会審判一人の主観のみで判断するのは信用できない」「実際視認したのは一人なのに、理事会では全会一致で失格とするのはあり得ない」「権限を持っている立会審判がその場で対局を止めずに、後刻失格とするのはおかしい」などの批判が上がっているようだが、実はこれらの意見は基本的に全くの的外れである。批判する側は、この点には注意して欲しい。
動画でカバーできない部分を視認するために立会審判が置かれており、その主観的判断に全てを委ねるという規則に同意して全プレイヤーが対局に挑んでいるならば、それを以て裁定を不正とする批判は意味がない。更に「動作の確認=立会審判に一任」「処分や裁定=立会審判の報告を事実と扱って理事会で行う」という役割分担で動いているならば、自分の目で見ていない理事が失格とするのも粛々と役割を果たしているだけのことである。更に"興行"を考えれば、配信されている対局のスムーズな進行を第一義として、もしこのまま「三味線」が結果に影響を与えなければ厳重注意で済ませる・影響を与えれば事後理事会に諮るという判断もあながち否定はできない。野球や競馬に準えて普通は「その場で判断できなければ、ゲームが進んだ後で裁定は覆すべきではない」という主張も、そもそもアピールプレイがルールに明記されている野球や、騎手の主観でどのような動きがあったかを裁決室で聞き取るシステムがある競馬とは違って当然で、これもやはり立会審判と理事会の分業を否定する根拠にはならないだろう。
そして最後に「(3)処分の妥当性」である。
まあこれは結局(1)と重なるのだが、前述の通り過去の前例との比較ではあまりに整合性がないので、いきなり失格という処分の重さに批判が集中するのは当然だろう。仮にそれが妥当だとして、それこそ「失格になるプレイヤーに削られた得点」をどこまで活かすかによって、残ったプレイヤーの序列にも大きく関わってくる。ここまでプレイヤー同士で作ってきた"ゲーム性を損なう"裁定なのは間違いなく、プロ連盟はその点ではある意味首尾一貫しているのかもしれない。
現時点で堀内プロの十段戦失格以外の組織内での処分は保留で、年明けに決定されるらしい(後記注:結局プロ失格として退会に)。世論の影響を受けるような団体とも思えないが、業界関係者・ファンを問わずこれを契機にいろんな議論が膨らめば、プロ連盟も麻雀界全体も健全な方向に向かう力になるのではないだろうか。
これは個人的な意見だが、今回の裁定を批判・議論する場合は、上記の理由により「(2)裁定の手順の不体裁」の部分について感情的な否定はしない方がスマートだと思う。連盟に対しては「(1)手牌に関することを"隠す"ためのテクニックがどこまで許されるか」についての議論を煮詰めていくことに腐心して欲しい。その上で「(3)処分の妥当性」に関しても、今回の件だけでなく今後も含め、しっかり整合性を確立して欲しい。
ってかさあ、自分と意見やスタンスが違う若手を認める大人の方がカッコいいよね。単純に森山さん好きだから、彼にはカッコよくあって欲しいよ。
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