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面倒くさいってどんな匂い?


面倒くさいってどんな匂い?


運転席の母と助手席に座った姉との間に頭を突き出して、私は本気で尋ねた。

「めんどくさいってどんな匂い?」

母、姉、絶句。そして大爆笑。
えー、いやいやなんでなん?思ってた反応と違うじゃん。
私は本気で“面倒くさい”の匂いが気になるんだけど。
ドブっぽい匂いかな?いやワンチャン甘い系の匂いかな?ウッド系かな?
いやフローラル系か?

はい、おふざけはこの辺にして。

母には「あんたは口から生まれたよ」と言われ、父には「火星から来たんだよね?」と言われ、挙句の果てに姉には存在をなかったことにされるほど、私は個性的な子どもだった。

一方で、勉強もスポーツもそこそこ、成績はオールAを取ることもしばしば、そして母には「あなたは努力する天才だ」と言われるような、一生懸命な人間でもある。(自分で言うのも恥ずかしいですが)

そんな私が、人生で初めて、真っ暗で、とてつもなく長いトンネルに迷い込み、やがて光をつかむまでの軌跡を、当時の日記とともにお届けします。
 


大学生って、とても悩ましい時期ですよね。
すごく自由だからこそ、その自由に戸惑って、自分の生き方と向き合わざるを得なくて、悩んで考え抜いて、水中を歩いているような、そんな感じ。
 
もともと成績は良い方で、高校は迷うことなく地元の進学校に入学した。
それもあって、入学した直後から、志望大学を決めなければならなかった。
大学生になるのなんてまだまだ先だと思っていた私は、大学や学部のことを調べることもせず、クラスメイトが進路希望調査に「教育学部」と書いていたというだけで、私の進路も教育学部に決めた。
毎度進路希望調査に「教育学部」と書いていると、不思議なことに本当に、本気で教師を目指すようになった。

そんなこんなで、実家から1時間ほどはなれた所にある大学の教育系の学部に入学した。
初めての一人暮らしは自由で楽だったし、居酒屋のバイトも毎日お祭りみたいで楽しかった。
オシャレやメイクも始めて、かわいいと褒められることも増えて、今思えば完全に天狗だったな。
ここまで聞くと、可もなく不可もなく、順調に人生歩んでいるように見えるでしょ?
でもまあ、人生そんな甘くないよね。
 
特に何かきっかけがあったわけではない。
たぶん、他人と自分とを比べたんだろうね。
自分よりみんなの方がかわいい、自分よりみんなの方が友達が多い、自分よりみんなの方が人生楽しそう。
こんな風に、正体不明の“みんな”と自分とを、何の根拠もない基準で比較して、だんだんと自分の人生や自分自身を疑うようになった。
このまま毎日同じように生きていていいのか、自分はいったい何を目指しているのか、安定しすぎのなんのおもしろみもない生き方でいいのか、なんの努力もせず神頼みしてんじゃないよ。
そんな中途半端な生き方しかできないなら、消えてしまえ。消えろ、消えろ、消えろ。
一日に何十回とそんな言葉を繰り返していると、いくら自分自身の言葉であっても、傷つくんだよね。

そしたら、外に出ようにも人の視線が怖くて出られず、息を吸いたくても上手く呼吸できず、勝手に涙が出てくるようになった。

その頃の私を好きだった人なんていないと思う。
なぜなら、私自身が私のことをとても嫌っていたから。
それをわかっていてもなお、自ら孤独の道を進んでいった。
私は、ただひたすら耐えた。
 
どん底に落ちたら、あとは這い上がるだけだとよく言うけど、これ、本当にそうでした。
弱すぎて辛すぎて、本当に消えてしまいそうだったから、自分を続けていくためには強くならざるを得なかった。
みなさん、強い人ってもともと強いと思ってませんか?
私はそうは思わない。弱いから強い。
弱さと強さは同時に存在するんだと思う。
だから私は、弱いから強い。

どん底に落ちてからがスタートだった。この時から、新しい私が始まった。
自分改革を起こすため、5つの行動を習慣化した。

①     1日の最後に、必ず10個、自分の良いところを言う
②     すべてのことに対して「ありがとう」と伝えてから寝る
③     靴下でもハンカチでも、必ずどこかに明るい色を取り入れる
④     考えたことや感じたことは、文字にする
⑤     イライラしたときや不安な時は、深く息を吸ってゆっくりと吐き出す

たったこれだけの意識で、人間が変わっていった。
教師以外にも、うっすらとでもやりたいと思っていたことは片っ端から挑戦した。
その中で、失敗したものもあれば、そこまで本気じゃないと気づかされたものもある。
でもそれは全く無駄じゃない。むしろ一歩前進だ。
こうして出会ったのが今の職場だ。
会社のホームページでビジョンを見たとき、自分がやりたいのはこれだと、完全に一目ぼれした。
すぐに履歴書を提出し、面接を受け、結果、その場で内定をいただいた。
新しくなっていく自分に、わくわくし始めていた。
 
  
★当時の日記★
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私は20年間で得たものは何もないし、何かできることもないと本気で思っていた。
でもそれは言い訳だ。
何かに挑戦して失敗するのは嫌だし、苦労するのも嫌だ。
だから何もしようとしない。それを「私には何もできない」と言うことで、何もしない、する勇気のない自分をかばっている。
この20年間、だいたいのことはうまくやってきたけど、失敗せずに、苦労もせずにほしいものが得られるわけがない。
逆に言えば、私は今まで大き失敗も、苦労もしてないから、得たものがないんだよ。
何か得たいものがあるなら、それなりの覚悟をするべき。
大丈夫、大丈夫。頑張れ!
数年後、楽しく、幸せでありますように。
自分を誇れるようになっていますように。
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4年生になったら自分のしたいことがわかる、進路が決まるって思ってたけど実際そうじゃなかった。何もしない限り、何者にもなれない。
今週の運勢はいいらしい。それに期待して、神頼みで、運任せで、結局何もない一日だった。何もしてないくせに奇跡が起こると思ってるのが情けない。自分を情けないと思ってる自分も情けない。
お願いだから変わってほしい。
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最近消えたいとか過去に戻りたいとか思うことが減った。自分のこと嫌いじゃなくなったらすごく楽になった。自分は自分で、生きたいように生きるだけ。
「今したいことをする」そうすると、今を生きてる感じがする。
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私って、自分が思ってるよりも幸せで、満たされていて、恵まれてるんだなって思った。
これまでは、周りの人がどれだけ自分に優しさを与えてくれているのか気付かなくて、足りない、何もないって思って、余裕がなくて、寂しかった。
でも、そうじゃないかもって気付いた。そう気づいてからは、優しさを受け取るだけじゃなくて、その優しさをまた別の人におすそ分けしたいと思うようになった。
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社会人になってからは、住む場所も関わる人もガラッと変わって、悩むことも大変なことももちろんたくさんあるけど、どんどんと変化していく自分が楽しくて、生まれ変わってもまた自分になりたいと思えるほど、今までの人生で一番「自分らしく」生きられている。
 
~仕事への思い~
現在、子どもたちの発達を支援するお仕事をしているのだが、私は何度生まれ変わってもこの仕事に就くんじゃないかと思う。
自分がなぜ障害福祉分野に興味を持ったのか、何か特別な理由があるわけではないのだのだが、父親が同じ分野の職業についていたことから、私にとって“障害”とか“福祉”っていう言葉は身近にあった。
そして私自身個性的な人間であったがためにマイノリティになることは多々あり、「変わってるよね」という称賛しているのか否定しているのかわからない言葉を投げつけられることも多々あった。
マイノリティであることが悪いのか、マイノリティであることでそれは間違いだとされるのか、人と人との違いになぜ正誤をつけるのか。
この社会では生きにくいと、そんなことを薄々と感じていた。
 
そんな経験から、子どもたちを守りたい、笑顔にしたい、何があっても子どもたちの話に耳を傾ける大人になりたいと思うようになった。
あなたは間違ってないよ、好きなことをしていいんだよ、あなたが面白いと思えばそれはおもしろいんだよと言ってあげたいと思った。
子どもたち一人ひとりの個性が、最高だと思った。
 
社会人3年目となった今でも、この思いは全く変わっていない。

★当時の日記★
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私が子どもたちと関わる仕事をしているのは、
数年後、十数年後、子どもたちが大きくなって、
自分の過去を思い返した時、
温かい気持ちになってほしいからなんだなと改めて気づいた。

温かい思い出や記憶を持ってる人って、
それだけで強くなれると思う。
自分の過去を肯定できると、今の自分も大切にできそうというか。
自分を受け入れてくれる場所があった、
笑顔で関わってくれる人たちがいた。
それがなんとなくの記憶であっても、
でもすごく影響力のあるものとして、
子どもたちの中に存在し続けるんだと思う。
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~試練~
入社して一年たったころ、私は自分自身のレベルをさらに高めるべく、半年間にわたって社内での試験を受けていた。
自分自身のレベルアップといっても、スキル的な部分でのレベルアップはもちろん、当時の私は人間性の部分でさらに成長する必要があった。
なぜなら私は生粋のとげとげ人間だったからだ。おそらく小学校から高校までのクラスメイトに私の印象を尋ねれば、ほとんどの人が口をそろえて「怖い」と言うのではないだろうかと思う。
まあ私がとがっているのにも訳があったのだが・・・。
 
とにかく、当時の私は周囲の人たちに対してポジティブな影響を与える人間ではなかった。
これは私の中で最も大きくて厄介な問題であったが、だからこそこの問題が解決できれば私は最強になれるのではと、なぜだかワクワクしながら私史上最も難易度の高い改革を始めた。
 
毎日1本ずつ、他人に向けているトゲも、自分に向いているトゲも抜いて、私は生まれて初めて「優しい」という印象を持たれるようになった。
始めは初対面の人から、そして同僚、後輩からと、私は次々に「優しい」という言葉を投げかけられるようになった。
これはもう、本当に優しくなったってことだよね。
私は一生とげとげして、周囲からも怖がられて、満たされず寂しく生きていくんだろうと思っていたけど、変われた。
「変わりたい」という強い思いが、不可能だと思われたことを可能にした瞬間だった。

★当時の日記★
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幼稚園のころからずっと、私はメンタルが強い。
というか、メンタル強いねって言われることが多い。
自分ではそうは思わないけど。
この前友人が、私のことをマトリョーシカみたいって言った。
中をのぞいたらまた違う人が出てきそう、らしい。
たしかにその通り。私はかなりマトリョーシカだ。
私の中をどんどんと進んでいくと、
そこには、針のように細いガラスが1本あるだけ。
誰かに触れられたら、いや、自分で触れたとしても、
一瞬にしてバラバラになってしまう。
だから私は硬い殻を何重にも着て、
ガラスを守ってる。

人って、他人や自分自身の言葉によってラベリングされて、よくも悪くも強化されているんだと思う。
だからものを言う時は気をつけなきゃいけない。
「あなた本当にすごい人だよね」って言われると、
嬉しさ、プレッシャー、責任感、もろもろの気持ちが相まって
たぶんさらにすごい人になろうとする。

私も「メンタル強いね」って言われることで
更に強くなっていった。
そしたらまた「メンタル強いね」って言われる。
また強くなる。
弱い自分が、どこか遠くに消えてしまう。
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正直弱音を吐くと自信はない。でも自分の努力でつかんだチャンスを無駄にするのはいや。
最後まで絶対にあきらめない。
「もう無理かも。手遅れだ」と思った時こそ最後のチャンス。
そこで諦めるか諦めないかで結果が変わる。
走り切る。
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社会人になってから2年ちょっと。
入社当初自分が想像していた以上の結果を出している。
そりゃ、側から見たら順調に見えて当然か。
悩みなさそうに見えて当然か。
でも、私の中の5歳児的には、
「私は、この結果を出すためにやること全部やってきた。やることやってるから今の私がある。この結果を出して当然と言えるほどの行動を起こしてきた自信がある。」
人は、やっぱり偏見の塊だ。
目の前の相手のごく一部だけを見て、勝手に決めつける。
勝手に、自分の想像の中にとどめる。
でも実は、誰だって、自分の想像を超えてくる。
誰だって、自分が想像する以上の苦労や努力がある。
相手の背景を決めつけるな。
自分が相手のことについて知っていることなんてほんの少し。
常に想像し続けたい。
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~出会い~
社会人になってからの出会いは、神様が私にくれた、最高のプレゼントだった。
これ本当なんだけど、同僚が全員優しい。全員。
優しいといってもいろんな優しさがあると思うけど、私の同僚は、私のいいところもよくないところも、すべて受け入れてくれる。
それから、私の個性を否定せず、仲間外れにせず、私の強みとして、時にはチームの武器として使ってくれる。
好きなことを好きだといえる場所、したいことをしたいと言える場所、一緒になって挑戦してくれる人たちがいること、私は本当に、最高な仲間に出会ったと思う。

★当時の日記★
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「みんなから優しいとかいつも元気とかってよく言われるけど、ほんとは猫かぶって優しい、元気なフリをしてるだけなんだけどね」
同僚にこんな相談をされた。
うん、人間みんなそうだよねって私は思った。
みんな、色々な”フリ”をして、それが他者の目には”事実”として映ってる。

同僚よ、あなたが優しい”フリ”をしていようがいまいが、周囲の人たちにとってあなたが優しい人である”事実”は変わらないよ。

じゃあここで重要なことは何か。
それは、あなたの優しさが本物か、偽物かではない。
優しくあろうとしているその努力を、あなた自身が褒めてあげること。
あなたが優しくあろうとしているその努力は、あなたにしかわからないんだから。
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人生を眺める

今、私は長いトンネルを抜けて、光を浴びている。
そしてその先の人生を眺めている。
うれしい時、楽しい時も、苦しい時も、寂しい時も、これが人生だ。
すべての瞬間が私の人生だ。

★最近の日記★
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最近人にイライラすることが少なくなった。
これまでは、「なんでわたしはこんだけやってるのにあなたは何もしないの?」「何でこんなこともできないの?」って、自分の基準の中に相手を引きずり込もうとしてたから、だから自分の基準とズレてる相手に対してイライラしてた。
でも今は、良いんだか悪いんだか、相手と距離をとるようになった。
私は私の基準で、相手は相手の基準で生きてる。
もう別々でいいじゃんって。
てかそもそも別々じゃんって。

一種の諦めかもしれない。
相手を諦めてるんじゃない。
目の前の事実に対して、感情むき出しにして、相手に気づいてもらえるまで感情的になって、そうやっていつか問題が解決するかもなんて期待することを諦めた。
目の前の事実を変えることができるのは、
いつだって自分の行動だけだ。
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20代はガンガンに仕事に向き合う、走り抜けるって決めてた。
周りに家族や友達がいない場所で、誰にも甘えず弱音も吐かず、強気でやっていくって決めてた。

これまでもそうだった。
挑戦するか諦めるかの選択をせまられたとき、
必ず挑戦を選んできた。
そもそも、諦めるとか挑戦しないなんて選択肢は私の中にはなかった。

でもなー、人って急に考え方が変わるもんだなぁ。
昨日までそうなふうに考えてた人間が、
今日は「諦めるとか、しんどいからやーめたってやってみるのもありかもな」なんて考えてる。

自分の中の、不安とか自信ないとかネガティブな思考を、「自信あるフリすればいいよ」「不安とかいらないからやることやれよ」って、全部丸め込んで、無かったことにして、それで解決させてきたけど、
自分の気持ちはどこに行ったんだろう。
無視されたままの私はどこに行ったかな。
それも私なのにな。
ちょっと探しに行ってあげようかな。
探しに行って、お疲れ、頑張ったよねって言ってあげようかな。
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躓いた時は、人生を曲線に見立てて、遠くから眺める。
上がっていたり下がっていたり、あるいは停滞していたり、そんな人生を遠くから眺める。

そうしたら、人生大失敗する時もあるし、超ハッピーな時もあるし、前に進めない時もあるってことを受け入れられる。
それがあってこその人生じゃんって、
なんならそれが人生の醍醐味じゃんって気付ける。

だから、上がって行く時も、下がって行く時も、停滞している時も、全部噛み締める。
これが人生だって。

嬉しい気持ちも、幸せな気持ちも、悩みも、嫉妬も、寂しさも、悲しみも、言葉では表せない感情も、すべて包み込めばいい。
これが私の人生だ。
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