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スティーブン・ユニバース ザ・ムービー 感想

スティーブンは16歳になり、ビーチシティでは地球で暮らすジェムたちの新しい故郷である、リトルホームワールドが建設中です。
宇宙も平和になりすべてがうまくいっているように思えていましたが、突如、スピネルというピンク色のジェムがスティーブンたちを襲ってきます。

事情はわからないものの憎しみに支配されているスピネルはインジェクターでジェムズを倒し、それに怒ったスティーブンはインジェクターを奪い取って、スピネルをジェムに戻します。

その後の初期化されたスピネルは「あなたの親友」を謳うだけあって、一緒に遊んでくれたり、落ち込んでいる姿を見ると励ましに来たり、と子ども目線では最高の友達なんですよね。
しかし、こちらが成長していると、もう勘弁してよ、今はその時じゃないんだよーという感じになり、正直ウザく感じられてしまいます。遊ぶことしか考えていないので、こちらの思考はお構いなしなのですよね。
初期化されたパールもグレッグしか見ていないですが、スピネルもスティーブンしか見ていなくて距離感がバグっています。友達への束縛感や依存心が強いです。

とはいえ、スピネルの側の気持ちもものすごくわかります。
スティーブン+グレッグ曲でみんなが空中を滑走する中、1人地上に残されるスピネルの表情が曇るのが、自分には心当たりがありすぎましたね。

悲しみに支配され逃亡するスピネルを追いかけるスティーブンは、ピンクダイヤモンドとスピネルの遊び場にて、過去にあったことを知ることになります。
過去シーンではピンクダイヤモンドの先に進みたい思い、邪魔されたくない気持ちが表情に出ていて、ダイヤモンドたちとの関係性が本編でわかっているからこそ、この状況でスピネルを邪険にしてしまったのは仕方ないと理解できます。
ただ、「毎日が本当に楽しくて、少なくとも私はそうだった」「私だけがずっと待っていた、私のことなど気にもかけない彼女のことを」と語るスピネルの悲しみには、深く共感するものがありました。

おそらくですが、人生の中で置いてきてしまったもの、置いて行かれたように感じる経験、って誰にでもあるんですよね…。もちろん性格によってそれをどう捉えるか、というのは違うかもしれません。
また、ピンクダイヤモンドのように騙してでも置いていく、というのはされた側がトラウマになってしまっても仕方ないとは思うのですが、軽い嘘をつかれた、とか、自分が誤魔化すようなことをしてしまった、というのは多くの人にあるのだと思います。
なので、そういった経験があったとしてもその後に自分に合った人間関係をきちんと築くことができた大多数の人は、あんまり引きずらないのかもしれません。

ただ私は、「私は物事を悪い方向に変えてしまう」「今の私はろくなもんじゃない」と語り、自分を自分で殴るスピネルに、人とうまくやることができず自分を責めている私自身を重ねてみてしまいました。

私も思春期の頃に、親に裏切られたような気持ちになり、元親友に裏切られるようなことをされ、ものすごく辛かったですし、今も若干引きずっているところがあります。
その経験で心が凍ってしまって、「立ち尽くして」しまった感じがあったのですが、スピネルが「立ち尽くす私を前に容赦なく過ぎる日々」と歌っていて、スピネルは物理的な描写としてまさにそうですが、心理的にもそうなんだよね…と描写のうまさに唸りました。

映画内でのスピネルの変化は下記のようになっていますが、

立ち尽くす(心がフリーズ)

憎しみ・怒り

悲しみ

諦め+新しい環境に一歩踏み出す

これは「キューブラー・ロスによる死の受容モデル(否認と孤立→怒り→取引→抑うつ→受容)」に通じるものもあって、人間の普遍的な感情の流れに近いのだと思います。

映画は何回か見ているのですが、1回目はスピネルを中心とした視点で、自分が置いてきてしまったもの、自分が置いていかれた経験が呼び起こされて辛くなり、2回目はスティーブンの成長とジェムズとの絆に感動し、というように着目する視点によって色々と楽しませてもらえました。
ただ、正直1回目の衝撃が大きすぎましたね…。1回目をみてからはかなり時間が経っているのですが、その時のえぐられた気持ちをどこかに置いておきたくてつらつらと書いてみました。

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