コーポレートおかん?になるまで 師匠たちのお話

どんな仕事をしていたかと当時の人事考課表をひっぱりだし、見返してます。
10年め前後は、上司が変わり、同じ仕事をしていた先輩社員が退職し、今後の仕事の師匠のような人との出会いがありと環境面が変わった頃でした。

新しい上司は指導もしないし、管理もしない昼行灯のようなお方で笑

つまり「放牧」されてました。放牧って自由で良さそうに思いますが、教育もされず、自分が正しいと思ってることに突き進むのみ。
今見ると、ほんと危なかっしいなー私と改めて思います。

放牧した上司からは「もっと上の仕事を」という要求が考課表に残っていました。上のってなんやねんと今の私も思うので、当時の私はもっと思っていたでしょうね笑「上の」に求めるものが、高度な業務なのか、マネージメントなのか、リーダーなのか。そういうガイドや話し合いさえもありませんでした。
背中を見て覚えろの時代からある町工場から始まっているから、その感覚が抜けてない頃だったのかもしれません。

お仕事のことを振り替える前に、この頃出会った仕事の師匠と呼べる人とのことについて書きたいと思います。

1人は知財の師匠です。知財関係業務の基礎講座で知財って面白い!!と思わせてくださった、関西で有名な弁護士 村林隆一先生 です。
この方の講義のお陰で、知財関係のお仕事も楽しめるし、弁理士の先生方との話も意味がわかるようになりました。
村林先生の講座はこの講座ともう一つ知財係争の講座しか受講してませんが、今も当時のレジュメは捨てられず、大きな出会いだったと改めて思います。
村林先生はすでに亡くなられておりますが、ご存命であれば、この配信の時代には知財業界のアイドルなれる方だと確信してます(笑)
それぐらいインパクトのあるキャラでした。

もう1人は同じ会社の干支が二周り上のAさんです。
人の役に立つものづくりが、本当にお好きな方でした。
Aさんは当時は部長で、私は、Aさんが出張や外出してるときのフォロー係として、一緒に仕事をするようになりました。
連絡先や予定をおさえるために(一度出かけたらどこに行ったかがわからなくなるので、連絡取るのが至難)、出社のたびに「今は何を作ってるんですか?」と雑談風にアレコレ聞き出してました。
Aさんは、私との雑談を嫌がることなく、今されている仕事の話や、関わっている方との話を面白おかしく話してくださいました。

Aさんに確実に連絡をつなげ、フォローする係を何年もやっていたのでおかげで大企業のお偉いさまと、親しくお話やお食事させていただく機会にも恵まれました。
年始にヒラ社員だった私宛に挨拶に来られる方もいてました。
「いつもありがとう」とお礼を言われるくらい、Aさんは捕まえるのが大変で(笑)

金曜の夕方に「今週中にやっといて!」の無茶ぶりされるAさんでしたが、「やっといて!」の先にある、与えられた課題、気付いた課題を技術力と知識で解決される過程に関われることが楽しくて、無茶ぶりに「今週って、あと2時間しかないやん!」とツッコミを入れつつ、楽しく仕事をさせてもらってました。

Aさんとの仕事は、ものづくりのロジカルな考え方、顧客満足のあり方を教えてもらい、あわせてフォローの仕事を通じて原価、利益、会社資産、在庫、法人税のこととか薄っ皮程度ですが学びました。
それぞれのことは詳しくないけど意識できたことは予算管理業務の信頼にも繋がりました。
Aさんとの仕事での経験や学びは、今の各部と各部の間のグレーゾーンを埋めていく「おかん」の元になったと思ってます。

Aさんは私が無事に?結婚するのを見届けて、数年後に、ご病気で亡くなられました。
当時を知る社員からは「Aさんは…」と未だに話題に上るくらいなので、村林先生と同様に強烈なキャラでした(笑)

Aさんとの思い出話は、まだまだありますので思い出したら、少しずつ書き込みたいと思います。

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