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「ハンセン病問題を知る」スタディツアーから、私が感じたこと・考えたこと

この数ヶ月間、任意団体JIWA-JIWAと共同で取り組んできた「ハンセン病を知るスタディツアー」を無事に終えることができた。
2023年8月26日〜27日の1泊2日で、岡山県にある国立ハンセン病療養所長島愛生園と邑久光明園に、参加者21名と訪れた。
ツアーを終えた今、私が「ハンセン病問題を知る」スタディツアーをやってみて、学んだことや、考えたことを久しぶりに言葉に紡いでみようと思う。


さざなみハウスでランチ


「ハンセン病療養所に行く」と聞くと、どこかハードルを高く感じてしまう。実際に長島は長い間、隔離されてきたという歴史がある。「独特の雰囲気があって、なかなか入れないんですよね〜」という人もいるくらいだ。
そんなイメージを少しでも和らげることができたらいいなと、4年前に療養所内にできた私のおすすめの「喫茶さざなみハウス」で海を見ながらオーナーの鑓屋さんのご飯をみんなで食べた。

鑓屋さんの美味しいご飯
さざなみハウスからの風景

歴史館見学


さざなみでご飯を食べ終わったら、学芸員の田村さんに歴史館と療養所内を案内してもらった。私が7年前に初めてハンセン病療養所を訪れたときも、田村さんの案内で歴史館と園内を見学した。その時に田村さんから投げかけられた質問がきっかけで、「ハンセン病問題についてもっと知りたい!」と思った経緯がある。
だから今回、どうしても田村さんの案内を通して、ハンセン病の歴史や療養所での生活などを知ってほしかった。

学芸員の田村さんからお話を聞いている様子
(ハンセン病の症状のひとつに抹消神経が障害され、知覚低下が起きるため)火傷を予防するために二層になっている湯呑みに実際に触れている参加者
入所者が作成した療養所のジオラマの前で

園内見学


歴史館見学の後は、園内見学をした。
愛生園に船で収容される患者にとって故郷や家族との別れの場になった「収容桟橋」、その収容桟橋に降り立った人々が最初に収容された「回春寮」、療養所から逃走を図った人などを懲罰として収容した「監房」跡、今も故郷に帰れない人等が3743名(2023年7月26日時点)眠る「納骨堂」を見学し、ハンセン病を患い、島に隔離され続けた人々に想いを馳せた。

収容桟橋
回春寮の様子
納骨堂
「優生保護法」により生まれてくることのできなかった子どもたちに手を合わせる参加者

ディスカッション


歴史館や園内見学の後は、アウトプットを兼ねて、長島愛生園を見学してみての感想を共有し、語り部の映像を見た後に、下の3つのテーマをグループに分かれて考えてみた。

ディスカッションの様子

①なぜ感謝する人たちが存在するのか
強制的に隔離されたのにも関わらず、回復者のなかには療養所で生活できることを感謝する人たちもいる。なぜそのように思う人たちがいるのか、を考える問いでは、社会に存在した苛烈な差別や偏見について認識し、差別や偏見から生まれる「生きづらさ」についての意見などがでた。
②プロミン治療の後、園の政策として何をすべきだったか
プロミン治療の有効性が分かった後も、強制隔離収容政策は継続されたのだが、その時に園としてはどうすべきだったのか、を考える問いでは、強制隔離ではなく患者の意思を尊重すればよかったのではないか、という意見などが出た。
③療養所の歴史を後世に伝えるための意義と方法
私が個人的に心に残っているのは、「回復者が残してほしい形で残す」という言葉だった。私は大好きなおじいちゃんやおばあちゃんのことを記録として残したいと考えて、2年前から聞き取りを行っている。しかし、なかには「この病気は三世代先まで差別・偏見が続くから、家族に迷惑がかからないように、療養所がなくなった方がいい」という方もいて、回復者が残してほしい形ってどういう形なんだろう?と改めて考えた。

ディスカッションには山本園長にも参加していただいた

夕食づくり&交流会

宿泊は、今年の4月にオープンしたばかりの「むつみ交流館」に宿泊した。ご飯を食べ終わると、ハンセン病家族訴訟原告団の副団長を務めている黄光男さんが家族への想いを込めて作詞・作曲された「閉じ込められた生命」を披露してくれた。

家族への想いを歌に込めて

交流会では、私が「愛生園のおじいちゃん」と慕っている入所者の鈴木さんが挨拶にきてくれて、参加者からの質問に答えてくれた。

「自分たちにできることって何ですか?」
鈴木さんの言葉は至ってシンプルだった。
「長島に行ったということを友達や家族に伝えていってほしい」
療養所にまた来てほしいでもなく、ハンセン病についてこれからも学んでほしいでもなく、友達や家族に伝えてほしいということだった。

真ん中が鈴木さん

語り部からのお話


2日目は、さざなみハウスでモーニングを食べた後、隣接する光明園に移って、語り部の浜本しのぶさんからお話を聞いた。

しのぶさんは11歳のときにハンセン病を発症され、ハンセン病違憲国家賠償訴訟のときは、原告団とともに首相官邸前の座り込みをするなど熱心にかかわり、勝訴を機に語り部として啓発活動にもかかわるようになった、とてもパワフルな方だ。

しのぶさんは国賠訴訟のことをこう語ってくれた。

「あんまり深入りせん方がええで」とか、「お上に盾突くことはいらんことや」というのが通念です。原告としてしゃしゃり出た自分はミソクソです。

しかし、そんでも構わん。

自分の一生は、他の方に迷惑をかけるわけでもない
共々に立ち上がったものが
そうやって頑張っていくということは誰のためでもない
自分の生涯を得て、そうやって少しでも改良されるべきものがあるのならば、それに携わっていくというのが、当たり前の人間の在り方ではなかろうかと思うわけです。

しのぶさんの語りより
前列の右から4人目が浜本しのぶさん

スタディツアーを終えて、今思うこと


社会のなかで普通に暮らしている回復者がいるということを知ってほしい
ハンセン病が怖い病気じゃないことを知ってほしい
今も家族の病歴を言うことができない人たちのことを知ってほしい

すべて私が回復者・家族の方々との関わりの中で、耳にしてきた言葉だ。
今回のツアーを終えてみて、思うことは、知らないと何も始まらないということ。
ハンセン病問題に関わらず、全てのモノゴトにおいて大切なのは
まずは、知ること。
そして、自分が何を大切にしたいのか。
どう判断して、どう行動するのか。
そのことが私たち一人ひとりに問われているのだと思う。

その積み重ねが、きっと
少しずつ偏見や差別を減らして
誰もが生きたいと思える社会につながる近道なんだと信じて…






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