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向こう側コンセプトを持つサーファーこそアーティスト

デジタルで繋がりリビングで全てが完結する現代社会が「サーフィン」を強く求めているように思えてならない。この思考が僕のポジションによるものだとは考えづらい。

デジタルリビング生活と引き換えに衰えていくのは運動感覚。視覚や聴覚は脳に直接働きかけるのだが、それとは違い運動感覚は全身をダイナミックに流れる躍動的な感覚。内臓感覚まで繋がっているという。身体性というやつだ。

季節を感じるとか草花がきれいだなとか朝偶然出会った人と挨拶するとか。それすらも少なくなってくると、内臓感覚まで繋げて全身をダイナミックに流れる運動感覚を動かすなんて遠い話。

サーフィンが本当に貴重な時間。

サーフィンは非連続で偶発性の高いスポーツ。同じ波は二度と来ないと言うと逆に胡散臭くなってしまうけど。いつも違う景色と匂いと会う人々。一度海に入り波待ちすればまるで瞑想しているかのように思考は深く深く入っていく。そして、やってきた波に応えるのがサーフィン。自分を押し通すと格好が悪くなるのがサーフィンというスポーツ。波の言うままに乗るのがサーフィン。何千回テイクオフしても同じ波は二度とない。なのでこの言葉は胡散臭くない。本当は重たい言葉。毎回毎回波に応えて、そして自分に応える。波と一体化したときは格別。自分は自分ではなくなってしまったのではないか、もしかしたら波になってしまったかのではないかと考える。正解は、自分でなくはない、波でなくはないだ。どちらにも確定しないのもサーフィンの魅力の一つ。

サーフィンは身体性全開で取り組むスポーツ。

サーフィンに真剣に取り組むとこれらを認知したサーファーになる。知らない世界があるということを知ることになる。世界一有名な哲学者のことを知らなくても無知の知を身体で感じる。そして、知らない世界があるならば見に行ってみようというのが「向こう側コンセプト」であり「サーファーこそアーティスト」なのである。

あの2020年が来るまでは身体性を刺激する出来事は身の回りにいっぱいあったのでサーフィンは一時の休息という役割で良かった。しかし、これから急激にやってくるデジタル社会の発展によって、人生の95%がその世界に置かれることになる。進化発展は悪いことではないけれど残りの5%を真剣に考えるときが来たと思う。たったの5%なのだから。家でエクササイズをしたり外を走ったりでは足りない。

誰が言っていたか忘れてしまったが、

ゲームをしたりスマホをいじるのは自分で好んでやっていると思っているかもしれないが、もしかしたら余った時間を経過させるために何かをして過ごさなければならない時間かもしれない。時間を埋めるためだけの。やっと仕事終わったーの後の余った時間は実は自由な時間ではなくて、多くの人にとって何かをして埋めなければいけない時間なのではないか。

one hundred percent agreeです。

そこで、残りの5%をサーフィンに当ててみるのはどうだろうか。余った時間を"過ごさなくてはいけない時間"にするのではなくて。もっと能動的に。そして、週イチサーフィンではなくて毎日のように。週イチだとサーフィンはイベントになってしまうので。休息になってしまう。あの2020年の前までのサーフィンと同じ。これからの世界のサーフィンはそうではなくて日々の人生の中に取り込むのだ。5%の時間を積極的に取りに行く。経過させなければならない時間があるならば、サッと寝て明日の早朝サーフィンに回す。時間がなければほんの少しでいい。歯磨きするのと同じく習慣へ。

薄れていく身体性。それを取り戻すために海に通う。

人生を豊かにするとても意味ある5%の時間。とても贅沢だ。

サーフィンはアート活動である。

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