伝光録 四十八祖 天童がく(玉にたまへんが付く)禅師

天童禅師が久しく悟空禅師の侍者となる。一日、悟空禅師に問いて曰く、「汝、近日[1]、見る処[2]如何いかん」。天童禅師が曰く、「吾はまた、恁麼いんもなり[3]えんと要す」。悟空禅師が曰く、「未在みざい[4]。さらにえ」。天童禅師が曰く、「如何いかんんぞ、いまだし[5]や」。悟空禅師が曰く、「汝はいきたることを『未だし』と道わず[6]向上事こうじょうじ[7]に未だ通ぜす」。天童禅師が曰く、「向上事を道い得たり[8]」。悟空禅師が曰く、「如何いかなるか、向上事」。天童禅師が曰く、「たとえ向上事を道い得るといえども、和尚のために[9]よく挙似こじ[10]することなし」。悟空禅師が曰く、「実に汝、いまだ道い得ず」。天童禅師が曰く、「伏して願わくは、和尚、道取どうしゅ[11]せよ」。悟空禅師が曰く、「汝は吾に問いて道ん」。天童禅師曰く、「如何か、これ向上事」。悟空禅師が曰く、「吾はまた不恁麼いんも[12]なりと道いんと要す」。天童禅師は聞いて開悟す。悟空禅師はすなわちいんしょう[13]す。

【機縁】
 師の諱は宗玉そうがく(玉にたまへんが付く)。久しく悟空禅師の侍者となり、昼参、夜参、横参じゅ[14]す。しかれども、なおいたずらならざる[15]ところあり。悟空禅師が問いて曰く、「汝、近日[16]、見る処は如何いかん」。天童禅師曰く、「吾はまた、恁麼なりと道えんと要す」。悟空禅師が曰く、「未在。更に道え」。

【拈提】
天童禅師が曰く、「実に今、恁麼いんもなりと言う[17]」。いまだしき所あり。いわゆる、恁麼にきたる[18]ことを得すといえども、不恁麼にきたる[19]ものがあることを知らず。しかるを[20]、天童禅師は、恁麼にきたることによって全体が露現して隠すことなしと思い、また「なんの不足のところかあらん」と思う。ゆえに天童禅師が悟空禅師に曰く、「如何が未だしきや」と。
 かくのごとく[21]解する底の人は、白雲は散じつきて、青山ひとり高きが如くなることを得れども、なおさらに山よりも高き山あることをいまだ知らず。ゆえに悟空禅師が曰く、「汝が道いきたるを『未だし』と道わず。向上事に未だ通ぜす」と。
 かくのごとく参じ来る[22]は、ことごとくこれ向上の事なりといえども、なおあること[23]を知らざるとがあり。ゆえに悟空禅師が曰く、「実に汝、未だ道い得ず」と。それでもなお天童禅師は、一言いちごん[24]を出し心慮をめぐらして恁麼にいうも、二に落ち三に落ち[25]、一点をも付けざるところ[26]ありという。それゆえにいう、「たとえ向上事を道い得るといえども、和尚のためによく挙似きょじ[27]することなし」と。天童禅師は、自己をいまだ知らず、なお節目[28]にかかわる。ゆえに悟空禅師が曰く、「実に汝、いまだ道い得ず」。
 時に、天童禅師の息はすでに尽き、力はまさに極まりて、悟空禅師に請問しんもん[29]して、天童禅師が曰く、「如何いかんが、これ向上事」。悟空禅師が曰く、「吾はまた不恁麼なりと道いんと要す[30]」。
 先来の道[31]とただ今の道[32]とは、天地の論[33]にもおよばず、水火のたと[34]よりも隔たれり。宗?(そうがく)の思惑[35]は全体あらわれたりと。悟空は然らず。天童禅師のように、ただ恁麼なりといふは、ただみょう[36]歴然たるのみなり。天童禅師は、初めて非を知り、得るところありて、印証を受く。
 しかしより[37]出世し、[38]為人いにん、説話[39]するに、僧が問う、「如何いかなるか是れ道」。天童禅師が曰く、「十字街頭で、斫額しゃくがく[40]ることを休め[41]よ」と。あるとき、上堂して曰く、「こうぜん[42]に歩を運び、世外[43]に身を横たう[44]妙契みょうけい[45]は意をもって到るべからず。真証[46]は言をもって伝うべからず。じきに得たり、虚静に気[47]を収めて、白雲[48]寒巌かんがん[49]に向かって断ち、霊光[50]が暗を破って、明月[51]が夜船[52]にしたがって来たる[53]正与麼しょうよも[54]の時、作麼生そもさん履踐りせん[55]せん。偏正へんしょう[56]は、本位[57]を離れて会ず。縦横じゅうおう[58]なんぞ語の因縁[59]わたらん[60]や。
 実に虚静きょせい[61]きわなく、舌頭ぜっとう[62]で談ずれども、隔たらず[63]向上事こうじょうのじ[64]を識得[65]せんことは、かくの如くなるべし。なお[66][67]と説き、しょうと説くことは、ことごとくこれ向上事にあらず。ただまた「山はこれ山、水はこれ水」、これを向上事と思えり。じか[68]これ[69]誤りなり。洞山が曰く、「[汝が]仏向上ぶつこうじょうの事[70]を体得して、まさに些子しゃし[71]語話ごわ[72]ぶん[73]あらん」と。僧がすなわち問う、「如何かこれ『語話』」。洞山が曰く、「『語話』のとき、闍黎じゃり[74]は聞かず」と。また盤山ばんざん[75]が曰く、「向上の一路は千聖せんしょうも伝えず」と。実に尋常じんじょう[76]にいいきたるが、これはしょう[77]にまかせて、逍遙しょうよう[78]する底にあらず。またある僧が悟空禅師に問いて曰く、「向上事は作麼生そもさん」。悟空禅師が曰く、「妙[79]は一|《おう》(のへん部分))[80]の前にあり。あに[81]千聖の眼をれんや」。いまいうところの一?とは、己身こしん[82]がきざし[83]てよりこのかたなり。不萠ふもう以前[84]、これを名づけて向上の事といふ。
 ゆえに芙蓉ふよう禅師の真子しんし[85]枯木こぼく法成ほうじょう[86]禅師は上堂して、「仏祖の向上事あることを知って、まさに[皆さんは]語話の分あり。諸禅徳[87]よ、しばらくえ、『那箇なこかこれ、仏祖の向上の事』。この人家じんか[88]兒子じし[89]六根ろっこん[90]不具、七識[91]不全なるあり。これ、大闡だいせんだい[92]無仏種性むぶっしゅしょう[93]なり。仏[94]に逢っては仏を殺し、祖[95]に逢っては祖を殺す。天堂てんどう[96]おさめ得ず[97]。地獄に接するに門なし[98]大衆だいしゅはかえってこの人[99]を知るや」。そして法成禅師が良久りょうきゅう[100]して曰く、「この人との対面は仙陀せんだ[101]にあらず。ねむり多くして、寐語みご[102]おおし」。
 実に向上の事は、仏が来るとも、たちまち喪身失命し、祖が至るとも、全身百雜ひゃくざつにしてすえ[103]。天堂にいたらんとすれば、天堂すなはち崩壊す。地獄に迎えば、地獄たちまち破裂す。いづれのところか天堂とし、いづれのところをか地獄とせん。何を呼んでか万像[104]とせん。もとより蹤跡しょうせき[105]なし。ただ睡時すいじの事のごとし。[夢の中では]自らなお知らず、他をあにわきまうべけんや。来由らいゆ[106]なく、ただ明々として悟法[107]は無なるのみなり。まさにこれ高祖こうそ[108]の語話なり。
 もし向上の事を知らば、項門ちょうもん[109]の眼が開けて、この時、少分の相応[110]のところあり。しばらくへ。如何ならんか、この道理。
あたかも上下のくいの如くに相似たり。
抑えんとすれども、入らず[111]。拔けども出でず。

【注】
[1] 近日:最近
[2] 見る処:悟りの世界がどの程度見えているか
[3] 恁麼なり:そのままその通り。主観と客観を超越している世界。
[4] 未在:まだまだだ。
[5] 未し:(副詞「いまだ」を形容詞化したもの)未熟である
[6] 『未だし』と道わず:全面的にだめだと言っているわけではない。
[7] 向上事:大悟大徹した境地
[8] 道い得たり:きちんと言い切っている
[9] のために:に向かって
[10] 挙似:公案に対する自らの回答を示すこと。
[11] 道取:適切に言い表わすこと。
[12] 不恁麼: そのままその通りではない。主観と客観を超越している世界が実は空(くう)であること。
[13] 印証:大悟大徹していることを認める
[14] 横参竪参:寝ても覚めているときにも、いついかなる時にも修行に励むこと
[15] いたずらならざる:注意深い
[16] 近日:近頃
[17] と言う:ただ食べる、ただ坐る、ただ歩くといった即今即刻に生きること。
[18] 恁麼にきたる:自分と世界が一つであって、主観も客観も超越していること。
[19] 不恁麼にきたる:自分を含めて世界もすべてが空であること。
[20] しかるを:=然るを。《順接の意を表す》 そういうことで。そういう状態で。
[21] かくのごとく:不恁麼にきたることを気づいていないレベルで。
[22] かくのごとく参じ来る:不恁麼にきたることを気づいていないままで老師に対峙する
[23] あること:不恁麼。「さらに山よりも高き山」をさす。
[24] 一言:不恁麼にきたることを気づいていないレベルで老師の前に何かを提すること
[25] 二に落ち三に落つ:境涯を示す純度を落としてしまう。
[26] 一点をも付けざるところ:向上の事は言葉での説明を超えている。
[27] 挙似:老師の前で見解を提すること。
[28] 節目:向上の事には、あるなし、言える言えない、上下といった差別がない。
[29] 請問:修行者が師に教えを請うために問うこと
[30] 道いんと要す:言わざるをえない。
[31] 先来の道:天童禅師が見解として示した「恁麼なりと言う」レベル。
[32] 今の道:悟空禅師が示した「不恁麼なり」という世界。
[33] 天地の論:天と地とのほどの大きな隔たりがあるという意見
[34] 水火の喩え:水と火との違いほどの大きな隔たりがあるという例
[35] 思惑:考え。「恁麼なりと言う」こと。
[36] 孤明:他によらず、ひとり明らかなこと
[37] しかしより:それから後に
[38] 為人:師が弟子を指導すること。
[39] 説話:説法をする
[40] 斫額:(「斫」は、打つという意味)ぬかずくこと。
[41] 休め:止める、控える
[42] 劫前:宇宙が誕生する以前
[43] 世外:この宇宙の外側
[44] 運び…横たう:時間空間の概念を超えた自分を発見する。
[45] 妙契:ふしぎにぴったりと合うこと。奇妙な符合。ここでは大悟大徹すること。
[46] 真証:真実の悟り、本当の悟り。
[47] 気:心の動き
[48] 白雲:現象界の様々な出来事
[49] 寒巌:二元対立を離れた世界(恁麼)とその世界そのものが消えている(不恁麼)ことが同時に起こっている。
[50] 霊光:恁麼と不恁麼が同時にある、悟りの世界
[51] 明月: 現象界
[52] 夜船:なにもない虚空の世界
[53] 正与麼:大悟徹底すること
[54] 作麼生:どうやって
[55] 履踐:実践している
[56] 偏正:偏は現象界、正は悟って見えてくる世界
[57] 本位:2つのではなく[1]つの実体のあらわれ方。
[58] 縦横: 二元対立を超えて自由自在
[59] 語の因縁:言葉による説明
[60] 渉らん:理解し到達する
[61] 虚静:真の姿
[62] 舌頭:言葉
[63] 隔たらず:はずれていない。なぜなら語っている事実は、悟りの世界のあらわれであるから。
[64] 向上事:本来の自己
[65] 識得:発見
[66] なお:ただし
[67] 心:これが本性
[68] 直に:まさしく
[69] これ:「ただ山だけ、ただ水だけ、ただ~だけ」だと思うこと
[70] 仏向上の事:本来の自己
[71] 些子:いささか
[72] 語話:語ること
[73] 分:資格
[74] 闍黎:阿闍梨あじゃりと同じで、僧への呼びかけの敬称。
[75] 盤山:盤山宝積ほうしゃく[[720]-[814]]。馬祖道一禅師の法嗣のひとり。弟子には虚無僧姿で知られている普化ふけ宗の始祖・普化がいる。「向上一路は、千聖も伝えず。」(悟りの世界に深く深く入っていって見えてくるものは、どの聖人・祖師といえども言葉でいいあらわすことができない。)
[76] 尋常:月並み
[77] 性:自分の気ままな感情
[78] 逍遥:単なる散歩・散策ではない。景色を観賞したりするために、川や海などの水辺に出かけることをいう
[79] 妙:悟りの世界、真の自己。字義としては、きわめてすぐれていること、言葉でいい表せないほどすばらしいこと
[80] ?:泡粒
[81] あに…や:どうして…できようか
[82] 己身:自分の体
[83] きざす:芽生える
[84] 不萠以前:自分の体がこの世に生まれる前
[85] 真子:高弟
[86] 枯木法成:([107][1]-[112][8])。なお枯木とは、枯木死灰しかいのことで、枯木や冷えきった灰のような状態をもって、悟りの境界とするその喩え。
[87] 諸禅徳:老師の提唱を聞いている人々
[88] 人家:向上事という家。悟りの世界
[89] 兒子:人間
[90] 六根:人間に迷いを起こさせるもとになる六つのもの。眼・耳・鼻・舌・身(=皮膚)の五つの感覚器官と意(=心)。
[91] 七識:対象の認識する作用として八識があると考えられており、八識のうち、阿頼耶識あらやしきを除いたものが七[4]識。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に加えて、末那識まなしきと阿頼耶識からなる。
[92] 大闡提:=一闡提。成仏する因縁を欠いた者。なぜならすでに仏なので、仏となる必要がないから。
[93] 無仏種性:仏になれない種族
[94] 仏:真の自己ではない偽物の仏。
[95] 祖:自分以外には祖はいないので、偽物の祖。
[96] 天堂:極楽
[97] 收め得ず:真の自己は全存在・全宇宙なので、極楽といった特定の場所に入ることができない。
[98] 接するに門なし:地獄の中に仮にいるとしても、真の自己は全存在だから、地獄の内部(門の内)にとどまっていない。
[99] 人:真の自己
[100] 良久:じっと坐る
[101] 仙陀:師弟の間での自由自在な問答。もともとの意味は、インダス河流域に産するもの(塩・器・馬・水)の意味。
[102] 寐語:寝言
[103] 碎す:飛び散る
[104] 万像:現象界
[105] 蹤跡:住む所
[106] 来由:理由
[107] 悟法:悟りを得ること
[108] 高祖:『伝光録』に登場してきた禅師方。
[109] 項門の眼:額の中央部にあるとされる第[3]の眼。
[110] 少分の相応:少しいえるところ
[111] 抑えん…入らず:一つの世界なので入れることも出すこともできない。


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