住吉大社

KOJIKI<響⑧>

怒りに震えた、愛妻の炎におびえ
イザナギノミコトは命からがら、逃げて行きます。
逃げて行く時に、かずらや 櫛をなげると
それが葡萄やタケノコにかわり、

それを黄泉の国の使い女たちが食べいている合間に
逃げて、走って、逃げて、・・・。

坂本の桃の実三個をなげると、
使い女たちはみな逃げ帰って行きました。
桃の実はこの時から、魔除けに使われたのですね。


メタボだと、体力的に大変ですが、
イザナギノミコトも逃げて逃げて、この世とあの世の境をなす
黄泉比良坂にたどり着きました。

そして大きな千引の岩でその境目をなす孔を塞いだのでした。
互いに想いの言葉をぶつけあい、
その言葉は呪いの言葉にもなり
この境目で夫婦が絶縁の言葉となって、
イザナミノミコトは 怒りと悲しみを
抱えながら黄泉の国へ戻って行きました。

あれだけ、見ないでね。探さないでね・・・って言ったのに。
眉毛を描いていていなかった・・・程度の話じゃないのに・・・。

一方、イザナギノミコトは
黄泉の国での出来事を、黄泉の国で穢れたものを見たとして
筑紫の日向(ひむかい)橘の
小戸の阿波技原という川に立ち至って
禊ぎ払いを行いました。
杖を捨て、きている衣を脱ぎ捨てました。
その杖と衣服から 次々と神様が産まれました。

そして川の中の中瀬に体を清めました。
水の中に潜って身を清めたときに
渦津日神(まがつひのかみ)や直毘神(なおびのかみ)
伊豆能売神んど沢山の神様が産まれました。
水の底で身をすすぐと、底津綿津見神(そこつわたつのかみ)
水の中で身をすすぐと中津綿津見神(なかつわたつのかみ)
水の上で身をすすぐと上津綿津身神(うわつわたつのかみ)
が産まれました。
そう、いまの住吉大社に祀られている神様です。
海の神様は、夫婦絶縁の結果に誕生したのですね。

こちらが大阪の住吉大社です。


だから、海の神様に焼きもちを焼かれないように
女性が長い間、海に出るのを禁じられていた理由がここでようやくわかりました。
『熟田津に 船乗りせむと 月待てば 
 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』
額田大君の和歌です。
なぜか思い出してしまいました・・・。

井上靖さんの小説も好きで、読みましたが実は歴史の教科書で知る前に
切手を収集していた母方の祖父のコレクションを見て
子ども心に「きれい」と思いました。
今も、この一枚は祖父が亡くなった際に、私の手元にあります。
近年、彼女の詠んだ和歌にはやはり壬申の乱の原因となった暗号があると言われています。古代文字研究をすると、こーゆー謎と対面するのが楽しいです。

一方、住吉大社というと大阪では「すみよしさん」と行って大変親しまれています。全国にも住吉大社の分社がありますが、
住吉大社の誕生にこのような経緯があったのですね。
住吉大社はト部兼直の和歌も
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」とあるように、

筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神と古来より崇められていました、
 さて、住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。

神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。
 その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三柱を遥拝なさいました。
 これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。そして、住吉大神の神託によって現在の住吉大社の地に鎮斎されました。

現在、関東に広がっている住吉大社は家康公が関東下降の際に大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の宮司の親族ほか、氏子が一緒に江戸へくだりました、(佃の住吉大社の祖になります)
じゃぁ、関東方面の住吉大社は・・・と思われるかもしれませんが、祀られている神様は同じ底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。

ちなみに、こちらの
摂津国 「一之宮」である住吉大社のお参り方法は、
第四本宮

第一本宮


第二本宮

第三本宮

が開運のお参り方です。

さて、お話を戻しましょう。
黄泉の国で
穢れたものをみてしまったーーー
美しかった妻も、あーあー・・・.
と言ったところでしょうか。
イザナギノミコトは 禊ぎをします。
これでもか、これでもかというくらい
身を清め 清め 清め
最後に左目と 右目と 鼻をすすいで洗い清めました。
そうすると左目から神々しく光り輝く天照大御神が
右目からはやわらかい光につつまれて輝く月読命が
鼻からは力強い息吹をもつ須佐之男命が産まれました。
イザナギノミコトはたいそう喜ばれました。

最後の最後に・・・
最後の最後に三柱の貴い神の子を得たからです。
イザナギノミコトは
「最初に産まれた日の神の天照大御神には天上の高天原を
 次に右の目からうまれた月読命には夜の食國(おすくに)を
 最後の鼻から産まれた建速須佐之男命には
 海原を治めさせよう」
と、三人の子どもに三つの世界を治めよといい渡しました。
これによって世界は一つの鎮まりと安定を得たのです。
御子たちのお話はこれから続きます。

あー、神様の家系図追加しないと・・・。



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