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KOJIKI<船出④>

さて、槁根津日子(さおねつひこ)について少しお話をしてみましょう。この亀に乗ったものの根拠地は西宮付近でありこのものの子孫が難波の海(大阪湾)を遊行し、釣りを楽しんでいたと伝承があります。

どこだろうと・・・思ったら、京阪神地区にお住まいの方がよく知る高級住宅地「岡本」にある保久良神社に槁根津日子(さおねつひこ)が祀られていました。そしてこんな風に・・・。亀の上に乗っています。

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手を挙げている方向に見えるのは、神戸・大阪湾を望む海です。

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このお方のおかげで、鳥居前の石灯籠は、古代から大阪湾の沖を通る船の目印として、灘の一つ火と呼ばれてきました。今も毎夜点灯されています。最寄駅に近い阪急電鉄、JR西日本とも甲南大学や、甲南女子大学と行った学生街であり、京阪神地区のおしゃれな場所にあるパワースポットをこぞって紹介しています。

またこの神社はには代文明、カタカムナの遺跡として、好事家には知られています場所。本殿周辺に巨大な石組の跡らしきものがあり、古代の信仰のなごりといわれています。(阪急電鉄HPより)

この東征には神日本磐余彦尊(神武天皇)の四人の兄弟が参加しています。瀬戸内の海や陸地を支配している土着(国のこと)長と友好関係を結びながら、大阪の難波へ上陸した神日本磐余彦尊(神武天皇)一行ですが、陸上で思わぬ抵抗にあいます。 それがちょうど現在の生駒山あたりを支配していた豪族、登美能那賀須泥毘古(トミノナカスネビコ)、別名長髄彦です。

「あ、天神(あまつかみ)の子がわざわざ、難波にやってくるということは、この国を奪おうとしているに違いない!」と登美能那賀須泥毘古考えたようです。

なぜなら登美能那賀須泥毘古(トミノナカスネビコ)とは天照大神の息子の一人で、饒速日命(ニギハヤヒミコト)の部下として使えていた国神だからです。

すでにこの地を納めている饒速日命はも天神。のちの物部氏の祖先ですが、天照大神から十種の神宝(十種神宝、とくさのかんだから)を受け取り、天の磐船にのって、天から大阪に降り立ったと言われています。その船は、現在の大阪府交野市の磐船神社にある御神体「天磐船」です。

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写真は大阪府のHPからです。この船でやってきたそうで、神社に問い合わせて磐座めぐりもできるそうです。

登美能那賀須泥毘古(トミノナカスネビコ)の妹である登美夜毘売が饒速日命の妻となりました。縁戚関係となり登美能那賀須泥毘古(トミノナカスネビコ)は饒速日命に仕えるようになったのです。

 饒速日命(ニギハヤヒミコト)・・・。余談ですが、『千と千尋の神隠し』に登場する少年ニギハヤミコハクヌシは物部氏の始祖饒速日命がモデルになっています。日本国(やまとのくに)という呼び名は日本書紀の神武紀にある「虚空見つ日本国(そらみつやまとのくに)」と饒速日命が言った事から始まるとされています。

 大ヒット映画、新海監督、宮崎駿監督も古事記や万葉集の言葉から得たインススピレーションは大きかったようです。


 









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