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KOJIKI<大和⑦>

綏靖(すいぜい)天皇のお兄さん、神八井耳命(かむやゐみみのみこと)についてもう少しお話をしましょう。その祭祀を行ったと考えられる奈良県田原本町の多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社(多神社)。前回と同じ田原本町のHPからのお写真です。

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お兄さんは日本最古の皇別氏族・多臣(おおのおみ)の始祖となられました。多氏は後に「太氏」「大氏」「意富氏」などとも記されるため、この神社が古事記を編纂した太安万侶の出身地でもあると言うことも納得です!

皇別氏族とはまさに名の通りで皇族の中で臣籍降下した分流・庶流の氏族の方をしまします。これ以外にも、「神別氏族」「諸蕃」があり、「神別氏族」は天津神・国津神の子孫で、神武天皇以前の神代に分かれたとされる氏族。一方、「諸蕃」は支那大陸・朝鮮半島から渡来したと称する諸氏の末裔で秦氏・漢氏・百済氏などが有名です。

さて、綏靖(すいぜい)天皇について、古事記の記載はとてもあっさりです。 〈葛城の高岡宮に坐して天の下治(し)らしめき〉
この場所とされる地には「綏靖天皇葛城高丘宮趾」の碑(奈良県御所(ごせ)市)が立ち葛城山東麓の奈良盆地を一望する高台で写真のような石碑が立っています。

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古事記には続いてこのように書かれています。

師木の県主(あがたぬし)の祖に当たる河俣比売を妻と娶り生まれた子供が三代天皇である安寧天皇お一人です。この天皇は45歳で没し、御陵は衝田の岡(奈良県桜井市)にある。(年齢には諸説あります。)   

と、それだけ・・・。

当時の葛城の山は鴨族が支配していたそうです。鴨族は阿治須岐高日子根(あじすきたかひこね)命や事代主(ことしろぬし)命ら、国譲りした大国主命の子らを祖とする由緒正しいお家柄。上賀茂神社、下鴨神社は鴨族のお社です。(鴨長明神社もありますよね。鴨族の末裔です。)鴨氏は多氏や三輪氏と同族に近い存在であり、大物主命を祖先とする国津神系の渡来人であることが、古代の出土品からもわかってきました。

奈良県御所市大字鴨神には高鴨神社という神社があって、全国の全国鴨(加茂)社の総本宮です。

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こちらは奈良県観光のHPから。

神社のHPには「主祭神の阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)、 その御名を迦毛之大御神(かものおおみかみ)と申され、死した神をも甦らせることができる、 御神力の強き神様であられます。

それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深く、また人の歩む道を目覚めさせてくださる神様として全国より篤く御崇敬を受けております。


「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しています。当神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ていることでも有名です。

 夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体にたいへん良く、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共によみがえられることをお祈り申し上げます。」と書かれています。

高鴨神社の神紋は菊流水で楠正成の紋と一緒です。明治以降にこの紋にされたのかしら・・・と独り言。
通説では神武、綏靖、安寧、懿徳(いとく)の4代の天皇が鴨族系の女性(縁戚関係)を皇后としたとか。

三代目の安寧天皇に至ってはもっとさらっとしかかれていません。片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや、奈良県大和高田市)に都を置かれたそうです。そして同じく事代主命の孫・鴨王(かものきみ)の娘・渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)を皇后となさいました。

古事記は神武天皇後は詳細は書かれておらず、どこの系譜を皇后とし、そして子ども皇位継承のこどもと皇位継承を争った(ような)子どものみしかかかれておらず9代くらいまでは大雑把です。

神武天皇→綏靖天皇→安寧天皇→懿徳天皇→孝昭天皇→孝安天皇→孝霊天皇→孝元天皇→開化天皇

ここまでで、9代です。戦前は神武天皇から今上天皇までのお名前を暗唱させていたそうです。難しい・・・。

次回の続きは10代目からです!

     


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