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オオグチ 考察

LAVE SALONさんが音楽を、獏井さんが映像を手がける「オオグチ」を視聴。
とても良いミュージックビデオだったので色々考察してみたいと思う。身勝手な考察、解釈なのだがどうか一視点として見てくださると幸いである。


副題がbig mouth ではなくtalk bigとされているのは"話を過大にする人"を指しているからだろう。big mouthは"口が軽い人"の意味で日本語のビックマウスとは意味が違うのだ。


最初見た時は吉田戦車のような不条理ギャグ系のようなものをモチーフにしているのかと思った。
イントロから畳み掛ける"見逃し三振"や"内閣解散"、"隕石到来"とナンセンスなギャグシーケンスはクスッと笑みを浮かべさせる。


しかし、数回見るうちにその感想がガラリと変わった。
今作はただ不条理であったわけではなく、ものすごい熱い話で、夢を語る覚悟を歌った物語なのかもしれないと思った。
「オオグチ」叩くということはギャグのような壮大なナンセンスであると自虐した上で、心の中で受け入れ前に進む物語なのだと…


3つの視点から検討することでさらに今作がどのような物語なのか考えていきたい。
1つに、主人公が被っている帽子(?)は何を意味するのか?
2つに、主人公は大口叩いて何を言いたいのか??
3つに、cパートのメタ的表現について。



①今作の主人公は特に無個性な造形だが、しばしば青い帽子を被って登場する。そしてその時には決まってシュールな描写で、先ほどのナンセンスギャグは全て帽子を被って体験している。
また、帽子付きの時は口が見えないことも興味深い。反対に大口を叩く時はいつも帽子をつけていない。


なるほど、帽子は口を隠すから帽子=沈黙のしるしで昨今の息苦しいその中を表現しているのだ!
と決めつけるは早計かもしれない。たしかにその一面はあるのかもしれないが、帽子-ナンセンス(不条理)と理解した後、帽子なしは何と対応しているのかについて考えてみよう。


ナンセンスの反対語はセンス(道理にかなった)であるが、帽子なし状態の時がそうだとは思えない。単に逆にするだけではよくわからない。
そこで、帽子なし状態理解のカギになるのはネガティブイメージではないだろうか?
"ヤンキー"、"体が重い"、"身を投げる"と帽子なしの時にネガティブなカットが多い


かといって、帽子がポジティブを表しているわけではないことは明白だ。"見逃し三振"は誰がどう見てもネガティヴであろう。

行き詰まる…
それにしてもあの帽子は変な形をしている。横U字で目だけが出ている…
もしや、あの帽子は"オオグチ"そのものを表している…?


この物語はとてもネガティヴイメージが目立つ。そのネガティヴイメージに対する主人公の受け止め方が帽子に表れているのではないだろうか…?
帽子→オオグチ=自信を過大に受け止めている。→自信がある
帽子なし→自信をありのまま受け止める=等身大→自信なし
と考えることができるかもしれない。


帽子なしが物語後半になるにつれ多くなるのも、主人公が対面するネガティヴな事象に主人公が受け止めきれなくなり、自信がなくなってくるからかもしれない…
帽子なし状態はいわゆる物語上の主人公の挫折を表しているのだろう。


②主人公は大口を叩いて何を言いたいのか?
先ほど帽子→オオグチ=自分を過大に感じている→自信がある
と考えた。
しかし、帽子は口を閉ざす。aパート終わりに帽子でマスクをつけていることからも帽子の状態で大口を叩くことはできない。
ということは、①の解釈が違っていたのか?



②ではその疑問を解消していく。
帽子をつけていること=オオグチであること(状態)と、
大口を叩くこと(行動)
の違いから整合性をとっていく。

早速だが、主人公はなにを大口叩きたいのかの結論は音楽だと思っているというところから始めたい。


今作実は初めと終わりが同じ場所であるということにお気づきだろうか?
河川敷でバンドの用意がされている場面から主人公が"解散"するところから始まり、最後一人でマイクの前に立って終わる。

このことから今作のテーマは「歌うこと」で、バンドの解散→一人で歌う、という変化を描いていると思った


主人公が大口叩き(行動)たかったのは「歌うこと」かもしれない。冒頭逃げていた「歌うこと」からラストで向き合う気になれたのは、投げやりな気持ちをポジティブに捉えられたからだろう。


冒頭風船が割られ「歌うこと」をやめ、aパート終わり"七転八倒もなんだか悪くない"の映像では×マークが映り、メタ的に歌詞を否定している。
それがラーメン屋を経て、心象を鑑みることで"んなもん生きてりゃいいって"と前向きにネガティヴイメージ=現実を捉え返していくのだと解釈した。


この「歌うこと」に対するネガティヴ→ポジティブの変化には、
オオグチでいること(自信があること)=帽子を被っていること(状態)は関係なかった。
帽子があるかないかについては、「歌った」自分を批判してくる世間=現実=ネガティヴイメージの受け止め方の変化だと言えるだろう。



つまり、物語論的にいうと「歌うこと」がセントラルクエッションであり、
帽子あり(序)、帽子なし(破)、帽子ありで歌うんだ(急)
ということになる。
今作の複雑なところは序→破→急と一方通行なわけではなく、帽子によってシーンごとに主人公の気持ちに幅(展開の幅)を持たせているからだ。


③cパートの心象表現
先の②では「歌うこと」を中心に主人公の自信の喪失とその復活、再起が今作の物語だと語った。
③ではその喪失→復活のきっかけとなったラーメン屋、そしてその後の心象表現(精神世界)について検討したい。


ラーメン屋から一気にメタ的表現が多用される。"ようこそいらっしゃい"のロード画面からこの動画の視聴者はふと一旦ノリのいい曲から離れされ、落ちサビを静かに聴くことになる。"埃すら元からなかったら"の"埃"は"誇り"と言い換えることができるはずで、不思議と悲しい気持ちになる。



冒頭の風船が元からなかったかのような…
そして、ここから渾身の演出が始まる。"大口叩いてなんぼでしょ"と2回繰り返したのち、主人公の世界を超越する作者が登場したのだ!
ペンタブが出てくるのでおそらく獏井さんだ。「オオグチ」と書かれた映画館が表れて、物語は逆行することになる。


「オオグチ」というタイトルコールと同じモーショングラフィック、歯車の描写からも若干わかるが、それ以上にすごいのはサブリミナル効果を使ったiマークとシークバーの存在だ。0.25倍速にしても止められないほど短い……
iマークはGoogleではSSL非対応のサイトであることを示し、危険なサイトと注意


する時に出てくる。そして、次カットでシークバーが0:00に戻される。
これから描き直される時間軸が危険な可能性があることの暗示だと感じた。

つまり、今作の物語である自信の喪失→復活は主人公の内発的動機などでは全くなく、外部によって操作された復活であることがここでわかってくる。
最初に私がいった「ナンセンスを受け入れ前に進む物語」というのはてんで間違いだったようだ笑笑


この演出が意図したことは果たしてなんなのだろうか…?
これは完全な邪推だが、
「うじうじしてないでさっさと"大口叩いてなんぼでしょ"」
という制作者なりの手厳しい送り出し方に感じた。もっとみんな大口叩いていこう(行動)=夢を持っていこうというメッセージだったのだと思う。
うーーん、なかなか難しいな〜


さて、「オオグチ」の身勝手な考察はここまでだ。
「オオグチ」を制作してくださったLAVE SALONさん、獏井さんを初め、ここまで読んでいただいた人には深く感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。

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