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スラム街リスナーサイドから考える「比嘉秀仁の超えていけチャンネルコメント欄問題」

ラスばんは、はねおかです。
今回は急遽ですが、この話題について触れていこうと思います。
なお、急遽なので敬称はすべて省略させて頂きます。

ついにジーニアスラジオでも話題に挙がったのが、この「比嘉秀仁の超えていけチャンネルコメント欄荒れすぎ問題」です。

5:12~

遡れば、この質問箱がキッカケとも言えます。

質問者「煽り耐性についてですが、比嘉さん自身に耐性があっても幼稚なコメント欄やツイートについて見てる側としては色々思うところがあります。
嫌なら見るなと言われたらそこまでですし、万人受けは難しいと思いますが目指す方向性はああいうものなのでしょうか?」

これについての比嘉秀仁の回答はこちら。

比嘉秀仁「質問ありがとうございます。このような意見を下さるのはとても嬉しいです。
コメント欄のいきすぎたものについては僕も眉を顰めるものもあります。それについては「やめてほしい」という意思表示は行なっているつもりです。それでも荒らしのようになるのであればブロックも止むを得ないとも思っていますが、勿論できる限りはしたくありません。コメントしてくれる方々はある程度の大人の方々であるということを認め、節度を持ってコメントしてくださるのを期待をしています。
現実とても微妙に難しいのですけど、コミュニティとしては、自由と統制はトレードオフの関係にはなってしまいます。なのでこうしてあなたのように(匿名でもいいので)声をいただけると、ある程度私がコントロールしていこうと思いますので、見てて不快だと思うことがあれば具体的なところをご一報ください。随時改善に乗り出そうと思います。
一般受けは登録者がもう少し増えていってからまた考えたいと思います(現在660名)」

さて、この問題。
皆さんはどう考えるでしょうか。

あるツイートで「他人が不快にならないようなコメントをしなければいいだけ、の話では?(意訳)」というのを見たのですが、僕は問題はそう単純ではないと思っています。

不快にならないコメントの線引きは、どこにあるのでしょうか?

では、以下に「比嘉秀仁プロが放銃した際に流れる主なコメント」を抜粋します。

1.これは高評価
2.GOAAAAAAAL!!!!
3.ナイスゥ!
4.ざまあ

これらのうち、どれが不快なコメントに当たるでしょうか?

正解は「個人個人の評価による」です。

比嘉秀仁への放銃・ラスイジりは、比嘉秀仁の超えていけチャンネルの華でありますが、それをどこまで許容できるのかは視聴者が各々持っているものであって、明確な線引きはありません。

いや、あるとしたら「比嘉秀仁が許すかどうか」です。

僕は常々「スラム街コメントは『禁止されていないだけ』であって『認められている』わけではない」と言っています。

書き起こし
コメント「コメント欄がどんなにスラムっててもやめてくださいって言わない比嘉さん好き」
比嘉秀仁「いや、あの~『これはやめといてほしい』ってことは、ちゃんと言いますよ僕は?やめとけ、って…BANとかはまぁまだしないけど、度が過ぎたらBANとかはするかもしれないよ?」

イジりというのは、イジられる側が許容できて初めてイジりとして成立するのです。

イジられる側が許容するならそれは全てイジりです。

そして、逆を言えば、許容しなければイジりではありません。

その決定権を持つのは、配信者たる比嘉秀仁のみです。

質問者の「幼稚なコメント」とというのが何を指すのか分からないですが、少なくとも配信者である比嘉秀仁から禁止されていない以上、それは誰が何を言っても意味のないものとなります。

ちなみに、前に僕がとったアンケートでは、コメント欄で不快な要素は圧倒的多数で”下ネタ”でした。

約半数です。
そう考えると、幼稚なコメントというのも、下ネタの類も含むのだろうと思われます。

これもまた、放銃イジりと同じく、不快の明確な線引きはできないものです。
気にしない人は気にしないでしょうし、気になる人は気になるでしょう。

「他人が不快に思うコメントをしなければいい」というのを、そう単純な問題ではないとしたのは、ここに起因します。
他人にあたる人間が増えれば増えるほど、その線引きの度合いが違ってきてしまうからです。

「自由でありたい」という、比嘉秀仁の意思は分からなくもありません。
しかし、もう、そういうことを言っている段階ではなくなってきたのかもしれません。

あるところに広場がありました。
そこでは各々が思い思いに過ごしていました。
ある者はキャッチボールをし。
ある者はベンチで読書をし。
ある者は花壇の草花を眺め。

そんな広場も、利用者が増えるに従って、問題が生まれてきました。
そして、ルールが設けられ、禁則事項が作られました。

それは、不自由ではありますが、仕方なく、ある意味自然なことなのです。

「自由でありたい」というユートピアは、多分、実現しないでしょう。
それは、自由であるが故に。

スラム街リスナーは肝に銘じておかなければならないでしょう。
自分たちは、排他される側にある、ということを。

僕も散々勝手にコメントをし、切り抜き動画を作り、Noteを書いています。
これらは比嘉秀仁には無許可であり、無認可であり、無報告です。

スラム街リスナーの持つ「この程度なら比嘉秀仁は許してくれるだろう」という、一方的な信頼関係は、いつまで続くか分かりません。

自分たちは切り捨てられる側であり、その決定権は比嘉秀仁が持つ。
その覚悟だけはしておいたほうがいいでしょう。

とはいえ、まだ公式な見解は出ていませんし、「気に入らないなら具体的に言えば検討する(意訳)」と言っているので、不快に思う部分がある人は、比嘉秀仁当人に一報してみてはいかがでしょうか。

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