応報、関係、移民

偏見つか、ある人がこういう人だと決めつける、人の多面性が意識されないのは視野が狭くなっている。ある組織にいる人でもエリートと落ちこぼれがあり、適応/不適応な揺らぎ、個性はある。また、ひとつの状況下(人)では同じ反応を示さなくても、また別の状況では別の顔を見せる。「影響力の武器」で応酬の法則(?)だったか、人はいいことを与えられたらお返しをしようとするとありました。(悪いことも応報かな)。一つの状況下でも面白くなくても別の状況では親切になるというか尊敬できる面を見せるのは常です。恩のやり取りが見える範囲であるのは人間の本能で、一人一人の恩が見えにくくなる国家というか社会の限界というか、スラムとか住むところを検問するアメリカのゲーテッドコミュニティというか偏見がそのまんまになって、あんまりよろしくない。ある集団との亀裂が決定的になる犯罪率が高くなる前に、敵意を向けられる前にこちらのコミュニティと恩のやり取りをしたほうが良いと思うっす。

日本人の典型と思っているんですが、連れ合いはお金を稼ぐは汗を流さないといけないという意見で凝り固まってます。その延長に、決断主義とは無縁というか、自分の負える責任を考えています。顔の見える範囲でしか親切を示さない、鳥も鳴かずば撃たれまいというか、恨みを買わない余計な親切は示さないつーのがあります(匿名で寄付はしますが)。移民の皆さんに対し、こちらから何のアクションも示さないのはまずまずっす。知らない人は偏見が強まるし、嫌なことが直撃します。偏見があるってことはいつも同じ場面でしか合わないってことではないかと思います。

知り合ったばかりの人でも同じ作業をすると仲良くなるんですっけ。作業に種類を持たせて、いろいろな面を見せる/見せられることを意識して進めたほうがいいと思うっすが。そうしたら嫌な部分がある一方、好ましい部分、尊敬できる部分もある同じ人間だと思うのか。多少の嫌なことも流せるようになるっすかね。付き合うと嫌な部分があるのは当然です。でも、嫌なことがあっても次は好ましい対応をしてくれる(という思い込み)を作っていくと平和への道っす?


ラディアンで、「それ、異端審問所のやつら?(略)よく分かんねえけど、俺たち魔法使いを目の敵にしてる悪い奴らなんだろ」「陸に上がったカバよりバカじゃな、お主は。いいか、奴らとて人間に変わりない。同じ方向に泳ぐ魚の群れとはわけが違う。」「えーと一人一人が少しづつ違うってことですか」「そう、わしたちがそれぞれ違うようにな。まずはそれを理解せんと戦おうにも足を救われる。」とあった。で、「もっとも間抜けな異端諮問官は見たことないが」というのが冒頭で、オチはは間抜けというか人の良い異端審問官がいると、主人公たちのいないとこで示したんすが。

人にはいろんな顔がある。英雄も身近で見たら、ただの人っぽいのもある。

で、人を人として扱うことが、どれだけの救いになるというか、昨日気分が良かったのはなぜかと思ったら、自動車保険のおばちゃんに人扱いされたからか(涙)だったからというか。仕事しているとできて当たり前で褒められることもなし、叱られはするけど。で針のむしろの気分の時に、気兼ねなく話せる人がいたとして、その人がほかで「どんなこと」をしたとして、責めれるものだろうか。

物語三昧ラジオで「ベジータ問題」と言っていた。ベジータいっぱい人を殺したのに、見方になると罪は不問になる問題っす。宮台センセがかつて、「人類は人を殺すなという方を持っていたことはない。仲間のために敵を殺せ」(だったか、記憶不確か)。グリッドマンでたくさん人を殺していたヒロインが主人公を刺したときにフェイズが変わったと言われたような、仲間に害をなすのは許されない(?)。

でも、仲間以外の人に対して害をなしても評価は決定的に下がらない面もあるか。というか、自分が満たされてこそ、仲間以外の人を思いやる気持ち、余裕が生じるような気もする。敵を作って団結する(ナルトは否定しましたが超絶有効でしょう)、そういう追い込みをさせるのは、社会の構成員たる大人の身としては敗北感で満たされます。

敬意を持つということ、や信頼があるということは争いに対してどういう意味を持つのか?概念上の敵は殺せても、悩みもあり、長所もあり、欠点もある、同じ「人」なら殺しにくいか。信頼の前提である、「知る」こととはどういうことか?許せない性格、というか復讐の意味で今までされた嫌だったことがあるのか。忘れられない。した行動に対する憎しみは理解できるのか。というわけで「影響力の武器」っす。人間されたことを仕返します。良くも悪くも、応報的に。

ハンター×ハンター、ボマーは関係ない人は虫けらで、友達は大事にするのか。

いや、スミさんが、「シェアリングエコノミーによってこれまでなら所有しなければ体験出来なかった感覚を手軽に味わえるようになって、モノや権利の所有やシェア以前にその体験を共有できる家族や気のおけない仲間がそもそも一番大事だし価値があるという当たり前の事に改めて身に染みる。シェアリングエコノミー最高だな。」
https://twitter.com/YusukeSumi/status/1083844466522304512
大事なのは友人といった時、と言うか、僕、中年の危機で承認が欲しいけどもらえないつか、子供が慕ってくれるのがうれしくてたまらないというか、自分を大事にしてくれる人は大事に、関係ない人にはそれなりに。自分の資源に限りがある限り、身近な人から助けたい。

リベラリズムはナショナリズムとなるのか。もっと世界が豊かになったら、みんな豊かになるってことなんだろうけど、順番はある。リベラリズム、仲間でない人には欠点が欠点のまま直撃する。良い面も少しあると、バーターにはならない人間関係。自分可愛いならいいのか。

ひいきにされる共同体は、他がつらい場所であれば輝く。いや、finalventさんが人生幸せを求める場所でないんでないの、っぽく書かれていた気がして、ジーと考えていたんです。つらいことばっかりで、それが常態であるのか。すると、たまにあるいいこと、奇跡に神の恩寵を感じるのか。キッツい人生であるか。キッツい人生に光を与える人のためには、何でもできる/ほかでどうあれ大切なのか。仲間のために人を殺せるのか。

社会が正義を必要とする。個人的な貸しがある共同体ではなあなあになる、のか?損をして得をする人の顔が見える/見えないは大きい。いつか返してもらえる期待の有無が見えやすいか、見えにくいか。自分の損の対価が帰ってこないと思わせるとは。後で帰ってくると思わせるとは。自治体の規模は何百万人ぐらいがいいって大前先生言ってましたっけ?

異端審問官、集団で同じ行動を自分にしてくるのなら、個性は見えなくなる。ある集団が自分に同じ顔しか見せない、いつも環境が同じであるのか。人の多面性が見えないこと。

色々な場所で会うこと、生活を共にすること。それで考えると、検問所作ってフェンスの中で金持ちだけが暮らすゲーテッドコミュニティ、またスラムとか最悪だな。だし、会社で仕事するだけでなく、色々な催しするメリットとかありそうな気もするな。多面的に人を見ること、日頃の役割を離れると、また違う良さが見えて、カリカリ度が落ちるのか。共同体の強さであることよ。忠誠心も高くなる。
色々なパターンが見えないのは偏見であることよ。

いや、普通選挙権はいつ与えられたか?一人当たり所得としてどのぐらいのとき?それが万人の脅威となるぐらい豊かさを得た時に為政者が与えるか?山形先生が発展途上国は独裁のほうが発展する場合もあるように書いていた気がする。共同体以外の社会のみんなのためにと損を引き受ける一体感がないとは言えないか。「パウル・ティリヒ 「多く赦され者」の神学」の伝記を読んだら、父のプレッシャーに一生苦しんだとあり、昔は権威が存在する。しネットがなくて、マスコミが第4の権力だった(今もそうだけど弱まったか?)。実存主義者サルトルは時代遅れになった。

自分がそう思うからでの追及は宮台先生の主義なのかというか、やって変わる/変わらない、やらなくて変わる/変わらないは事後的にしか分からない。おいらもそっち系統だけど、と、うちの実家とか義実家とか僕以外、SNSやってないんす。わざわざよく分からない社会に対して自分事を描く危険性を重く見ているというか、

おいら、決断主義の欠点とかまで追いかけていないす。でも、よく分からないけどやってみようの実存主義は、もし人に影響を与えることであったら、何かあったとき責任をとれない。自分のことだけ心配して、ひっそり?生きるつか。責任を持てない、責任とは何か、自分の中で咀嚼できない。それは罪に対してと同じものである。責を負う、責められること。あとで糾弾されること。鳥も鳴かずば撃たれまい。自分に被害が及ばない限り、閉じること。自分に迷惑がかかるを覚悟する範囲で贈与すること。

恨みを買うことを避けるならば何もしないのが良い。

何か一緒の作業をさせると初めて会った人のチームでも一体感が出るのか?移民にこだわる自分としては、移民さんの方にも日本人と一緒に行動してみるかの動機付けを付けるのは大事だと思うんすが、日本人の方でもお節介焼いてないんすかね(ちょっと心配しています)。

移民が日本に来て一番最初にどこで貸しを作るのか、日本人コミュニティじゃないと話がこじれて元に戻すのに何十倍の労力が必要になる気がします。移民は触らぬ神ではなくて、関係を持ったほうが良しな隣人だと思って、お節介してもらいたいものですが(僕は僕で既に某NPOにかかわってるのでそちらにまで手が回りませんが)。

「市民と行政がともに汗をかかない自治体は崩壊する」
例えば、各種の子育て補助金を支給する自治体を選んだ市民は、それよりも多くの補助金を支給する自治体があればそちらに移ってしまう可能性があります。しかし、子育て支援の取り組みが官民連携して進められ、特に自分も参加して子育てサークルを運営したような市民は、よほどのことがない限りその地域を動くことはありません。街に対する愛着がわき、活躍している自分を誇りに感じ、なにより日々の生活が楽しいからです。
https://diamond.jp/articles/-/190601?page=4

99.99%の人には代わりがいます。社会的に見れば。でも僕と思い出のある人は愛着で、特別な人となります。代わりにはなりません。関係、思い出最強っす。

天から降ってきたものに愛着は湧きません。愛着が湧くて、嫌なこともあることが前提だと思います。けど、それは良いことのスパイス的に、何もなかったらかえってつまらないというか?今の苦労は報われるという確信があるか。でも僕は報われなくても、自分は貧乏くじ引いたけど、やるべきことはやったという充足感を重く見て生きていきたいっす。命を賭けることはできないけど、できる範囲だけど自分の生き方を見つけるってことだと思います。損の中でしか個性は見えない。使命と思えるものがある幸せつか。幸せなことが起こるから使命なのではない。お得な生き方は誰でもできます。あえてって好きっす。僕だけの人生です。


ちょうど10週連続更新したかな。以後の投稿は不定期になるかもです。これから仕事が楽しめるかが係っているのに、仕事の勉強時間がnoteで取りづらかったので。でも、毎日(でもないけど出来る限り)時間をとっていろいろ膨らますのは楽しかったっす。早く復帰できるように神頼みっす。てか、今日の文は続きが存在するけど文意が統一できなくて切ったのでネタはあるし。一部本意とつながってないところが次回膨らますところです?

ラディアン、冒頭で正直兵士に話しかける兵士の声、一部、子安(包帯男)じゃね、包帯男、兵士を棺桶に入れてたしな、伏線となっているのかどうか。む、気のせいの気もするな。しかし、子安、バトスピの時に結構声変えてたしなー(嵌まっている)

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