これくらいで歌う第三十七章〜当たり前だったもの〜

2013年記
 最近身の回りのものがよく壊れる。テレビの配線だったりPCだったりギターアンプだったり。それまで普通に使っていたものが壊れるとなんとも不便である。同時に今までのありがたみを感じる。ギターアンプにいたってはライブの数時間前だったため本当に不便だった。ライブハウスに同じアンプがなかったため直前のリハーサルでまた一から音作りをしなければならなかった。テレビだってずっと見ていてケラケラと笑っていたのに急に映らなくなり華やかな芸人を映していた画面は眉間にしわの寄った僕の顔を映していた。一番不便だったのがPCだ。僕は音楽も写真もすべてPCで管理しているためもう初期化するしか方法がないと知った時の絶望感とバックアップをとっていなかった自分の管理の緩さに腹が立った。もう一台のPCで必死に解決策を探すも見つからず自分なりにいじっていたら直った。直ったのだ。電源を入れてもスタートアップ修復という全然修復しない作業を永遠とやっていたのに画面に「ようこそ」という文字が出てきて普通に起動した。「ようこそ」の文字がこれほど歓迎しているように見えたのは生まれて初めてだった。厳密に言えばヒッチハイクをしているときに富良野に着いたときの「ようこそ」の次に歓迎されてると思った。昨日の僕からしたらPCが普通に起動することなんて「だからなんだ」というようなものだがこのときばかりは涙を流すところだった。当たり前だったものがうれしいと感じる瞬間である。これは財布を落として見つけたときのうれしさに似ているかも知れない。財布を落とすという行為自体自分に非があるのだが戻ってきたときの嬉しさはゼロから生み出されたものだと思う。盲腸の手術後に当たり前に屁が出たり、虫歯が治りしっかりと物を噛むことができたり。それができなくなってからはじめて知る重要さ。僕らは日常の当たり前にもっと深く注意をしてそのありがたみを感じるべきだ。と、今まさにPCで文字を打ち込んでいることへありがたみを感じている。

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