これくらいで歌う第三十八章〜とある一日〜

 2013年記
 僕は高校生の時から日記をつけている。たまに見返してはそのときの感情が湧き上がり恥ずかしくなったり、逆に活力をもらったりする。ぺらぺらとめくっていたら、なにもないがなにもないことを強烈に綴っている一日があったので転載しようと思う。

 昼過ぎに起きた。何も予定がない。起きてまずすることはベッドから起き上がることではなく最近はまっている携帯ゲームを開くことだった。その間涎を飲み込まない。朝一の口の中は排泄物よりも菌が多いと聞くからだ。ぼんやりとした頭がゲームによってだんだんと目を覚ましやがてのっそりと起き上がる。小一時間涎を飲み込まないので口の中はタプタプだ。小便をし、涎と小便が交差するのをぼんやりと眺めながら考えることは何もない。

 部屋に戻りとりあえずパソコンのスイッチを起動させる。三日に一回ほどスリープではなくシャットダウンする。詳しいことは分からないがそうした方がパソコンの負担が減りそうだからだ。スリープのときはすぐ立ち上がるがシャットダウンしていると二分ほどかかるのでその間ソーシャルネットワークで旧友の充実した生活を眺めては今の自分の暮らしに落胆する。あの時素直に会社に勤める事にしていたら、あの時もっとよい曲がかけていてデビューという一番注目される時に売れていたら、などさまざまな「もしも」を考えている。

 パソコンが立ち上がったらとりあえずベランダにタバコを吸いにいく。家賃は安いがせめて景色のいい場所にと選んだ部屋。そのため階段なしの五階建てのボロアパート。幸い景色はそれなりで人通りも多い路に面しているため、いろんな人が行き交いそれはそれで思うことが多々ある。高校生が横切っては今の高校生は何が生き甲斐なんだろう。クラスでは何が流行っているのだろう。自分が高校生時代の時に流行っていた音楽やゲームなどを思い浮かべてはその高校生に重ねていた。杖をついてあるく老人を見ては若いころはどういう人間だったのだろう。戦後高度成長していく日本を支えたバリバリのサラリーマンで夜はさまざまないい女性と共に過ごし、酸いも甘いも吸い尽くして今は幸せなのだろうか、今の無気力な日本の若者をみてどう思っているのだろうかやはり僕なんか殴りたいと思っているのだろうか。そんなことを一本のタバコが吸い終わる四分間で思う。

 部屋に戻りアニメのチェックをする。見終わったら、アニメ感想サイトで自分の思っていることと照らし合わせる。だいたい原作のことでみんなが討論していたらブラウザを閉じる。よほど好きなアニメではない限り原作は読まないからだ。僕はアニメスタートで作品を見ることがほとんどなので漫画や小説などの原作から読んでアニメを見ている人の感想をすごく真に受ける。アニメオリジナルの作品も実は人の感想をそのまま受け入れるが。こうやって自分の意見が薄れていく環境もよくないなとおもいつつ見てしまうのだからたちが悪い。そうしているうちに日が傾いていき、もう一度携帯ゲームを開きまるで作業のようにゲームをクリアしていく。そのゲームをやっているコミュニティサイトなんかでいろんな情報を収集する。たまにゲーム以外の自分たちのリアルの生活のことに言及する人もいて、僕はそういう情報のほうがすごく気になる。僕は会社勤めではないから深夜にログインしたりするのだが深夜にログインしているほかの連中は何をしているのだ。大学生なのか、そうでなかったらいわゆるニートなのか。僕はニートであってほしいと願ってしまう。やはり自分よりも生活の危うい人をみるのは心地いいものである。誰がなんと言おうと僕はそう思ってしまう。

 夕方に染まる街を見て、きれいな景色に罪はないのだが幸せに見ることはできない。洗濯をしては一服をし、今度は何をしようか考える。バイクでどこか行くのにも金がかかるし別に欲しいものもない。ギターを手にとってはありふれたコードをかき鳴らし好きだったミュージシャンの曲をひいては自分の平凡さに落胆しギターを置く。稀にすごいメロディが降りてきてそのまま曲を録音することがあるのだが、ほんとに稀なことである。だがその稀なケースで生まれたものがすべて音源化されCDという形に残っているのは堕落した生活で唯一光る僕の宝物だ。

 日が沈むとテレビをつけ一応ニュースを見る。有名な人が死んだり有名な人が覚醒剤で捕まったり。今夜の献立だったり、夕方のニュースというのはどこか自分とはまったく関係のない世界のように感じる。そうしてゴールデンタイムになると芸人がひな壇にたって一生懸命自分をアピールしたり今後大物芸人になるであろう中堅の芸人が司会をし、売り出し中の女性タレントを持ち上げたり会場はぜんぜん盛り上がっていないのにSEで盛り上がっているように見せる歌番組を見たり。昔なら素直にこれが流行っているんだな、と思うことが今ではこれを流行らせたいんだなという目線で見てしまう。昔のほうが素直に笑えて素直に次の日にCDを借りにいって素直に芸人が好きになってブログを見たりしていたが、今はまったく違う。しかしどちらが幸せな人生かといえばおそらく前者だろう。僕は退化しているのだろうか。また、僕によく似た境遇の若いタレントが一生懸命になっているのを見ると胃が痛くなる。大変だろう。本心とは違うことを言って一所懸命自分を作るものの終わった後に説教されてやがて自分のやりたかったこととの違いに苦しくなり自分が分からなくなり壊れていくのではないか、と。全部僕の勝手な思い込みかもしれないが。しかし、大物になるというのはそれらを乗り越えてこそなるものだ。

 やはり売れている人、というのはどのジャンルでもすごいと思ってしまう。しかし、長い時間をかけずに時代にあっていてすぐ売れた人。自分よりも若いのに成功している人をみると賞賛よりも嫉妬が勝ってしまう。その人らの存在によって僕は夜な夜な涙を流すこともある。自分にはなかったのだろうか。自分にはできなかったのだろうか。

 やがて胃がキリキリしてテレビを消す。夜9時になると近所のスーパーがタイムセールを始める。惣菜や弁当が半額になる。店員が半額シールを張るすぐ後ろに人が群がっている。僕はせめてそういう人に見られたくないと一番後ろからそれを眺めている。しかし心はお目当てのステーキ弁当は余るだろうかとひやひやしている。無事に手に入れた安心感と共に減る一方のお金に焦燥感を感じながらできるだけそのことを考えないように月を眺めて夜道を歩く。お金はなくともせめて心は美しくありたい。しかし、既に一般のレールを外れていることを認識はするものの、実感するときの虚しさたるや。できるだけソーシャルネットワークサービスは見ないようにしているのだが、見るたび結婚という文字をみて焦る。

 できるだけ早く寝たいので風呂には早めに入ることにする。ほとんど部屋から出ないため風呂に入る必要があるのかと思ってしまうがこれを入らないと本当にめんどくさいことになる。僕は風呂に入らないとベッドで寝ないためそのまま昼過ぎまで寝ないなんてこともある。それからは昼夜逆転の最上級とよべる昼過ぎに寝て深夜に目覚めるという最悪な暮らしになってしまう。めんどくさいのは一瞬。入った後はすごくすっきりする風呂を大体日付が変わるころに済まし、あとは昼間とさしてかわらないことをし、最後にパソコンをスリープ状態にし眠りにつく。

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